人を幸せにする人になろう

9月25日から27日、和泉市北田・中の歴史的総合調査

◆翌日、集合時間が早くなっていることを知らずに出かける。とはいえ、8時頃には和泉中央駅に到 着していたのだが、バス停側の反対側に乗り入れ、一周まわってくる間に、第1便を乗せたバスは出発。なんとか、自分の車にあてがわれていた数人を拾って、和泉市でも横山地区の大字北田・中に送り届ける。
◆疲労が回復しないままだが、和泉市合同調査が始まった。予備知識を詰めておくこともできず、必要な地図類データなども用意しないまま、水利班に貼り付く。が、事前にかなり調べてくれており、よくできた図面も既にあった。1日目午前は水利の聞き取り調査、2日目は午前午後とフィールドワーク。3日目は農業の実行委員会の聞き取り。
◆5つの水利系統からなる。横山でもいちばん低地部分。東槇尾川の北では、東の福瀬からの水利があり、南では、南の小野田からの水路が、また岡町側からのものもある。検地帳に上がっている溜 池の特定ができていないものもあり、現状はおよそ把握したが、突き合わせが必要。それと何で川をはさんだ「北田」と「中村」ががっちゃんこしたのか。こういうのが近世の特質か。支配の単位を明確にして村を切る。その時に北田と中村をあわせて単位としたのだろう。中世までの実質的な領域はむろんあるのだろうが、人口と土地からなるムラの規模にもいろいろあって、北田と中村は一緒になったと。その際に近世の村の範囲を定めるときに、むろん実態に規制されつつも、人為的な切り貼りもあるのだろう。元禄からは204石だが、延宝検地段階は288石で、いまは福瀬の溜池も北田中になっており、17世紀の中で調整もあったのではないか。まったくのド素人ながら、そんなことを考えていた。
◆最終日、いつものように研究室に運び込むものを積み込み、ドクター3人と大学へ戻る。自分なりのまとめをしようと地図を少しいじりかけるも、もはや気力は0。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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