人を幸せにする人になろう

2016年9月13日(火曜日)久津川車塚

◆参加。城陽市担当者。自分。長友。道上(市大)。安藤・木下(立命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近大)。今季のコアメンバーですな。調査指導:15時:京都府文化財保護課。
◆朝から雨がパラパラ。記者発表なので、シートを開け(全面ではない)、出土遺物をならべたり。そうこうするうちに10時前ではあるが、記者さんも集まってきて、記者レクが始まる。図面に出撃するも雨が来て、テントのなかでの記者レクの間、われわれも横に控えていた格好となる。この間に、現地説明会の資料の打ち合わせをしたり、支え柱のこととか、あーでもないこーでもないと、こうした議論もまた楽し。
◆記者レクはほぼ12時近くまで続き、その間、弁当を頼むのも忘れ、昼はラーメンを食べに行く。戻り、雨も落ち着いており、13時10分には作業にかかる。図面は3人、あとは墳端に下り、昨日の続きで、石を個々に検討し、全体のならびをながめつつ、最終の仕上げを進める。基底石はきれいにならぶわけではないが、およそのフレームが考えられ、その外側にも谷部南については葺石状に積み上げた重なりでがっちりの石がある。まずは後円部側について、角状の石を立てた2石があり、あんまり並ばないがずり落ちているような状況を配慮しつつ、一定の石敷帯があると理解し、外側を地山まで出す。緩やかに地山も上がってきて、残した石の下に入っていく。
◆次いで難問の造り出し北辺。ああだこうだ、と議論していると、女王の一声「もう掘る機会はないだろうから拡張!」。「剣スコを持て」。とはいえ大幅な拡張というわけにはいかないが、南壁を30㎝ほど南に押す。現在の見解では、谷部列石下端から南に前方部側辺といえばそうともいえる1m程度の辺があり、そこから屈曲して造り出し北辺に移行するとの見立て。それが南壁ぞいに、そう長くない辺長しか出ていないので、その続きの状況を確認しようということになる。むろん隅角を出すのが理想だが、そこまでのことはできないが、今の見立ての蓋然性が高い感触をえられれば、と。
◆結論は、明瞭に基底石がならぶという状況ではなく、石が離れてズレているような部位もあり、一定、復元的な目で、見立てのラインでいいのではないか、という感触を得る。また西側では、そのラインの外側に、平たい石がいくつか、それこそ敷いているように現れ、縁部石敷帯がやはりくっついている、という理解でいいのではないか、とも。デロデロになりつつ、久しぶりのドカ掘りと石出し、土上げで、写真を撮る余裕もなく、画像を示せませんが・・・。

プラグイン

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索