人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
13日は難波宮研
◆外交にかかわる文献側の報告、中国都城との比較の報告、難波京にかかわる報告の3本。勉強になりますわ。とくに難波京の報告は、大阪市の調査でどこまで谷を埋めているのか、埋めていないのか、わかっている状況を概略知ることができる。願わくば、きちんと方格が書いてある復原図でなく、切るところは切った形の奈良時代条坊の推定復原図が欲しい。
◆終了後、いわし亭で呑む。寒いし、熱燗を飲み過ぎ・・・、五位堂まで行く・・・。
◆終了後、いわし亭で呑む。寒いし、熱燗を飲み過ぎ・・・、五位堂まで行く・・・。
植民地用語のオンパレード
◆まずシラバス。授業計画でなんで悪い。
◆コンプライアンス。法令遵守。
◆ガバナンス(文部省はじめ役所の好きな好きな言葉)学内「統治」?。
◆アドミッションポリシー。これはなんだっけか、どういう入学者を求めるか、というやつだっけか。
◆ディプロマポリシー。組織としての教育理念、みたいなもん?。
◆ステークホルダー。もとは金銭的利害関係者のことらしい、株主とか。大学で言うというと誰やねん。そんな言葉を使わなあかんのか。このステークホルダーと大学で検索すれば、わが社がでるらしい。
◆インターンシップ
◆うちは関係ないけどリメディアルというのがあるそうな(高校卒業能力を確保するための大学が押しつけられている補習)。
◆エビデンス(成績の根拠となる原資料)
◆シナジー効果 なんやそれ
◆コンプライアンス。法令遵守。
◆ガバナンス(文部省はじめ役所の好きな好きな言葉)学内「統治」?。
◆アドミッションポリシー。これはなんだっけか、どういう入学者を求めるか、というやつだっけか。
◆ディプロマポリシー。組織としての教育理念、みたいなもん?。
◆ステークホルダー。もとは金銭的利害関係者のことらしい、株主とか。大学で言うというと誰やねん。そんな言葉を使わなあかんのか。このステークホルダーと大学で検索すれば、わが社がでるらしい。
◆インターンシップ
◆うちは関係ないけどリメディアルというのがあるそうな(高校卒業能力を確保するための大学が押しつけられている補習)。
◆エビデンス(成績の根拠となる原資料)
◆シナジー効果 なんやそれ
もひとつ
◆もひとつ重要なことを忘れていた。日本の都城の最大の特徴は、朝堂院にあるということ。中国ではもっとシステムが早くからできあがり、中書省と門下省、そして官衙があればいいのでしょう。だけれども日本では、それ以前の口頭伝達行為、あるいは合議体制の名残というのか、あるいは(王墓と同様に)大王権威を見せつけることがまだ必要だったのか、本格的宮殿を建設しようという際に、朝堂院を付設することになったという点が、古墳時代から律令制に移行する際の、日本的変容として、とても面白いことなんだろうと、思った次第。
雑用が多すぎるぅぅぅぅぅぅぅ!
◆18時から4時間さあやるぞと思いきや、メールをチェックするとそうはさせてはくれません。あのデータはどこやったかいな。調査票を出して、この返事して、と時間は過ぎていきました。
思いつきですが
◆授業で都城の本を読んでいるのですが、宮の構造の変遷なんてまったくの門外漢。が、まあ平城宮を掘っていた経験からの知識くらいはある。本題はさておき、前期難波宮の内裏前殿をなぜ大極殿とよばないんでしょうか。それがわたしには理解できません。おそらく文献で大極殿という名前が出てこないからでしょうか。浄御原宮からだと。あるいは藤原だと。が、藤原大極殿に対し、前期難波宮を内裏前殿とよぶ理由はとくにない。内裏前殿→大極殿という変化を示すために、内裏前殿とよぶのかもしれないが、前期の南の部分が朝堂院なら、正殿たる内裏前殿は大極殿とよぶべきで、そのなかでのあり方の変化をたどるのが実際的である。16朝堂の成立とセットであり、それ以前の王宮から飛躍した難波宮こそ、大極殿成立の画期である。朝堂院といった名前だって記録に現れるのは後のことで、だけど平城のものを朝堂院とよびますよね。それなら内裏前殿は形態・機能から大極殿とその時点から学問的にはよび、殿舎の名前としての大極殿はこれこれが初出である、という説明の方が適している、と思う。
◆で本題。今日の履修生の報告で、平城の中央区・東区について、ふと、これ政祭分権王制と結びつくのではないか、と思ったのである。政務の場である東区に対し、(長安含元殿の話はよくわからなかったが)、中央区の4朝堂をもつあんなものを伴うもう1セットを平城で設ける理由がわからんわけです。即位や元日朝賀という儀礼の場である中央区、それはかつての国家的祭礼と統治という別機能を2人が担っていたことと、なにか通じるように思われてならない。どんなもんでしょうか。
◆で本題。今日の履修生の報告で、平城の中央区・東区について、ふと、これ政祭分権王制と結びつくのではないか、と思ったのである。政務の場である東区に対し、(長安含元殿の話はよくわからなかったが)、中央区の4朝堂をもつあんなものを伴うもう1セットを平城で設ける理由がわからんわけです。即位や元日朝賀という儀礼の場である中央区、それはかつての国家的祭礼と統治という別機能を2人が担っていたことと、なにか通じるように思われてならない。どんなもんでしょうか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。