人を幸せにする人になろう

条里制の論文を!

◆仕上げにかかっています。ずいぶん前にいろんな本を読んで、根拠になるものをいろいろと集め たが、原稿に書き込んでいたものはよいが、出典をメモしていないものは、もはや思い出せないし、本を繰り直す余裕はない。編集から催促が来たので、ここ2週間ほど、時間を作り、和泉市の話も組み込み、だいたい書いていたものの手直しもほぼ終わり、最終のまとめのところまでこぎ着けた。ほかにやるべきことが山積しているが、本日のうちに、まとめまで書き上げたい。そこまでやっておいて、あとは仕上げという区切りまでやっておいて、雑用の片付けに進むのが15日の目標。
◆図はモノクロ用に加工しなければならないが、新規で仕上げないといけないのは河内の条里くらいで、あとは既存図や既に作成を終えており、枠取りは可能。註も書いてきている。参考文献やね。めんどくさい・・・
【追記】2014年11月15日14時、いちおう本文を最後まで書き上げました。頁総数28頁となりました。次は『歴史科学』の陵墓の原稿!

年内解散だって

◆自爆して欲しいですね。

レキハク共同研究で群馬へ

◆出張は金・土・日。金は朝からなので前泊。木曜日、火曜日の振り替え授業で5限(17:50終了) のあと、高崎にむかう。ホテルに入ったのは23時過ぎ。
◆翌日レンタカー屋8:30集合に、恥ずかしながら、遅れる。すいませんでした。浅間山、綿貫観音山、元島名将軍塚、三ツ寺、北谷、昼、高塚、中筋、金井東裏遺跡、金井なんとか、群馬県マイブン事業団、伊香保温泉泊。翌日は、朝予定より早く出発し、黒井峯、それから、かみつけの博で研究会、16時解散。3日目は、群馬の古墳巡り、朝から晩まで、でした。
◆詳しく書いている余裕が今回もないかもしれません。ひとまず行程を。写真は伊香保での、食事後、露天風呂に入ったあとの、幹事室での宴会で用意いただいた地酒です。

文化庁報告

◆古巣の文化庁からなにか送られてきて、なんだろうと思ったら、埋蔵文化財に関する調査研究の 報告書で、体制についてまとめたものであった。やめてから送ってもらったことがないのに、今回、この体制にかかわる報告書をわざわざいただいたことに、まず感激し感謝したい。
◆かばんに入れ、明日からの群馬出張の折にでも、ちらちらと読んでいこうと思います。ご配慮ありがとうございました。

ちょこまかと

◆久津川車塚のトレースをする。線路沿いはだいたい埋まったが、埋めたつもりが、墳丘斜面側に 穴がまだある・・・。課題を整理しておいたつもりなのだが・・・。まあしかし、なんとか進んではいる。あと3日あれば、線路西側の史跡地は完了しそう。
◆線路東側はまったく足をはこんだこともないが、面積はあるが基本的に平地なので、4日程度か。まあ、年末年始で完了としたいもの。2月から発掘である。

久津川車塚2014年11月4日

自分+山口+佐藤+土井(14:00~)9:00~16:45 はれ
◆D4の紙。東くびれ部の残り。線路の土盛りとの間の凹部、その残り南側を埋める。
◆前方部東側面に移動。まずは伐採。P56を新たに打ち、基準点測量。そのあとD3の紙ももち、上から、既存の点を確認し、修正しつつ下に降り、東側のD4についても線路際まで埋めて完了する。→昼飯。
◆午後、前方部西南隅部に異動する。基準点をどこに打つかを検討し、西南稜線上のP48に機械を据え、BSをP47とし(いずれも既存白杭)、新たにP58を求める。まずは伐採をかける。ようよう、P58に据えて測量を始め、オレは伐採を続けるも、測量がヘンであることが判明し、自分の出した基準点の値がおかしいことが判明、やり直す。P58を再度座標・水準を出して、改めて測量にかかる。敷地の輪郭と、前方部前面の崖面の等高線をいくつか入れたところで終了する。中軸よりのコンクリート基礎の建物跡背後の斜面は、P58ではなかなかしんどい。というよりも、伐採した竹などがくぼみを埋めるように既に積み上げられており、下が見えない状態で、また墳丘裾の崖面の等高線を測るには、さらに伐採をかける必要がある。それと、逆に西側については、さらにE1の紙を用意する必要がある。区切りもあるので、ここで撤収する。

久津川車塚2104年11月3日

◆天気良し。自分+土井(~16:00)+佐藤+左海(~12:00)。
◆マシンは昨日に引き続きP9。紙C4。34m、33.75m、33.5mと、北側の残存分を処理。
◆午後、3人で伐開。x-865からX-875あたりの線路沿い。高まりを入れ、等高線を入れ、これで限界。少し埋まらない範囲を残すが、あとはなんとか、内業で作図すれば済むか?。
◆しかるのち。東くびれ部の穴(未身測量部)に移動。まずは3人で伐開。そののち、マシンはP42に据える(BS:P8)。まず、C4の紙の端部分。線路際の等高線。前の測量がおかしいところを、35.5m以下、33.75までを埋める。紙をD4に変えて、線路と墳丘裾との間の窪みを埋める。
◆しかしこれも限界。16:00土井さん帰り、佐藤と2人で南側の伐開。16:30。そのあと、切り開いたぶぶんの測量にかかるも、いいところまできたが、日没リングアウト。まあ、暗いのである。あと小1時間くらいの仕事が残ってしまう。まあ、仕方なし、明日は続きから、ということにしよう。

久津川車塚11月2日

◆自分+土井+山口+佐藤。9:00~17:00。今回はソキアのマシン。
◆まず、昨日打設した3本の新規杭の基準点測量。
◆そのあと、まずB4。新たに作ったP54にマシンを立てる(BS:P9)。高さ36.75mから下げていき、前に測っていた33mまで無事に接続する。そのあと、畑地の残り部分を測量し、JRの法面を測量し、いちおうこの紙は簡潔。鉄道の線路敷きの向こう側もやるべきだったのだが・・・。
◆そのあと、C4の紙。マシンはP9に据える。以前に36mまでは測っており、線路敷き沿いの崖面を、35.75mから34mまで、北側について入れていき、日没。
◆本日は4人いたので、やはり1日伐採を続け、測量環境と整える。50歳にしては、いい運動である。

明日から久津川車塚

◆学祭もあり、土曜日から火曜日まで4日あるので、久津川の測量にでかける予定。が、天気は良く ないよう。いま21:14。ぜんぜ ん準備していないわ。さっさと。
◆黄色をなんとか。
【追記】出撃したんですけど雨ですわ。

10月31日は卒論中間発表会

◆出席できない1名をのぞき、8名が報告。考古1、中世3、近世2、近現代2。考古は前方後方墳です わ。こういう機会はあった方がいいですね。レジュメの作り方なども、自分のを顧みることになるだろうし。むろん、中身、進捗の程度、詰められ方などなど、いろいろ意識することだろう。同一学年は運命共同体。切磋琢磨の学年は、全体が伸びていったりするし、逆もまたしかりであろう。こんなところでええか、というのがいちばん困るわけである。
◆あと2ヶ月程度、人生でいちばん勉強したというくらいやって、自分に挑戦せよ。やる時にやらんやつは、人生、いつもがんばれませんよ。どこまで到達できるか、その差の開きはかなりのものである。しかし、そのエンジンは、やってて面白い、わかってきたり、発見したりすることの喜びであろう。まずなりよりも対象が好きで、面白く、やっていて楽しいモノでないとだめ。いろんな作業をしたり、史料を読み、表をつくったり、それはひとつひとつシンドイことだが、それで進んでいくことの達成感ですよね。自走してくれればいいのですが。去年の考古/古代史のOさんは、ひとりで進んでいきましたよ。あれもせなこれもせな、と。きっと前はそういう人が多かったんでしょうね。そういう場合は、報告を聞いて、考えるところを話せばよい。が、いまはそうでない者も多いわけだ。何をやりましょ、どうやりましょ・・・。自走しない。補助輪をつけて押してやらんと走り始めない。指導が悪い・・・のかもしれませんが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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