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人を幸せにする人になろう

寝屋川と枚方丘陵

◆明治の地図の等高線で描かれた山は「枚方丘陵」でいいんですかね。淀川に突き出た先端が枚方宿。いまこの丘陵上は家だらけ。が、かつては交野郡と讃良郡を区切るものであった。赤は旧道、京街道・枚方街道・東高野街道。青はいまの行政界、門真、森口、四条畷、大東など。緑が鉄道(交野線は入れてませんが)。学研都市線と京阪で、駅の位置に丸をした。茶色が国道。1号線と171号線、それと清滝街道。第2京阪は太いのでわかりますよね。
◆まあ、明治の地図を見ると、けっこうな丘陵が張り出して、河内平野を画している印象を受けますよね。太秦や高宮廃寺が高台にあることは知っていても、「こんな山だったのか」と、地図を見るとまあびっくりなわけです。こういう話をしていると、カミサンが職場から写真を撮って送ってくれました。
◆ああ、7月6日の20時43分、土曜の夜もとっぷりと暮れました。帰ろか。明日は今井町に行きます。
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久津川車塚2019

◆城陽市教育委員会が実施する、2019年度の久津川車塚古墳の発掘調査は、8月1日開始、お盆の13・14日は休み、現地説明会は31日(土曜日)、終了9月6日予定とのことです。

2019年7月1日は網野銚子山

◆免停なので、大阪から10:12こうのとり5号?で福知山、はしだて3号に乗り換えて網野へ。京都か ら来たTさんと合流。一度、旧網野町役場隣の会議室に入り、すぐに現場へ。うちの院生らも見学したいというので、見せてもらう(別にレンタカーで移動)。いや~、下段・中段・上段のすべてのくびれ部が、きれいに出ております。まあ、狙い通りです。スロープになっていますし。9月くらいに現説になるでしょう。みなさん、これ見といたらいいですよ。現場写真は控えておきます。
◆そのあと、今年度というか、昨年度分の繰り越しの整備事業の進捗を見る。昨年は災害復旧が優先されて、事業が繰り越されたのでした。前方部墳頂に保護土をかぶせる。墳丘のえぐられて傷んでいるところを補う。後円部側の周濠の舗装表示、といったところです。
◆墳丘はきれいので、あまり人工的に手を加えない。周濠部については、畑地だったところを表示する。あと畑に接して削り込まれている裾部に土を補っていく。樹木は、少しずつ伐採し、シルエットが下からよく見えるように、間引きしていく。

俊徳丸

◆以下、ウィキ。

河内国高安の山畑(現在の八尾市山畑地区あたり)にいたとされる信吉長者には長年子供がいなかったが、清水観音に願をかけることでようやく子供をもうける。俊徳丸と名付けられた子は容姿が良く、頭も良い若者で、そのため四天王寺の稚児舞楽を演じることとなった。この舞楽を見た隣村の蔭山長者の娘・乙姫は俊徳丸に魅かれた。二人は恋に落ち、将来、一緒になることを願うようになった。しかし継母は自分の産んだ子を世継ぎにしたいと願ったため、俊徳丸は継母から憎まれ、ついには継母によって失明させられてしまった。さらに癩病にも侵され、家から追い出されてしまい、行きついたのは四天王寺であった。そこで俊徳丸は物乞いしながら何とか食いつなぐというような状態にまでなり果てた。この話を村人から伝え聞いた蔭山長者の娘は四天王寺に出かけ、ついに俊徳丸を見つけ出して再会することとなった。二人が涙ながらに観音菩薩に祈願したところ、俊徳丸の病気は治り、二人は昔の約束どおり夫婦となって蔭山長者の家を相続して幸福な人生を送ったとされる。それに引き換え、山畑の信吉長者の家は、信吉の死後、家運が急に衰退し、継母は物乞いとなり、最後には蔭山長者の施しを受けなくてはならないような状態になったという。

◆で、俊徳道というのがある。なんでこんな話をというと、河内鋳物師の話が出たので。とはいえ、ネットでは出てきませんね。

カミサン語録

◆世の中でいちばん大事なことは人間力。
◆コンサルに投げるのでなく自分で考える。

◆京都府では、長岡京市と京田辺市で募集があるのだそうです。若狭市のNさんから電話がかかってきて、1人採用するのでいい人があったら受けさせてくれと。地域の文化遺産を活かす仕事に、どんどん若き優秀な後輩に入ってほしいと思います。

で6月30日、大歴大会

◆9:30前に会場入り。大阪城の個人報告の司会をやれと言われてやる。Y先生と伏見城の原稿の話 をする。ただちにメールすべし。
◆総会。午後は、考古部会の土器の話を聞く。懇親会で報告者と話し、加東市から来てくれた公平君とも話をする。終了後、市大関係者で関大前駅の飲み屋に二次会に行く。

で、まだ6月28日のこと

◆LICを終え、古市駅まで送ってもらう。が、さてどうやって帰ろうか、と。この間から、大阪の歴 史 演習で、近鉄のなかで道明寺線がいちばん古いということを知りました。そこで、道明寺で降り、乗り換えて柏原南口まで行き、歩いて大阪線の安堂へ、そして河内国分へと戻りました。
◆道明寺線の鉄橋はドイツ製の鉄、跨道橋のレンガ積みなどについて、教えてもらいました。
◆柏原南口駅から安堂駅までのこと。築留のところ、土手の国道25号線の高いところを歩かず、下におりました。立派な家屋があり、築留2番樋は登録文化財になっていました。その先、安堂駅にはどういったらいいのかわからず、うろうろする。JRを地下で抜けたりはできず、結局はリビエールホールの北の陸橋を越えるしか、JRの線路を越えることができないようです。
◆この日、豚肉かき玉甘酢あんかけを作りました。

セミが鳴き始めた

◆1週間くらい前のことだったでしょうか。今年の6月はいつになく涼しく、それが急に暑くなった日がありましたよね。そしたらテキメンにセミが鳴き始めました。そのあと雨がちになり、また涼しくなりましたが、本日、2019年7月6日の土曜日、9時前に研究室に入りましたが、朝、クマゼミが鳴いていました。
◆わたしの季節感では、夏はセミで始まります。

来目皇子墓

◆6月28日のLICのあと、調査担当者に来目皇子墓を案内してもらいました。調査当時、なにが話題になってい たか理解できました。
◆その前に、来目皇子墓、前に見学会で行こうとしたが、車を置くところなく、通り過ぎました。宗教施設に3辺を囲まれています。その施設を作る時に、羽曳野市が発掘調査をやったわけです。
◆羽曳野丘陵が北にのび、その高台にあって、少し行くとがくんと落ちる。その丘陵の、あるピーク に墳丘を築造するが、風水思想により背面に山をかかえる姿に近づけるために、低くなる北側に2m以上の盛り土をして、人工的に高い側を造り出した、と考えられるとのこと。
◆来目皇子墓がなんでここにあるんでしょうね。このあたりの渡来系の人々との関係とか、上宮王家とのつながりなど、いろいろと教えてもらいました。兄は斑鳩、弟はこの渡来人も多いこの一帯を押さえようと配置されたのでしょうか。

躁鬱

◆まあ、読んでください。躁がめんどくさい、らしいです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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