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人を幸せにする人になろう

2022年3月23日、加古川

◆母親のグループホームもまた、コロナで面会ができない。昨年秋あたり、ましになっている時期 も、1回に1人?2人?で15分とか、そんなんで、結局は長く行っていない。姉が地元にいてくれているので、着替えその他、日常のことを任せっきりになっている。
◆最近、皮膚科に行く必要が生じ、そうなると、家族さん連れて行ってくださいね、ということになる。1回で済まず、経過を見るのでもう1回という情報がラインで。これはチャンス。次はいつかを尋ねると今日だった。実は今日は、大学入試の判定の教授会があると、そのあと知る(オンライン教授会を聞いていないので)。これは大学でやる前期・後期の個別学力検査にコロナで行けなかった者の追試。それが昨日。で、即、今日、判定。そうしないと入学手続等が間に合わないので。去年も同じ状況だったが、該当者なしだったが、今年は発生したので、3月3回目の教授会が13:30から。
◆午前に病院に行くというので、久しぶりに電車に乗り、大阪駅から新快速で加古川まで。迎えに来てもらい、そのままグループホーム、それから東加古川の皮膚科へ。
◆おかげで長い時間、話をすることができた。恐ろしいのは「見たことあるんやけど、どなたさんでしたかね~」と忘れられること。でもそれは心配はなかった。けれど、車椅子生活が長くなり、足も細って、もう自力では難しいところまで来ている・・・。
◆東加古川11:28だったかで戻る。教授会会場に到着したのは13:31だったか。まあ、セーフ。
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2022年3月22日、伏見城

◆もろもろ片付けて、やっとこさ時間を作る。
◆尼崎市の『洛中洛外図屏風』の画像提供を依頼。その他、7つの『洛中洛外図屏風』の画像提供依頼状況につき整理。高岡のお寺さんと堺市博のもの、本文挿図と図版カラーに組み込み。第2章の4つの節の校正を依頼。第3章第4節と第5節の校正を依頼。第4章の3つの節の校正を依頼。第2章第4節の挿図を調整、これも校正を依頼。第3章本体についても点検を依頼する。第1章第4節の再校を送る。

続き

◆そこから加太に向かう。1度、友が島に渡ろうと、大阪側から行くも、風 が強かったのか、船が出 なかった。加太のイメージはほとんどなかったが、大観光地でした。
◆で、さきっぽの灯台をめざす。引き潮で、岩場が現れてきている。で、先端部は海食崖となり、砂岩と泥岩の互層で、傾きをもつ地層が露出、こういうのを見るとわくわくします。白亜紀後期だそうです。で、ある部分を見ると不整合面があり、これ断層とちゃうかなと。田倉埼灯台にも上がってみた。 
◆淡島神社に寄り、帰ることに。しかし、少し行くと砲台があるというので、上がっていく。深山(みやま)第1砲台というもので、いま和歌山県教委が発掘中であった。淡路由良側のものも見に行ったな。あとは友が島です。見晴らし良く、明石海峡大橋の写真を撮る。淡輪経由で帰ってきました。
◆そんなんでリフレッシュ。
 

2022年3月21日、休む

◆朝早く仕事に出たが、墓参りに行きたいとのことで、和歌山に向かう。 
◆墓参り後、大阪に戻ることもできたが、今日は遊ぶことに。
◆笠田の宝来山神社。紀の川市花岡青洲ミュージアム(2回目、フラワーヒルだって・・・)、道の駅が横にできたばかりで、はっさくなどを買う。名手本陣(写真)。紀の川市歴史民俗資料館。国分寺は前にも来たが、ここは入ってない。国分寺や古代人の瓦がならんでいる。郷土の近代を牽引し た人たちの紹介がある。その人の言葉。「村の発展に必要なのは田にあらず、畑にあらず、機具に あらず、金にあらず、常識のある人なり」。
◆海南市歴史民俗資料館。ここも道すがらあるのは知っていたが、これまで行けてなかった。休館だったが職員の方がいて、開けてもらい、展示を見る。で、井沢弥惣兵衛の展示がある。道すがら、この人の顕彰碑があるのは見ていた。この人の展示があった。紀州で、溜池を作り、用水路を掘ったりして地域の開発に尽力し、60歳で幕府に召し出され、以後、関東で活躍したことを知る。埼玉県行田市の見沼代用水のことなどが紹介されている。
◆そのあと黒江。黒牛茶屋で日本酒・黒牛を買い、街並みを歩く(2回目)。食事に黒江ぬりもの館に入る。前は正月などで、店なども閉まっていたんだろう。古民家を使った食事処はなかなかよい。また、裏通りから行ったが、表通りの大店も、飲食店になっていて(べっちんさん)、なかなかよい。話を聞くと、4年前にオープンしたのだとか。前来たときにはなかったように思う。

西陵もできそう

◆最近で、最初にやった西陵古墳の測量が完成していない。後円部背後の周濠が浅く土壌化しているあたりに下草などが繁茂し、堤にかけて、篠竹だったかが密生し、やれない範囲があったから。手ばかりでは到底無理で、業者に周囲を地上レーザーをやってもらったが、それでも無理。地上レーザーと空中レーザーでは、レーザーの違いがあるらしく、また地上マシンを据えて横からより、垂直からレーザーを飛ばす方の方がデータが取れるとのこと。
◆前に周囲の測量を頼んだ仕事の範囲で、できていなかったところはやりますので、と、室宮山の時に言ってもらった。地元とも話をし、なんとかできそうである。

さらに

◆だから、スマートシティでスマートに研究を、なんぞ考えていたらペケ。研究はPCがやるのでなく人間がやる。人間が大事。本気で世界的とはいわんが、日本の中で枢要の公立大学になるんだったら、あんなST比じゃだめで、人を増やすことだ。なんとなれば、安くはない教員の給料に手を付け、人数を増やす、マンパワーの力をとにかく増やす、というのも考えてみる価値はあると思うのだけれど。教員と対決をしてみてはどうか。やらんわな~。
◆文学部で言えば、2000年に来た時には107名くらいいたように思う。それがいま64とか。
◆今日は来る途中、日本史のメンバーにあるメールをせねば、と思っていた。でそのあとは伏見城と。が、いろんなことをやってたら、朝、まず出そうと思ってたメールすら19時現在、出せていません。この世の雑用は多いのである。

なんかな~

◆これ新大学基本構想。この1頁ではあんまり目立たないかもしれませんが、近頃の大学がまとめるもの、カタカナばっか り。英語を使えばなんかカッコいいみたいな・・・。はっきりいって安っぽい。ちゃんと日本語で表現せよ。これを記者発表しても、新聞記者がまず、これどういうもんですか、中身を教えてくださいと聞かれますよ。で翻訳しなければならない。世間の人は、なんやそれ、で終わり、伝わるわけがない。むろん、使われているエイゴのみならず、スマートシティなるものでめざそうとする中身も薄っぺらなのである(2月に初稿がまとめられた森之宮グランドデザインもまったく同じかもっとひどい)。
 ◆スマートシティ。なんかしらんけど。スマホで操作したら、冬に家のエアコンのスイッチが入っ て、帰ったら暖かい、そういう研究をするんですか、と。
◆AIAI。デジタル。中身あっての、またそれをどう使うかがあってのAIでしょ。膨大なデータ(ビッグデータと世の中はいう)をとにかく大型計算機で相関を出す、なんか近頃、新聞でもグラフ化したようなのが出てきますよね。それで画期的なことがわかるのだろうか。所詮、分析は、洞察があって、見通しがあって、その裏付けのようなところがありますよね。まあ、ふ~ん、で終わる。
◆机に座ってマウスを動かすだけがスマートシティのイメージとしよう。これではダメ。この世は人がいて、いろんな人がいて、いろんなことを考え、いろんな仕事をしている。話をして、一緒に仕事をして動いてます。理系だって、純粋数学とか、理論天文学は、そういうのであるかもしれない。が、生物だって地学だって物理だって化学だって医学だって、対象を観察して、実験をして、手術をやる。体を動かし、関心ある対象に働きかけ、観察し、メモを取り、記録を取り、そうして新しいものが生まれる。文系もしかり。人の活動あっての法律であり経済である。文学部もしかり。スマートスマートといっていたら、研究は滅びるだろう。地べたに立ち、泥くさく、対象に迫るところに研究はある。
◆まずはスマートシティを和訳するところから始めよ。幕末に日本人が一所懸命、蘭学はじめ要所を読み、それを日本語にした。それによって日本語の教科書が書かれ、裾野が広がり、今日がある。いま自国語の大学の教科書がない国は多いのである。限られたエリートが英語を読む、そこに国力の限界がある。

2022年3月18日を乗り切る

◆この日、10時からの古文書プロジェクト研究会。ぜんぜん資料が準備できておらず、どよよ~ ん。朝、とにかく2つの項目を同僚にお願いし、自分独自のものとしてひとつの項目の簡単なメモを作成し、スタート。みなさんに2時間枠を取ってもらっていた研究会、準備不足で30分で終わり、ということなく、ほぼ2時間、有意義なものとなった。
◆学内の大型研究費の申請書にともなうプレゼンは、大げさにいえば、一世一代の勝負ですね。いまの職場で、自分の研究はほっといてもぼちぼち。ここの日本史研究室に在籍させてもらい、なにがしかのものを残したいものです。
◆さてこの3連休は伏見城に全力投入です。とはいえ、メールを見ると、ヒストリア4月号と、市大日本史の初校がきていたので、それを処理したら11時。さらに市大日本史の原稿関係で13時。とほほ。また例年の表を作りました。年のうち普通の勤務時間の1か月分くらいは従事しているのではないか。12年たったら、丸1年分。来年こそは交替という話もあり、期待しよう。

東大とか京大

◆ODなどを正式雇用し、科研の申請書などをチェックし、リライトし、より説得的な申請書にする部署が作られている。これ不公平と違いますか。一般的には、研究者番号のある者は、みな公平に、同じ〆切をめざし、よく練られ、よく書き上げられた科研申請書を書けば、公平に審査されるはず。そうではあるわけだが、東大やら京大やら、旧帝大などは、それをさらに組織的にブラッシュアップし、研究費をガメルわけだ。
◆そもそも国公立は授業科目分担も少ないが、私学はそうはいかない。授業は多い、学生の面倒は見ないかんし、へたすりゃ親の面倒も見る。やれ休学や退学やということも。要するに時間がない。そのなかで、科研申請書に費やす時間はそもそも公平ではない。
◆以下もカミサンの話。東大や京大は学生が優秀なので、研究室のテーマに即し、ある部分を分担させ課題を与えたら、勝手にやりよる。成果が出来上がってくる。そこに先生の名前も連ねて論文化され、業績が増えていく。なにより、いちいち手取り足取りしなくてよい。それが自分はどうだと。すべて自分がやる、やらざるをえない。学生・院生にある部分をテーマとさせるものの、データが取れない、解析はできない、学会発表はできない、論文は書けない。すべてお膳立てすると。話を聞いていると、いろんなところでそうなのだとか。プログラムを書いてやって、ポチっとエンターキーを押すのが学生なのだとか。
◆なにもかもできん。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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