人を幸せにする人になろう

N先生の紀年論

◆読みました。さすがですね。そうなんでしょうね。が、雄略については、末年は489、つまりは古事記崩年干支に一致。『日本書紀』を問題にしており、古事記の崩年干支については直接的なコメントはない。
◆で、応神。385から425。しかし仁徳以下の雄略までの間の王、そこは延長紀年を認めるわけです。応神紀とそれらと、区別できるのだろうか(何の記事もない紀年が多いとか)。応神については41年の在位を認め、仁徳以下は認めない、極端にいえばそういうこと。応神紀年の41年が正しく応神の在位期間を示す、とみることができるのか。正確にいえば、延長紀年を考えるものと、こういう差があるから応神はいけるのだ、、という判断は示していない。
◆41年が正しいとすると、在位年は385から425になるという記述だったが、最後のところで、白石先生のいうように、誉田御廟山は応神墓でよいと断定になる。誉田御廟山は誰かさんが5世紀前半のまんなかくらいと言っており、応神没年の425年と合うやん、と。しかし、応神没が425年であると、まだ決められないと思う。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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