人を幸せにする人になろう

11月14日、難波宮研にハシゴ

◆京大の考古学談話会、なんとか1時間半近くしゃべり、無事こなす。橋本さん、わざわざお越しいただき、ありがとうございました。中尾先生も、佐藤さんも。これ、もう研究ノートとして書いてしまうべきですね。1週間入院すれば書けるでしょうか。
◆そのあと難波宮研、来年2月の3回目のシンポの打ち合わせもする予定なので、京都で懇親会まで出たいところだったが、大阪に戻る。16:30になってしまうが、2本目の建築の話を聞くことができた。ただし、前日の準備作業で睡眠不足、こっくりこっくり・・・、ごめんなさい。でも、前期難波宮の建築に認められる画期性を、ひととおり整理していただいて、こっちとしては、こういうのを聞きたかったわけである。改新詔の今日的点検というのも、だれか一通りやってほしいもの。ひとまず岩波講座を読んでみないといけません。
◆中国・韓国からも研究者をお招きしての第3回の仕上げのシンポ。研究会メンバーも短い時間ながらひととおり登壇することになっている。その題目をなんとか決めないといけない。ここ2日ほど、それを考えている。今年度の研究会では難波宮京の割り付けのことをやったので、それでいってもいいのだが、そういう新ネタでなくとも、6世紀中頃から7世紀前半の考古学からみた前史でもいいかなとか。中国や朝鮮3国の、とくに朝鮮3国の国家体制の勉強をして、倭も当然それを見て目指すものがあったわけで、蘇我氏を倒してからさあどうしようでは当然ないわけです。朝鮮半島は王権本拠は城なわけです。中国都城もそれに出発しているとはいえ、もはや威信を示すものになっているのに対し、フソ山城や月城を中核に、市街地を配置していく。しかし日本は倭国の枠組みは早く、王権をめぐる権力あらそいはあっても、朝鮮半島のような競合はない。一気に中国的威信を示す都城の形成へ進む。中世の山城と近世城郭との違いのようなもの。新羅王京とかほとんど知識がないが、倭は制度導入や仏教需要は少し遅れるにしても、本格都城は一気に難波宮で成し遂げた感がある。なんかそうした外形的なことながら、倭の歩みを外と比較するような作業をやってもいいかと。
◆とはいえ、まあ、まとまったことはできないと考えておくべき。いずれにせよ、すぐすぐ仮題を出さないといけない。ああ、どうしよ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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