人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
改新シンポ資料集を入稿した
◆昨日丸1日やってカタチとなり、手直しをして、今日、入稿した。6頁分、まだねばっている人が
いて、それは今日の夜。いや~、1月に打ち合わせを入れておいてよかった。この
時に、届いている分を組んでフォーマットが作り上げられていたので、残り原稿の作業と、全体の調整で済んだ。96頁。
◆あとは当日がうまくいくことを願うのみ。パワポとか、登壇者の予定を確認し、詰めないといけない。自分は15分なので、ほとんどしゃべれないし、前にやった薄葬令と条里の話を確認するのと、全体の流れ、そして後退論について、もうちょっと考えること。虚構論はもはやないが、めざしたものが挫折し、後退し、みたいな話にモノ申したいと思うわけですが・・・。新ネタの図(左)もちょこっと出しましたが、たぶん議論にはならんだろう。
◆これが終われば、次は本にする話である。
◆さて、もひとつの表紙の画像、たかだか60キロバイトだが、アップされない!!!。そうか、ついに無料の容量を超えたか、と。年額2400円の有料プランに切り替えました。当面、なんぼでも画像いけそうです。引き続き、ご愛読ください。
◆明日は丹後です
◆あとは当日がうまくいくことを願うのみ。パワポとか、登壇者の予定を確認し、詰めないといけない。自分は15分なので、ほとんどしゃべれないし、前にやった薄葬令と条里の話を確認するのと、全体の流れ、そして後退論について、もうちょっと考えること。虚構論はもはやないが、めざしたものが挫折し、後退し、みたいな話にモノ申したいと思うわけですが・・・。新ネタの図(左)もちょこっと出しましたが、たぶん議論にはならんだろう。
◆これが終われば、次は本にする話である。
◆さて、もひとつの表紙の画像、たかだか60キロバイトだが、アップされない!!!。そうか、ついに無料の容量を超えたか、と。年額2400円の有料プランに切り替えました。当面、なんぼでも画像いけそうです。引き続き、ご愛読ください。
◆明日は丹後です
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N先生
◆O大学のN先生は、大学1年次に向日市の物集女車塚で一緒に発掘をして以来、いろんな関わりが続く。個人的な相談に行ったこともある。が、やはり学問的な目標として、常に自分の基軸になってきたように思う。先生の書いたものは、なにかと繰り返し読んだりする。専門をむろんちゃんともち、新たな方法や手法を求めることにも意欲的、方法論を大事にする、世界的な学問的な潮流も把握する、そしてブリテンやアイルランドのことを学び、日本の古墳時代の相対化や、地域地域で自然的条件と歴史的な過程を重ね、独自の文化ができていく、そのメカニズムの解明や、それぞれの独自性こそが変化に適応する力となることなど、その問題関心のあり方に、いつも刺激を受ける。
◆いま書いていて、明治の近代化は、むろん負の面はあるが、江戸期の社会のあり方、幕府権力は大きいが、各地は地方分権で、藩のことは藩の中でということで、それぞれが教育に取り組んだりした、その独自的なあり方が、社会変革への適応の基礎になったんかいな~、とも思ったりする。
◆逆に、明治に国家権力が強まり、全国的な教育制度が整い、それは近代化に大きな役割を果たすものの、それは戦争に向かうなかで皇民として死ねという教育のもと、多くがそれにさからうことなく出征し、1945年をむかえることになったともいえる。博物館実習展でやった、大阪商科大学の反戦レジスタンスが示すように、戦前の高等教育に学んだ者は、多くがなぜ戦争で人を殺し合わなければならないのか疑問をもっていた。
◆アイルランドの本の最後に書いてあったことを思い出す。集団化しやすいのは日本のような河川沿いに社会関係が形成される社会、一方、網状のブリテンなどでは広域の権力や顕在的な集団関係は見えない。しかし、日常は独自的でも、ある局面では力をあわす、そういう潜在的なパワーをもつ、ということだったか。そう、陸軍参謀本部の一部エリートが机上で作戦を立て、兵隊をコマのように動かし、多くが無駄に死んでいった日本軍と、連合国軍の違いにも対応するのかなと。広域の畑地+放牧地をもつ社会的に独立性の高い社会と、集団で稲作に取り組む日本の稲作が、個人や家族や地域のコミュニティーを尊重する社会と、出る杭は打たれる社会の差になっている、との指摘も面白い。
◆近代日本の中央集権的なあり方は、戦後の復興においてもある意味で持続し、それが高度経済成長をもたらし、一億総中流という社会を生んだが、これからは可能な限り分権化することだろう。連邦制だ。とはいえ、そういう社会関係が育つにも時間がかかるだろう。明治から150年、江戸時代のあり方は解体され、すっかり、国―都道府県―市町村という枠組みが強固になっちまった。でもまあ、教育でいえば、国は国立大学だけを所管し、あとはすべて地方に移管すればいい。教科書検定も大学の設置審議もせんでよい。
◆さて、仕事、仕事
◆いま書いていて、明治の近代化は、むろん負の面はあるが、江戸期の社会のあり方、幕府権力は大きいが、各地は地方分権で、藩のことは藩の中でということで、それぞれが教育に取り組んだりした、その独自的なあり方が、社会変革への適応の基礎になったんかいな~、とも思ったりする。
◆逆に、明治に国家権力が強まり、全国的な教育制度が整い、それは近代化に大きな役割を果たすものの、それは戦争に向かうなかで皇民として死ねという教育のもと、多くがそれにさからうことなく出征し、1945年をむかえることになったともいえる。博物館実習展でやった、大阪商科大学の反戦レジスタンスが示すように、戦前の高等教育に学んだ者は、多くがなぜ戦争で人を殺し合わなければならないのか疑問をもっていた。
◆アイルランドの本の最後に書いてあったことを思い出す。集団化しやすいのは日本のような河川沿いに社会関係が形成される社会、一方、網状のブリテンなどでは広域の権力や顕在的な集団関係は見えない。しかし、日常は独自的でも、ある局面では力をあわす、そういう潜在的なパワーをもつ、ということだったか。そう、陸軍参謀本部の一部エリートが机上で作戦を立て、兵隊をコマのように動かし、多くが無駄に死んでいった日本軍と、連合国軍の違いにも対応するのかなと。広域の畑地+放牧地をもつ社会的に独立性の高い社会と、集団で稲作に取り組む日本の稲作が、個人や家族や地域のコミュニティーを尊重する社会と、出る杭は打たれる社会の差になっている、との指摘も面白い。
◆近代日本の中央集権的なあり方は、戦後の復興においてもある意味で持続し、それが高度経済成長をもたらし、一億総中流という社会を生んだが、これからは可能な限り分権化することだろう。連邦制だ。とはいえ、そういう社会関係が育つにも時間がかかるだろう。明治から150年、江戸時代のあり方は解体され、すっかり、国―都道府県―市町村という枠組みが強固になっちまった。でもまあ、教育でいえば、国は国立大学だけを所管し、あとはすべて地方に移管すればいい。教科書検定も大学の設置審議もせんでよい。
◆さて、仕事、仕事
冨田靖子の話はしましたっけ
◆まあ同世代、薬師丸ひろ子は1964年生まれ、斉藤由貴は1966年生まれ、冨田靖子は1969年生まれ、宮沢りえは1973年生まれ、だそうです。昔、斉藤由貴のファンでした。CDも2枚はある。冨田もよかったですね。変人らしいが。で、年末に、あさがきたの総集編を見ていて、実に久しぶりに冨田靖子を見て、感激した、そういう話です。
さて2月6日の土曜日
◆瓦の研究会があり、日曜日は播磨の埴輪の研究会があるが・・・。今日は2つは必ずやっつけようと。岩屋山と改新シンポの資料作り。
◆小学生で携帯もってるのも当たり前になってきているようだが、親がちゃんとしているところはガラケー、ほかはスマホとはっきり分かれるという。ゲームに走り、格差も広がると。
◆正社員化を進めることが正統。そうでないと、結局、犯罪が増え、生活保護が増え、経費がかかり続ける。ちゃんと人並みに暮らせる雇用にしていくことが目指すべき道。そうなったとき、使えない者ばっかりという現実もあるのかもしれない。だから、小中高そして大学、教育の底上げが基礎。うちの博物館科目に来ていただいている非常勤の先生は、市大の学生はちゃんと聞いてくれる、やりがいがあると、複数から聞く。うれしい。が、その対比として、ある私立大学の教員と話をしていて、本務校での授業の話などを聞く。まあ、愕然とする基礎学力のなさ、そういうところでは親との面談もあるが、この親にしてこの子あり、というのも歴然だと。
◆そうでない場合もあろうが、所得格差・教育格差は解消されることなく伝世する、というのがいまの日本なのである。文科省大学局の職員は、3流大学、あるいは底辺校の事務職に1年行ったらどう。グローバルとか、英語とか、なんとかとか、センター試験をいじるとか、中期目標を立てさせて自己評価し、外部評価も受けてとか。そんなことよりも今の大学の実態、すなわち義務教育を含めた日本の教育の現状を、まっとうに把握し、危機感を抱き、そこからどうすればいいのかを真剣に考えるのが仕事ですよ。90°、60°、30°の直角三角形の辺の比は、2:1:ルート3なんです。そんなことも覚えていない工学部生がいて、会社に就職していく。
◆これもどことは言わないが、ヒマにして仕事をしない男正社員、めっちゃ働く派遣のおばちゃん、そういうところもある、これも現実。
◆小学生で携帯もってるのも当たり前になってきているようだが、親がちゃんとしているところはガラケー、ほかはスマホとはっきり分かれるという。ゲームに走り、格差も広がると。
◆正社員化を進めることが正統。そうでないと、結局、犯罪が増え、生活保護が増え、経費がかかり続ける。ちゃんと人並みに暮らせる雇用にしていくことが目指すべき道。そうなったとき、使えない者ばっかりという現実もあるのかもしれない。だから、小中高そして大学、教育の底上げが基礎。うちの博物館科目に来ていただいている非常勤の先生は、市大の学生はちゃんと聞いてくれる、やりがいがあると、複数から聞く。うれしい。が、その対比として、ある私立大学の教員と話をしていて、本務校での授業の話などを聞く。まあ、愕然とする基礎学力のなさ、そういうところでは親との面談もあるが、この親にしてこの子あり、というのも歴然だと。
◆そうでない場合もあろうが、所得格差・教育格差は解消されることなく伝世する、というのがいまの日本なのである。文科省大学局の職員は、3流大学、あるいは底辺校の事務職に1年行ったらどう。グローバルとか、英語とか、なんとかとか、センター試験をいじるとか、中期目標を立てさせて自己評価し、外部評価も受けてとか。そんなことよりも今の大学の実態、すなわち義務教育を含めた日本の教育の現状を、まっとうに把握し、危機感を抱き、そこからどうすればいいのかを真剣に考えるのが仕事ですよ。90°、60°、30°の直角三角形の辺の比は、2:1:ルート3なんです。そんなことも覚えていない工学部生がいて、会社に就職していく。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。