人を幸せにする人になろう

2015年2月27日、車塚

◆朝、歯医者。午前、採点。12時、大学院受験を希望する他大学の学生と面談。で、採点会場に戻り、13:30までやったのち現場に向かう。
◆水曜日、北区の東半分を大きく掘り下げたわけだが、まだ思い切って掘れていないことが、ず~と頭にあり、絶対に攪乱の壁を出してやると決意していた。新しい溝で結論は出ているし、溝際について赤い造出の盛土を思い切り良くないが平面的に出しており、まん中が窪むヘンテコな造出でなく攪乱と信じているものの、ヒヨッている。恐いわけだ。そこをガツンといってやる、と。
◆14:40くらいには着いた。前日の雨でぬかるんでいる。南区の東拡張区を見て、南区本体の周濠内堆積土の機械掘削の様子を見て(実にスッキリ)、南区の西拡張区の機械掘削をやっている様子を見る。北区は、3人が上面の精査、2人が攪乱抗に向かっている。人数は少ない・・・。まあ少ないのは仕方がないが、それはそれで、それに見合った今季のゴールを設定し、格好をつけていく必要がある。
◆南区西拡張区の機械掘削がだいたい掘り上がり、見てくれというので見る。もうすこし下げましょうか、というので、周濠が予想される西壁沿いを徐々に削るよう指示。そうすると、40㎝から50㎝下で造出の西斜面が引っかかってきて、そのあと作業員さんに削ってもらい、造出の西南の角部をほぼ検出した。これ見事ですよ。なお、南辺・西辺とも、埴輪列から肩までほぼ1mというところである。
◆で北区上面だが、チマチマした精査をやめ、女性3人にミニ鶴で削るよう指示。埴輪列以外は、礫もまばらで(流出)、あまりデリケートでもなく、ペースを上げるため。で攪乱だが、バチを持ち、攪乱斜面をガンガン削ってやった。途中まではやはり恐る恐るだったが、気にすることはない、黄色粘質土は洪水堆積層、それを掘り上げて残存面を出すほかなく、ガッツリ削り赤肌を出した。攪乱の壁に確信がもてると早い、かなり壁面を出した。底面にはまだ達していないが、深そうだし、この坑は何なのか、いずれ決着は必要ながら、いま掘り急ぐ必要はない。現状の80㎝程度の段下げ表現にすればよい。壁は真っ赤っか、底面は黄色粘質土、そこに礫やら埴輪片やらが巻き込まれている様子を示せばそれでよい。
◆が、これは何なんでしょうね。井戸ちゃうかと冗談で言っているが・・・。なお、洪水がいつかわかっているのかと城陽市に聞くと、近世文書で、大洪水のあととみられる、堤を高くせよだのという文書が多く残っているようで、17世紀初頭と考えられているとのこと。
◆写真がなくてすいません。余裕がないのはよくないですね。作業途中、あるいは終了後、その日の掘削状況の写真を撮るくらい、せなあかん。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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