人を幸せにする人になろう

N先生

◆O大学のN先生は、大学1年次に向日市の物集女車塚で一緒に発掘をして以来、いろんな関わりが続く。個人的な相談に行ったこともある。が、やはり学問的な目標として、常に自分の基軸になってきたように思う。先生の書いたものは、なにかと繰り返し読んだりする。専門をむろんちゃんともち、新たな方法や手法を求めることにも意欲的、方法論を大事にする、世界的な学問的な潮流も把握する、そしてブリテンやアイルランドのことを学び、日本の古墳時代の相対化や、地域地域で自然的条件と歴史的な過程を重ね、独自の文化ができていく、そのメカニズムの解明や、それぞれの独自性こそが変化に適応する力となることなど、その問題関心のあり方に、いつも刺激を受ける。
◆いま書いていて、明治の近代化は、むろん負の面はあるが、江戸期の社会のあり方、幕府権力は大きいが、各地は地方分権で、藩のことは藩の中でということで、それぞれが教育に取り組んだりした、その独自的なあり方が、社会変革への適応の基礎になったんかいな~、とも思ったりする。
◆逆に、明治に国家権力が強まり、全国的な教育制度が整い、それは近代化に大きな役割を果たすものの、それは戦争に向かうなかで皇民として死ねという教育のもと、多くがそれにさからうことなく出征し、1945年をむかえることになったともいえる。博物館実習展でやった、大阪商科大学の反戦レジスタンスが示すように、戦前の高等教育に学んだ者は、多くがなぜ戦争で人を殺し合わなければならないのか疑問をもっていた。
◆アイルランドの本の最後に書いてあったことを思い出す。集団化しやすいのは日本のような河川沿いに社会関係が形成される社会、一方、網状のブリテンなどでは広域の権力や顕在的な集団関係は見えない。しかし、日常は独自的でも、ある局面では力をあわす、そういう潜在的なパワーをもつ、ということだったか。そう、陸軍参謀本部の一部エリートが机上で作戦を立て、兵隊をコマのように動かし、多くが無駄に死んでいった日本軍と、連合国軍の違いにも対応するのかなと。広域の畑地+放牧地をもつ社会的に独立性の高い社会と、集団で稲作に取り組む日本の稲作が、個人や家族や地域のコミュニティーを尊重する社会と、出る杭は打たれる社会の差になっている、との指摘も面白い。
◆近代日本の中央集権的なあり方は、戦後の復興においてもある意味で持続し、それが高度経済成長をもたらし、一億総中流という社会を生んだが、これからは可能な限り分権化することだろう。連邦制だ。とはいえ、そういう社会関係が育つにも時間がかかるだろう。明治から150年、江戸時代のあり方は解体され、すっかり、国―都道府県―市町村という枠組みが強固になっちまった。でもまあ、教育でいえば、国は国立大学だけを所管し、あとはすべて地方に移管すればいい。教科書検定も大学の設置審議もせんでよい。
◆さて、仕事、仕事

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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