人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ニサンザイ調査の感想
◆今回、レーザー測量の図面が堺市のリーフレットに使われていて感動。いや~、すごい。で、まあよく残っているわけだ。そこに19箇所のトレンチが入っていて、テラスがあり、埴輪があり、中段裾の葺
石があると。こうした多数のトレンチを入れてテラスばっかり掘ることには疑問もあるが、いろいろ書いてきたし繰り返さない。一定の理解もできる。が、1シーズン3ヶ月弱でやる調査として過大ではないのかという反対意見は、7月懇談会時にもあった通り。その心配は当たっていないこともないように思う。半分に分け、各トレンチをより入念に調査すべきだろう。
◆個々のトレンチの判断は詳細には語れないので、全体の印象。転落石や埴輪片が出る流土と思われるものを除いていき、多くのところで埴輪が宙に浮いてしまっている。埴輪は掘形がなく据え付けたものであるらしい(御廟山でもそうらしい)。据える前の面があり、割り付けをして並べ、そこにテラス面の仕上げ土を入れるんだろう。なので充填する土は、それより下位の盛土の締まりよりはやわらかいんだろう。すなわち動きやすいようだ。
◆確かに基部あたりでも埴輪片が出ている。なかなか判断は難しい。全体がずっていて、埴輪片も落下し、検出状況としては、ああならざるをえない箇所もあるのだろう。しかし据え付け時に埴輪が欠け破片が充填土のなかに入る場合も想定できる。あるいは明らかに掘り過ぎと思われる調査区もあった。
◆据え付け穴がなくこうした設置方法を採るものの調査なんてしたことはないし、難しいんだろうな~、と思う。が、し
かし、埴輪片が入っているので掘り進め、底部まで露呈してしまうとすれば、ちょっと待てよ、となる。あるいはそうした設置方法とすれば、残りのいいところであれば、残存面と考えられるところで止め、半分とか壁寄りで接地面を検出する、といった姿に仕上げることが考えられる。そこは試行錯誤の上に、現場で妥当な判断を導いていく必要がある。難しいのは理解できる。そういう意味で、2回に分けて、次年度、そういう経験をふまえて残りに望む、ということがあっていいのではと感じる。
◆ことは全国第7位の前方後円墳である。あんまり言うとさしさわりもあろう。が、それだけの経験と能力をつぎこんで、この最大級の古墳に慎重に対峙してほしい。埴輪があればカッコいいし、成果が上がっているように見える。致命的になにかを壊したというものでもないかもしれない。こっちとしてもエエモンを見せてもらっているという面もある。中断裾がありテラス面があり埴輪が立っているという当たり前の情景の細部に、実は難しい面があったようだ。
◆説明を聞いていて悩みもわかったし、意見の違いもあるようだ。是非とも、議論して、それぞれの調査区での検出状況がこう説明できると解明してほしい。
【追記】当初の記事に事実誤認や不適切な発言がありました。心よりお詫び申し上げます。
◆個々のトレンチの判断は詳細には語れないので、全体の印象。転落石や埴輪片が出る流土と思われるものを除いていき、多くのところで埴輪が宙に浮いてしまっている。埴輪は掘形がなく据え付けたものであるらしい(御廟山でもそうらしい)。据える前の面があり、割り付けをして並べ、そこにテラス面の仕上げ土を入れるんだろう。なので充填する土は、それより下位の盛土の締まりよりはやわらかいんだろう。すなわち動きやすいようだ。
◆確かに基部あたりでも埴輪片が出ている。なかなか判断は難しい。全体がずっていて、埴輪片も落下し、検出状況としては、ああならざるをえない箇所もあるのだろう。しかし据え付け時に埴輪が欠け破片が充填土のなかに入る場合も想定できる。あるいは明らかに掘り過ぎと思われる調査区もあった。
◆据え付け穴がなくこうした設置方法を採るものの調査なんてしたことはないし、難しいんだろうな~、と思う。が、し
◆ことは全国第7位の前方後円墳である。あんまり言うとさしさわりもあろう。が、それだけの経験と能力をつぎこんで、この最大級の古墳に慎重に対峙してほしい。埴輪があればカッコいいし、成果が上がっているように見える。致命的になにかを壊したというものでもないかもしれない。こっちとしてもエエモンを見せてもらっているという面もある。中断裾がありテラス面があり埴輪が立っているという当たり前の情景の細部に、実は難しい面があったようだ。
◆説明を聞いていて悩みもわかったし、意見の違いもあるようだ。是非とも、議論して、それぞれの調査区での検出状況がこう説明できると解明してほしい。
【追記】当初の記事に事実誤認や不適切な発言がありました。心よりお詫び申し上げます。
ニサンザイ同時調査と宮内庁の限定公開
◆中百舌鳥駅につき、土地勘もあるから歩いていけば行き着くだろうと、地図は見ていたがもたずに歩き始める。なかな
か古い良い道があるではないかと選ぶと、西高野街道だった。ちょっと想定とは方角が違っていたが、わかっていなかった。歩いていくと、大阪府立大学に出る。だいぶ東寄りだった。とにかく四角いキャンパスの一辺を反対側まで行かないといけない。時間は1230ぎりぎりに間に合いそう。進むと、ニサンザイの例の墓地が見えてきて、ほぼちょうどの時間にだどりつく。
◆まず学会側で出席確認、考古学研究会の担当からの説明。宮内庁からA3のいつものごく簡単な資料、そして堺市の土日用のカラー4頁の資料をいただく。で、まず遺物を見る。埴輪はヨコハケがビシバシ美しい。須恵器・甕あり。造り出しの小壺や鏡形土製品などがならぶ。すべて堺市さんのリーフレットに写真出てます。
◆それから下段上面テラスを一周し、19カ所の調査区を、後円部側から時計回りにめぐる。そのあと、堺市さんの2カ所の調査区の説明を受ける。
◆終了後、堺市博物館へ歩いて移動して検討会(1630~)。いまやっている列島展+地域展を1730の終了後に見せていただき、百舌鳥駅前で反省会(飲み会)。0歳児も参加する。
◆さて、あすあさって、1日5000人先着順で公開するとのことだが、たいへんだろうな~。
【追記】写真は堺市調査区見学風景。あす、ここをみなさん歩くことになる。
◆まず学会側で出席確認、考古学研究会の担当からの説明。宮内庁からA3のいつものごく簡単な資料、そして堺市の土日用のカラー4頁の資料をいただく。で、まず遺物を見る。埴輪はヨコハケがビシバシ美しい。須恵器・甕あり。造り出しの小壺や鏡形土製品などがならぶ。すべて堺市さんのリーフレットに写真出てます。
◆それから下段上面テラスを一周し、19カ所の調査区を、後円部側から時計回りにめぐる。そのあと、堺市さんの2カ所の調査区の説明を受ける。
◆終了後、堺市博物館へ歩いて移動して検討会(1630~)。いまやっている列島展+地域展を1730の終了後に見せていただき、百舌鳥駅前で反省会(飲み会)。0歳児も参加する。
◆さて、あすあさって、1日5000人先着順で公開するとのことだが、たいへんだろうな~。
【追記】写真は堺市調査区見学風景。あす、ここをみなさん歩くことになる。
3連休も終わってしまい11月も末日
◆23日に福山に行ったわけだが、24日の土曜日は1日、和泉市史の原稿。
◆が、結局なにをやっていたかというと、大
阪府の1961年の1/3000の地図の等高線をなぞって終わっていく。条里はやったわけだが、そこに地形をちゃんと組み込まなあかん、で3D化もしたいと思う。そこに灌漑水路を組み込み、地域圏の復元を行い、その枠組みがいつまでさかのぼるかをみたい。が、状況はそんなに甘くはない。いいことなんだが、もっと早くやれよ、という話になる。いまとなっては、そんなことやってるよりも、とにかく原稿を書かないといけない。
◆25日の日曜日、この日、結局、出勤せず、ユニクロに行って買い物をして、家の片付けをすることになるが、カミさんと大げんかとなり、昼間から酒をくらって、フテ寝とあいなった。ああ、何をやってんだろうか。
◆月曜日、模擬展示のため、この日も大学史資料室に行き、資料のスキャンをやる。受講生も次々にやってきては、あれとこれをスキャンしてくれと、発注される。火曜日の2コマをこなし、水曜日は、学部の演習後、卒論演習に突入するが、終わらず、和泉市史の方の来訪(3週間でとにかく書くことに・・・)、次いで理学部院生との相談。木曜日は博物館実習の5限にむけて、解説パネル・キャプション等を整え、授業に突入、このところ90
分で終わるはずもなく、模擬展示の打ち合わせが続く。
◆で金曜日、朝、卒論生1名の相談、それから大学史資料館に資料借り出し等の申請書をもって行き、12月6日の展示設営の打ち合わせをやっていると、おっと11時30分に。このままだと遅れるので切り上げ、杉本町から中百舌鳥へむかう。12:30、土師ニサンザイの現場事務所集合で、今日は宮内庁の学会側への限定公開。
◆あわただしく日が過ぎてゆき、片付いていないことが多いが、しかし、12月6日にむけて全力投入するほかはない。
◆が、結局なにをやっていたかというと、大
◆25日の日曜日、この日、結局、出勤せず、ユニクロに行って買い物をして、家の片付けをすることになるが、カミさんと大げんかとなり、昼間から酒をくらって、フテ寝とあいなった。ああ、何をやってんだろうか。
◆月曜日、模擬展示のため、この日も大学史資料室に行き、資料のスキャンをやる。受講生も次々にやってきては、あれとこれをスキャンしてくれと、発注される。火曜日の2コマをこなし、水曜日は、学部の演習後、卒論演習に突入するが、終わらず、和泉市史の方の来訪(3週間でとにかく書くことに・・・)、次いで理学部院生との相談。木曜日は博物館実習の5限にむけて、解説パネル・キャプション等を整え、授業に突入、このところ90
◆で金曜日、朝、卒論生1名の相談、それから大学史資料館に資料借り出し等の申請書をもって行き、12月6日の展示設営の打ち合わせをやっていると、おっと11時30分に。このままだと遅れるので切り上げ、杉本町から中百舌鳥へむかう。12:30、土師ニサンザイの現場事務所集合で、今日は宮内庁の学会側への限定公開。
◆あわただしく日が過ぎてゆき、片付いていないことが多いが、しかし、12月6日にむけて全力投入するほかはない。
府中市歴史民俗資料館
◆祝日休館でした・・・。とほほ。ネットから
考古資料(出土遺物)の展示。第1展示室は縄文~古墳時代、第2展示室は備後国府 跡を中心に奈良・平安時代、とそれぞれの時代を生きた人々が遺したものをとおして、この地域の原始・古代史を解説しています。
この建物は、1903年に竣工した旧芦品郡役所庁舎です。旧芦品郡役所庁舎 この建物は、均整のとれた全体のプローポーシヨン、しっくい壁に隅石風の飾り、胴蛇腹・窓枠・ひさし・玄関(車寄せ)軒等の飾り、内部 ではド ア、手すりのデザイン等、明治前期に建てられた洋風建物をよく観察し勉強して作られた擬洋風建物です。
当時、芦品郡随一の繁華な通りに建てられました。しかし、郡制は短命に終わり、郡役所も1926年に廃止され、以後県の出先事務所等に利用されてきました。
1976年、道路拡幅に伴い取り壊しの準備が進められていました。そのころ、旧制府中中学(現府中高校)の立派な洋風建物が取り壊されたばか りで、街のランドマークのような建物が相次いで消滅してしまう事態に、建物を保存することができないか、多くの市民が参加し保存運動が展開されました。そ の結果、移築保存がかない、歴史民俗資料館として使われることになりました。
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プロフィール
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雲楽
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1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。