人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
11月1日と2日?の尖閣と竹島の記事
◆両日の新聞を取っておいたが、でかいので、ネット配信の記事を保存しておこうかと、いろいろいじっていたのですが、結局はやめた。新聞そのものを取っておくことにした。画像はネットだとカラーなので、地図の部分を拝借する。

◆基本ノーコメントだが、竹島に関して、明治政府は、日本でなく関知しないという姿勢をとっていたようだ。で、1900年の韓国の勅令と1905年の日本の編入の閣議決定が問題となるようだ。まあ併合へ向かう時期にあるので、それが問題とされる。『嫌韓流』を見ると、1877年の太政官指令「竹島外一島の件は日本と関係がないと心得るべし」という話は紹介されていない。
◆1954年に、韓国が沿岸警備隊を派遣し、8月には海上保安庁の巡視船が銃撃を受ける事件もあったとのこと。
◆なお、名古屋大池内氏は、1900年前後に鬱陵島の人々が竹島周辺で漁をしている事実を韓国側が掘り起こそうとしていることを紹介し、1905年の編入の直接契機となった隠岐の実業家の働きかけも、こうした漁場をめぐる競合を背景としていた可能性があること、それ以前に韓国が自国領と考えていた可能性などを指摘している。
◆基本ノーコメントだが、竹島に関して、明治政府は、日本でなく関知しないという姿勢をとっていたようだ。で、1900年の韓国の勅令と1905年の日本の編入の閣議決定が問題となるようだ。まあ併合へ向かう時期にあるので、それが問題とされる。『嫌韓流』を見ると、1877年の太政官指令「竹島外一島の件は日本と関係がないと心得るべし」という話は紹介されていない。
◆1954年に、韓国が沿岸警備隊を派遣し、8月には海上保安庁の巡視船が銃撃を受ける事件もあったとのこと。
◆なお、名古屋大池内氏は、1900年前後に鬱陵島の人々が竹島周辺で漁をしている事実を韓国側が掘り起こそうとしていることを紹介し、1905年の編入の直接契機となった隠岐の実業家の働きかけも、こうした漁場をめぐる競合を背景としていた可能性があること、それ以前に韓国が自国領と考えていた可能性などを指摘している。
11月3日パソコン設定
◆おおよそ新マシンの環境設定はできていたが、それぞれの能力に応じてデータを配置し、バックアップを取って、午後
が暮れていった。5年前には考えられないこと。かつて加東郡社町の整理事務所にお邪魔したとき、半分は土器を接合したりするスペースだが、残り半分はすべてパソコンがならぶ姿に感動した。遺構図も遺物もすべてデジタル、これ90年代後半だったように思う。役所の古いパソコントかもらってくるんだと、おっしゃっていたことを思い出す。それから10年以上、オレの研究室もパソコンが4台ならぶ仕儀となった。それはそれでいいのだが、遺物をさわることを忘れてはならない。長らく玉3の埴輪の接合も止まっているが、遺構図のトレースも始めたし、第3次調査分の接合作業を再開しなければならない。
◆そんなんで、阪南大の資料を作ったり、火曜日の授業の準備をと思いつつ、部屋も片付けつつ、パソコンまわりの環境整備となった。まあ、すっきりした。
◆そんなんで、阪南大の資料を作ったり、火曜日の授業の準備をと思いつつ、部屋も片付けつつ、パソコンまわりの環境整備となった。まあ、すっきりした。
博学連携講座
◆昨日2日、大阪市博物館協会と大阪市大の包括連携協定にもとづく考古学の講座4回の1回目、トップバッターでオレがやる。「大阪市の古墳を考える」というタイトルだが、前半は古墳時代概説みたいなものにしたが、2/3を占める。最
近は、詰め込みすぎでいつも失敗している。今回もそうではあるが、まあ、適当に切り上げ、御勝山、茶臼山、帝塚山の話をする。
◆ほんとうは
、帝塚山を測量したので、あの住吉大社近辺の古墳群をきちんと報告するというのは、必要な仕事なので、やってみたかったが、それを準備する余裕はなかった。とはいえ、現存、伝承、地名、といったものを整理列挙する作業で、確実なことはほとんどわからないので、全体として、じゃーこの古墳群はどう評価できるんや、と言われても、なかなかしんどいのではあるが。
◆2000年の時の帝塚山測量時の資料を引っ張り出してきたが、『市大日本史』に書いた筋を話すくらいしかできなかった。御勝山・茶臼山・帝塚山とも、研究を進めるには、発掘しかないだろう。どれひとつ、あんまり確かなことがわかっていないのだから。
◆ひとまず、帝塚山については、『市大日本史』をふまえ、小さな冊子くらい作って、うちの測量図の普及をめざしてもいいかもしれない。印刷屋が簡易印刷にしたもんだから雑誌の図面はダメ。抜き刷りの時にちゃんと印刷させたが、そういう次第で、どこぞで『市大日本史』を見つけてコピーしてもらっても、図面は使えない状態なのである。
◆ほんとうは
◆2000年の時の帝塚山測量時の資料を引っ張り出してきたが、『市大日本史』に書いた筋を話すくらいしかできなかった。御勝山・茶臼山・帝塚山とも、研究を進めるには、発掘しかないだろう。どれひとつ、あんまり確かなことがわかっていないのだから。
◆ひとまず、帝塚山については、『市大日本史』をふまえ、小さな冊子くらい作って、うちの測量図の普及をめざしてもいいかもしれない。印刷屋が簡易印刷にしたもんだから雑誌の図面はダメ。抜き刷りの時にちゃんと印刷させたが、そういう次第で、どこぞで『市大日本史』を見つけてコピーしてもらっても、図面は使えない状態なのである。
卒論中間報告会
◆11月1日、学園祭の初日だが、卒論中間報告会。考古(道上)・古代(茅野)・中世(石川)・近世(木上)・近現代史(豊田)の各1名が50分で報告。けっこう参加者は多かったが、3回生があまりいないのは問題。終了後、報告者とゴクローサン会ですこし呑む。みんな2日寝てないとかそういう状態。あと2ヶ月半くらい、これからが勝負ですよ。ここから飛躍していく。最後まで粘り、納得いくものを書き上げて欲しい。
◆前日から本体だけ新たに購入したパソコンのセッティングをして、イラレ・フォトショなどの認証をすこしいじったり。ソフトを1セット買わなあかんかとも思うが、やりくりして、ひとまずは様子を見よう。あとは、データそのものの配置をさらに調整し、バックアップもとっておこう。本日3日のハザマでやろう。
◆前日から本体だけ新たに購入したパソコンのセッティングをして、イラレ・フォトショなどの認証をすこしいじったり。ソフトを1セット買わなあかんかとも思うが、やりくりして、ひとまずは様子を見よう。あとは、データそのものの配置をさらに調整し、バックアップもとっておこう。本日3日のハザマでやろう。
臥薪嘗胆
◆呉か越か。むかし越王コウセンとか、呉王フサとか、漢文でならったもんだ。で、いまのオレは臥薪嘗胆。復讐を忘れないように胆をなめるという意味ではない。新しいステージに進むための頑張りどころという意味である。この年度と来年度で、大きな転換を図りたいと考えている。あと5ヶ月か。なんのこっちゃ、というところだろうが・・・。
ジョン=ダワーと『南京への道』
◆新聞にジョン=ダワー(『敗北を抱きしめて』の著者)へのインタビュー記事が載っていた。全体としてなるほど、とは思う。サンフランシスコ講和の時に、なによりも日本が戦争に区切りをつけるべき相手であった中国や韓国が加わっていなかったこと。終戦後、一定のケジメをつけるためにも数箇年は要するとして、それでも5~6年のうちに、日本の謝罪とともに、中国や韓国との話し合いで、諸問題の基本線を決めていないことが、引きずることになった要因で、それは米国が日本を組み込む戦略によるのだという理解である。
◆が、それだけではない、もっと根が深い。ヨーロッパ戦線、ユダヤ人への恐るべきホロコーストはあった。それは忘れてはならないにしろ、ドイツ兵がフランスを占領していた間にフランス人をむやみに虐殺したようなことは、だぶんなかったに違いない。いちおう、戦場での兵士同士の戦い。進軍の過程で、村々を占領しても、人を気まぐれに殺す、などはしていないだろう。国家の対立を戦争で決着させようとはしたものの、それは対ユダヤ人のように民族根絶などをめざしたようなことを、あっちゃこっちゃでやってはいまい。
◆が、日本はそうではなかった。朝鮮人を見下し、中国人を見下し、村や都市を焼き、食料を奪い、人を斬り殺し、突き殺し、強姦し、妊婦の腹を割き、赤子を燃える人家に放り込む。とほうもない恨(ハン)がある、ということを知る必要がある。南京大虐殺の議論の詳細や先端は知らない。しかし、それは何百万人だか、という数の問題ではないのだ。いうほど多くないということがもし正しいとしても、それが問題ではない。ふっかけでもない、正確に把握できない以上数字に開きができる。だが、過小評価したところで、それで免罪されるものではない。本多勝一の『南京への道』を久しぶりに読んでいるが、食い物や女を求め、占領した都市から出て近隣の村に行っては、入り口をたたき、出てきた人を片っ端から殺害している。目を覆うばかりである。日本人はそういうことをしてきたのだ。戦争だから、そういうこともあるというのでなく、日本人が対中国人だからこそやったのである。
◆南京大虐殺が虚構という人間は、証言やルポをまともに読んだことがあるのか。あるいは自ら違うということを取材し、裏を取り、日本軍は品行方正で正規兵としか戦わなかったなどと証明したのか。事実を追求することのない、虚構の願望に過ぎない。黄色人種のなかの強烈な差別意識、チャンコロとかといった蔑視語に表れる意識を、日本人は共有していたのである。それはどこぞの、こないだ知事を辞めたエラそうなオッサンは、そういう差別意識をず~ともっているわけだ。はっきり言って、オレらの親世代の多くはそうした意識があって、そういのは抜けないのである。で、いまのオレたちにそういう意識がない、と言い切れるだろうか。あいつらバカだという意識がいまなおありはしないか。
◆橋下市長も、『南京への道』くらい読んで欲しい。日本人が中国大陸で何をしたのか、なぜ日本に対して反日感情や敵対感情を抱き、それが薄れないのか、自ら考えることである。
◆が、それだけではない、もっと根が深い。ヨーロッパ戦線、ユダヤ人への恐るべきホロコーストはあった。それは忘れてはならないにしろ、ドイツ兵がフランスを占領していた間にフランス人をむやみに虐殺したようなことは、だぶんなかったに違いない。いちおう、戦場での兵士同士の戦い。進軍の過程で、村々を占領しても、人を気まぐれに殺す、などはしていないだろう。国家の対立を戦争で決着させようとはしたものの、それは対ユダヤ人のように民族根絶などをめざしたようなことを、あっちゃこっちゃでやってはいまい。
◆が、日本はそうではなかった。朝鮮人を見下し、中国人を見下し、村や都市を焼き、食料を奪い、人を斬り殺し、突き殺し、強姦し、妊婦の腹を割き、赤子を燃える人家に放り込む。とほうもない恨(ハン)がある、ということを知る必要がある。南京大虐殺の議論の詳細や先端は知らない。しかし、それは何百万人だか、という数の問題ではないのだ。いうほど多くないということがもし正しいとしても、それが問題ではない。ふっかけでもない、正確に把握できない以上数字に開きができる。だが、過小評価したところで、それで免罪されるものではない。本多勝一の『南京への道』を久しぶりに読んでいるが、食い物や女を求め、占領した都市から出て近隣の村に行っては、入り口をたたき、出てきた人を片っ端から殺害している。目を覆うばかりである。日本人はそういうことをしてきたのだ。戦争だから、そういうこともあるというのでなく、日本人が対中国人だからこそやったのである。
◆南京大虐殺が虚構という人間は、証言やルポをまともに読んだことがあるのか。あるいは自ら違うということを取材し、裏を取り、日本軍は品行方正で正規兵としか戦わなかったなどと証明したのか。事実を追求することのない、虚構の願望に過ぎない。黄色人種のなかの強烈な差別意識、チャンコロとかといった蔑視語に表れる意識を、日本人は共有していたのである。それはどこぞの、こないだ知事を辞めたエラそうなオッサンは、そういう差別意識をず~ともっているわけだ。はっきり言って、オレらの親世代の多くはそうした意識があって、そういのは抜けないのである。で、いまのオレたちにそういう意識がない、と言い切れるだろうか。あいつらバカだという意識がいまなおありはしないか。
◆橋下市長も、『南京への道』くらい読んで欲しい。日本人が中国大陸で何をしたのか、なぜ日本に対して反日感情や敵対感情を抱き、それが薄れないのか、自ら考えることである。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。