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人を幸せにする人になろう

2019年12月15日、都城制研究会

◆朝、コンビニで資料を刷り、職場へ。参考資料も準備していたが、出すのをやめた。それは前提 となる古墳時代の尺度の話。エッセンスの1枚図だけをA4で加えた。
◆前日の夜からパワポを作り始めるも、ノートPCのアドビが使えなくなっており、当日午前にせっせと作業。論文集はモノクロやし。図面、基本はカラーで作り(大きさは任意)、原稿にする場合は、版面割り付けを行い、実大で、モノクロで作り直す。カラー版を完成させていれば、パワポ図にも使える。が、まあ徹底していない。難波宮京も原稿のモノクロデータを、メッシュだけ色を つけるとか、まあ最低の調整にしたが、そういうカラーへの置き換えなどが、非常にめんどくさいわけです。
◆なんとか12:30に完成させ、会場に向かう。上野さんが1番手、わたしが後半でした。まあみなさん、古墳の尺度など、興味がない人たちなので、まずそのへんにびっくりする。これ、ヒストリアの投稿論文用に原稿化し始めたのはずいぶん前だが、いまのところ未完です。編集委員長になって投稿しにくくもなりました。でも出しとかないといけません。
◆で、本体の難波宮京の話。建築の上野さんも、土木と建築の違いを理解してくれました。中尾論集の時点でできなかったことも加えました。大阪府警本部の現場で検出された東西塀です。土曜にうちの図書館に行き、借り、国土座標であてはめ、作ってきていたものにあてはめました。その図を掲載します。中点からちょうど180歩ではなく、7.5歩手前になります。180歩位置は谷をまたぐ位置なので、東西塀がなかったということにはなりません。府警本部だけでなく、その西側の府・市の調査を点検してみるのも必要ですね。そういや、前に大阪城の時に集合図を作った記憶がある。引っ張り出せるかな。
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2019年12月14日(土曜日)

◆なんとか明日の都城制研究会の資料は作りました。22時まで職場にいて・・・。

2019年12月13日、某古墳など

◆朝、葛城市に行く。9時から石室の計測をはじめ、わたしはあとを任せて現場を離れる。アドビのサブスクリプションが・・・。ちょっと支払いの変更もあって、ノートPCのものが、しばらく前から使えなくなっており、そうすると家でイラレやインデザがいじれなくなる。まあ、困るわけだが、一方で、仕事は職場でということにもなる。普通のワープロやエクセル、パワポはもちろんやれる。通勤時や家は、それくらいで、というのも悪いことでない。ただし、切羽詰まるとそうもいかない。
◆22日、陵墓シンポの資料、5人分をレイアウトした。それが16時頃?。そこから都城城研究会の準備を、と。とはいえ、これも家でやれないのはつらいわけです。明日14日(土)、丸1日、職場でやるしかない。いざとなれば、泊まろうかというところ。
◆18時前に出て、ヒストリア編集会議に向かう。で、今日は忘年会。JR西日本のwifiでブログを書いています。

2019年12月12日、難波市民学習センター

◆大阪市博物館機構との包括連携協定によるもの。むこうが毎年実施している1回に2人、3週にわ たって、テーマをきめての連続講座の1回でした。テーマは世界遺産。18:30から2時間弱で、1人45分です。JR難波駅を出たら、そのままエレベータ。
◆会場は100弱くらいか。あんまり入っていなかったが、始まることにはまあまあ。最初10分、本体25分、世界遺産の話を最後に10分、と望むも、いつもどおり撃沈。世界遺産には到達しませんでした。まあ、レジュメには書き込んであるので・・・。
◆2本目は長原古墳群の話で、とても面白く聞いた。1期と2期で、入れ替わりがあるのでは、という話。塚の本や、塚廻(なんか名前が違うような)などの、在地首長にかわり、2期には渡来系の人たちがかなり入ってくると。古墳をつぶしているということも。50m級の円、帆立がなくなるというのは事実だが・・・。渡来人だらけではむろんない。首長でなく、小方墳に入るような人たちも入れ替わりがあったのだろうか。
◆とはいえ、河内政権を支えた実務者層、と漠然と言ってはいるが、ちゃんと資料を見て、自分で理解しているというわけではない。一度、取り組んでみよう。

12月9日も終わり

◆今日も終わっちまった。陵墓シンポの資料作りはできませんね。ヒストリアとか、ミュージアムの仕事をしていたら22時。まして15日の都城制研究会の資料は無理。

12月7・8日(土・日)

◆両日、校正をしていました。土曜日は15時に切り上げ、那賀病院に行く。カミサンは、ほぼ毎日行って  います。わたしはそうはいきませんが、行ける時には行っておかないと。
◆8日の日曜日、15時には校正が完了し、陵墓シンポの資料作りにかかる。前のをそのままと考えていたが、気持ちを切り替え、大仙そのものをできるだけ紹介する内容を入れることにした。まずは墳丘の復元から。昨日夜に一通り完成させた。

まあ

◆12月9日(月)、高槻市の会議(10:30~12:00)に出て、職場に戻り、ミュージアムの打ち合わ せ。いま部屋に戻ったのは17:13です。いまからがわたしの時間です。まあ、あれもこれもこなしている。カミサンいわく「研究している時間はないと。私立は科目担当が多いし、入試業務があり、学内の会議と・・・、あれもこれも研究せなあかんけど、時間はない、それ比べたら、国公立の人は、忙しいといっても研究も入ってるんでしょ」、と。
◆さて、メールの処理から。
◆12月7日、MCみはらに久しぶりに行く。河内鋳物師のシンポの前に行っとくべきでしたね。

12月22日は陵墓シンポです

◆どのくらい入ってくれますかね。学会連合で、お金もないし、PDFのみで、チラシの印刷もしていない。いまプリントパックで、数千枚刷っても安いのだが、送料がたいへんですわな。かかわってはいるが、陵墓担当の委員は離れているので、協力といった形での参画ですが。

12月になり

◆翌日12月1日、和歌山に行く。娘を連れ3人で紀美野の家に行き、郵便物を取り込んだりして、病院に見舞いに行く。お昼を食べに出て、ふたたび病院に戻ると、ぐっすりと寝ていて、15時ごろ離れる。娘を伊丹空港まで送っていき、河内国分に戻り、ぐっすりと眠る。
◆うちの子らはおばあちゃんにとても世話になっていて、2人ともすぐに帰ってきてくれました。娘は修士論文にむかっているようです。進学については、まだ決めかねているようで、わたしは沖縄に行けと言っているのですが、さてどうなりますやら。とにかく、元気そうで安心した。
◆12月になり、都城制研究会と、難波市民なんとかでのしゃべり、それと陵墓シンポ、どうやって時間配分を考えていくか、今日は考えてみます。とくに研究会、これはめんどくさい。それと陵墓シンポ、これも資料のとりまとめや冊子作りをやらされます。博物館実習展、それと140周年展のプロポーザル方式の入札にかかわる、展示物等のまとめ。それから自分の著書の3校も届いたし、年末に西陵の最後の堤周りの測量の準備もしないといけません。西陵だけでなく、科研も。うまく、着実に・・・

11月30日、河内鋳物師シンポを乗り切る

◆資料は18日締め切りで編集し、結局は自分の分がいちばん遅れ、それでも なんとか28日木曜日に は納品される。みなさん力を入れていただき、96頁ものの立派な冊子となる。
◆パワポは26日泊まり明けの27日に作り始め、完成したのは前日金曜日の16時。そこからシンポの筋書きを作り帰宅。
◆翌日本番。関係者のみなさまのおかげで、無事、終了することができた。もう少し人が入ってくれてもよかったのだが、それは仕方なし。
◆パワポ用にカラーに加工した関係地図と年代別整理の表を出しておきます。
◆終了後、Iさんはじめ、みなさんと楽しく懇親会。解放感に、けっこう飲んで、家に帰ったようです。娘が金曜日から帰ってきていて、帰宅後、再び呑みに行きました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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