人を幸せにする人になろう

社長のお話

◆髙井社長は有名人。しゃべりも抜群。いろいろと語っていただきました。ブドウ栽培として4代 目、ワイン醸造で3代目なのだそうです。
◆明治政府が、米を確保するため日本酒の消費を減らし、ワインを奨励しようとした。前にもかかわったことのある播州葡萄園などを作るも、いずれもダメ。甲州で、日本の封土にあった種が作られたのだったか。柏原市の資料館の特展図録で勉強しなおさないといけません。栽培は江戸期からしていたのではなかったか。
◆とにかく河内と甲州のぶどう・ワインが生き残ったと。大正7年から昭和10年までは大阪がワイ ンの生産日本一だったのだとか(いまは7位だそうである)。昭和9年の室戸台風で、風速60mを超える台風で、1000haの葡萄の65%が倒壊したのだとか。カタシモワイナリーは大正3年の操業とのこと。水はけのよい山の上の方の土地は、かつてJR柏原駅前の平米単価より高かったのだそうです。土が砂ケの多いところ、粘土質の高いところ、畑のひとつひとつで違う。ブドウの木、1本1本で違う。それは熟してきた葡萄で見分 け方を教えてもらいました。栽培にはストレスを与え刺激を与えるのがよいのだそうです。根を8分割して1年ごとに1/8を切るのだそうです。そうして細い根を再生させることで葡萄の木も長持ちする。100年以上の木が日本に5本あり、そのうちの〓本がここにあるとのこと。除草剤は使わない、露天の畑には草が生えるまま。ハウスで水でふくらましたような葡萄とは甘みがぜんぜん違い、ワインにするとそれがテキメンに現れるのだとか。水はけのよいところがよいのだそうです。根が砂粒の水を吸う?といったように、で、ミネラルも吸収する、と。気候温暖化が一番の問題。昼夜の温度差がある方がよい。
◆むかしの写真では、ほんとうに一面葡萄畑で、その間に屋根が見えるという風景。社長が学校へ行くのも、すべてぶどう棚の下を通って通っていたと。同級生もまたみな葡萄農家の子供だったが、13~14人いてあとを継いだのは1人だけだとか。戦後のジェーン台風や伊勢湾台風とか第2室戸、すべて大きな被害をもたらし、昭和30年代から右肩下がりだと。雨が多いのもだめ。ハウスを作るにも金がかかり、徐々に離れていく、と。いま柏原市内で葡萄栽培をやっているところで、跡取りがいるのは30%。耕作しなくなるところがとどまらない。そうした畑も借りて栽培しているのだという。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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