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人を幸せにする人になろう

2018年5月20日、佐用(1)

◆久しぶりに実家に帰る。朝、8時に出て9:30には着いたか。佐用に出かける。というか三日月が当面の目的地、あとは適当。
◆揖保川を北上し、新宮で西に折れる。途中、千本本陣という看板を見て旧道に入る。千本、千本屋廃寺のあるところなんでしょうね(それは山崎でした)。栗栖もそう。姫新線沿いに古代寺院がならぶ。これも、在地の氏族の尽力はあるんだろうが、交通路上のランドマークかと思ってしまう。
千本本陣。鳥取藩の参勤交代の時などに使ったもの。いまは飲食店になり、土日のみ営業しているよう。昼時で入ると、予約で座敷はいっぱいで、外のテーブル席ならと。写真は前菜、アマゴの焼いたもの、最後は蕎麦。2000円弱くらい。なかなかいいところです。家屋、庭もあり、維持がたいへんそうであるが、こうして飲食店をして残してくれている。簡単な看板があり、玄関のところには模型もあった。なんでも口コミで、飲食店の評判はよいらしい。 
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2018年5月19日オオヤマト(15)つけたし

◆天理市教委が案内している企画は、「2018遺跡探検隊」というもののよう。案内していたIさん に、マップをいただきました。古墳だらけですね。頑張ってはります。

2018年5月19日オオヤマト(14)乙女山

◆最後は乙女山。 前に入ったところからやはり入ったが、公園内をまわっていかずとも、公園敷地のへりをたどり、北側から入れるんですね。そこに看板がある。小方部に立ってみました。

2018年5月19日オオヤマト(13)河合大塚山

◆そこから帰途の西に転じ、まずは島の山。一周したくらい。これ南側の渡り堤から入るんですか ね。あぶなそうな感じ。
◆そのあと、河合大塚山古墳。古墳群で何基かあるが、今回は大塚山のみ。どこから入るのかわからず、側面でも前方部寄りの草密生のところを上がってしまったが、前方部には明治元帥の碑がありました。くびれ部から北の後円部側は竹やぶで、比較的墳丘が見渡せます。これ、大仙に近いが、いまは前方部がさほど広くないと考えないといけないと思っとります。例の第3の系列のものかと。

2018年5月19日オオヤマト(13)赤土山

◆うわなり、石上大塚、あとなんだっけ、3つほど行ってみたい後期前方後円墳があり、地図も用意 していたが、山へ上がるには時間もなし。赤土山だけ見に行く。けったいな古墳や。また、東大寺山古墳は、今回も行けませんでした。

2018年5月19日オオヤマト(12)塚穴山

◆塚穴山古墳。これいわゆる石舞台式。年代は600年前後くらいでしょうか。大型円墳で巨大な横穴 式石室。これについてもパンフレットに見たことのなかった図がある。削られた東側の発掘調査もやっているんですね。
◆蘇我馬子の石舞台に対し、物部守屋と考えたくなるが、石室の年代からするとその次世代化。その時期の物部氏って???。テルちゃんは何か言ってるに違いない。

2018年5月19日オオヤマト(10)東乗鞍・西乗鞍

◆コンビニによりおにぎりなどを買って、そのまま見学を続ける。コンビニの横にあるのは栗塚。まずは東乗鞍、そして西乗鞍。 それから峯塚。

2018年5月19日オオヤマト(9)中山大塚

◆そのあと中山大塚。発掘していた時以来、上に上がりました。墳頂部は植栽で竪穴式石槨の位置 を表示していました。墓坑の範囲を示す植え込みは、もうすこし低いものの方がいいような。でも、この竪穴式石槨の位置表示、わりと好感がもてました。
◆そのあと、西殿・東殿。

2018年5月19日オオヤマト(8)下池山古墳

◆下池山古墳。むこうに小学生らの集団を案内している一行が。天理市教委のみなさんでした。む こうが、下池を終わったあと、入れ替わって見学しました。後方部墳頂から見た西方のやまなみ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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