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人を幸せにする人になろう

切り替えがへたで・・・

◆庄内式の年代で頭が占められ、そういうのがやめられず、やることを先延ばしに・・・。まあでも、一旦、区切りにしないといけない。結論はそう変わるものでもない。
◆2世紀後葉の関ヶ原、吉備が東軍について決着。東方社会の成長はあれ、北部九州に対する優位の転換を「倭国乱」に求める、これ実にわかりやすい結論。しかしそうでしょうか、というのが私見。卑弥呼共立は201年とみているが、これはあまり寄りかからないようにしようと言い聞かせている。決め込むことはできない。史料的な縛りは、107年倭国王帥升等の朝貢から70~80年、というところ。単純に足せば177年~187年。卑弥呼が15歳で王となったなら、没年247年で85歳~75歳。これならぎりぎりありうるか(むろん201年に27歳で即位したっていいわけだが(73歳没))。倭国乱や卑弥呼即位が、そのあたりまでさかのぼる蓋然性はあり、またそれ以上のことはわからない。190年あたりの即位、というのは理解しやすいところ。さかのぼって180年くらいだろう。庄内式がそれ以降となれば、卑弥呼即位で纏向がという従来の考え方のママ。
◆しかし、169年の年輪年代があり、井戸の状況、北陸の土器、畿内の土器との対比など、さまざまなファクターがあるが、これが月影1で庄内0式としても、169年+下層土器が入るまでの使用期間があり、仮に175年として、しかし月影1とか庄内0のどのあたりかによるが、ど真ん中として始まりはそこから年代を遡上させる必要はあり、160年代くらいにはいくだろう。卑弥呼即位の上限まで10年とか20年くらいしかないということかもしれないが、やはり倭国乱より早い、と考えざるをえないのではないか。
◆畿内の庄内はさらにややさかのぼっておかしくないように思うが(こういうのが勝手な思い込みです)、それを論じるには力不足。もうちょっと土器の勉強をしないといけない。+前後の時代の年代関係資料との整合性。
◆だったらどうなるの。さ~?。倭国乱ですべて説明する、というのに異議申し立てをしたいわけです。
◆さらには、箸墓の年代、布留2の年代、津堂の年代・・・。それを詰めるということが研究そのものなんでしょうけど、別に決めてくれないものかと。考古学という学問上、またそれを歴史学として論じるうえで、暦年代は避けられないわけだが、それに労力を割くのもね~、と思ってしまいます。津堂が375年あたりならそれ、390年代ならそれ、決まるなら決めて、その先の話をしたいわけです。また、案外と布留0と布留1すら、境は3世紀後半のどのあたりなのか、古墳出土の土器をからめての議論は、あまり整っていないということも感じる。
◆さて、今日は切り替えて、と。岸和田のこともやめて、と。
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近況

◆先週はまとまった時間はなく、それぞれチョコチョコ前進させたくらい。そして18日は古代を偲ぶ会40周年記念シンポ。資料を木曜日の晩に出し、翌日のどっかからかパワポを調整し始め、翌当日の午前でなんとか仕上げた。O大のFさんとわたしが50分ほどしゃべり、元A市教委のMさんがコメントをして1時間ほどの討論。
◆庄内式の開始期について、反論をいただき、修正している(ある投稿論文の中で・・・、あれはどうなったのだろうか)。意見を後退させたわけである。しかし倭国乱にともなう卑弥呼共立は、さかのぼらせても180とか190あたりであろう。庄内式は大友西の年輪年代に縛られるが、それでもそれよりは前であろうとみている。そのへんは考えを維持している。とはいえ、全面的な見直しは必至で、それにはまとまった時間が必要になる。柳田さんの書いているものを見ていても、なんとかしなければ、と思う。
◆19日はKR研だが、午前中に、近つとカシコーケン博で展示を見てきた。当日決めたものだが、家にあるカメラを持ち出すのを忘れ・・・。近つは、河南町のフェスティバル会場に駐車場の一画を使っていて、南にまわらされた。いちばん感動したのは纏向の石臼です。カシコーケンは黒塚がメインだが、ホケノ山とか、茶臼山、下池を含め、ざっと見ることができた。黒塚の小札は、冑とともに甲もあるんだということがよくわかった。フレームがあり、間を大きな小札で埋めるものとみられる。それとU字形の鉄製品。いや実に複雑なあんなものを鉄で・・・、いったい何なんか。
◆午後はKR研で、今年の調査報告の打ち合わせ。3回生が頑張ってくれている。

大仙が允恭(倭王済)墓説

◆1968年の藤間生大『倭の五王』の記述を掲げる。
◆藤井寺市のAさんが倭王済の墓が大仙と言ったのは1996。いまは須恵器の年代観を上げているようなので、違ってきていると思うが・・・
◆TK216の現象は437即位の允恭段階の政策と理解することができるだろう。

いろいろと

◆2017年11月9日、あべのハルカス美術館の北斎展を見に行こうとの誘いがあったが、行けず。翌日の金曜日の夜にしたが、人だらけで、見れやしない。
【追記】21万人に達したとか。1600円で、3億円・・・。
◆10日、そのあと近鉄百貨店80周年展も見る。ハルカス建築の動画が面白かった。これとんでもない建設費だろうと。760億円だそうです。
◆11日・12日と研究室旅行だったが、ごめんしてもらい、FM城の仕事を続ける。土曜日、めいいっぱいやって、二の丸までごぎつけた。帰ると、事件勃発。3月1日に続いて、急遽、東京に行くことになる。お昼に、なんとかこれへの対処は片が付き、午後、科博にアンデス文明展を見に行く。最近は、運慶展やら国宝展など、大型のものにはまったく行きたいとは思わない。
◆ということで、日曜日はFM城の仕事などはできずじまい。また週が始まりました。週末はシンポジウムがあるので、その準備をしないといけない週になりそうだ。

なかなか気持ちの重いのが晴れませんが

◆日々、やっておりますが、なかなか晴れやかにはなれません。
◆中学生は12%・・・、高校生は28%。大学生にやらせてみたら、いったいどうなるのでしょうか。

早稲田J君が最先端

◆いや~、すごいもんですね。いつもいつも報告書を送ってくださり、ありがとうございます。わ たしはといえば、家内制手工業というところです。彼の取り組みに比べると、遊びでしかない。が、細々と少しずつ生産していくことにしよう。

ポスタープリンター

◆理学部で、料金体系を決めて、全学に対して利用を図っているそうな。
【追記】11月6日に訪れました。楽しくなるような工作室でした。A1の光沢フィルム1枚が1600円というから、これはほとんど実費代で、ここに通って印刷することになりそう。とはいえ、屋内とはいえ、何年かで退色していく。ほんとうは業者に出して、恒久的なパネルに置き換えていく必要がある。

南山城と茶

◆笠置の観光案内所で、あったパンフレットをひととおりもらってきました。 日本遺産になっているんですね。和束や宇治田原にも行ってみたい。その前に、上狛や木津を歩いてみる必要がある。

11月2日は森ノ宮人骨

◆午前に2つ仕事を入れ、昼休みに大学史へ。昨日、買っておいた発泡スチロールの加工を始める。 13時になるとA先生も到着。手伝ってもらって、刳り抜きなどをやり、不織布をかぶせ、展示台にセット。砂を置き、そこに人骨を配置していただきました。15:30頃完了。

2017年11月3日、笠置

◆1日リフレッシュのため出かける。近江を目指すも高速道路はダダ込みで、京奈の山田川で降り、笠 置をめざす。木津川南岸を通り、加茂まで行き、橋を渡って北岸へ。海住和山寺に足をのばすも、駐車場が満杯で引き返す。祝日および文化財特別公開おそるべし。
◆笠置へ。橋を渡り町に。さびれている・・・。駅前の観光案内所でマップを手に入れる。こうもり博物館をさがすも見つからず(もうすこし先だったよう)。笠置山へ。山道を上がり、町営駐車場、そこから歩く。食事時で、キジ料理を食べようとするも、この日は予約客のみ、でダメ。頂上部には笠置寺があり、拝観料兼入山券を払う。本尊は磨崖仏とのことだが、脇のお堂の何度もの焼亡で剥落してしまっている。そこから頂上は花崗岩の巨石を縫って上 がっていく。木津川の景観の眺望がよい。後醍醐の行在所なるものには立ち入れなくなっている。まあ、別に行きたくはないが。
◆山をおりる。後醍醐天皇と楠木正成、元弘の変だけでは、もはや観光地としてやっていけないよう。宿泊施設などもすべて廃墟。道沿いの店もほぼ閉まっている。人がいるのは河原のバーベキューのみ。あとは風呂。
◆柳生の里へ行く。家臣屋敷の資料館へ行くべきでした。陣屋跡に行ったくらいです。そこから柳生街道を奈良へ出てもよかったのだが、西名阪をめざす。田原の里に出て、ここがそうかと。
◆結局、天理で降りて、2つの石室のフォトスキャン用の写真を撮りました。それからコーヒーを飲み、もう外は真っ暗になる。
◆国分へ戻り、内装工事のために閉めていたライフが今日から再開したので、買い物に行き、晩飯を食べました。ゆっくりし、リフレッシュできました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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