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人を幸せにする人になろう

愛媛大学ミュージアム

◆今回の目的はここに行くことでした。旧教養部の研究室棟の1階を全面的に博物館にしていまし た。そこまでいく手前にも、文京遺跡の説明看板がそちこちにある。うちも山之内遺跡の看板がほしいところです。
◆博物館の内部については、もっとじっくりと復習しておく必要がある。いろんな資料もいただいたし、年間の予算などについても話を聞いた。考古の展示部分も立派ですね(写真下)。昆虫コレクションや、文京遺跡などの出土品をコアに、大学として力を入れているウリの研究紹介を組み合わせてある。そのなかのひとつが鉄でもある。
◆大学ミュージアム見学行脚をしてみたいものです。今週は、改めて東大ミュージアムに行こうと思っています。それと娘のいる北大ミュージアム。入学した時は改装中で見れなかったのだが、リニューアルオープンしている。
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第2日目

◆まずはホテルの目の前に住んでいる名本さんと歓談。真名井古墳の話、ヌク谷北塚の話、愛媛の 遺跡の話、話をしていると話題がつきません。が、そこは切り上げ、まずは松山市の考古博物館。2回目かな。有名な堰、なんでしたっけか、の実物による再現ゾーンがでんとある。
◆まずは企画展から。ちょうど四国の埴輪転をやっていました。
◆そこから常設展。

呑み会+カラオケ

◆宿に戻り、路面電車に乗って街中に出ていく。お酒や魚がおいしい店を取ってくれており、地酒 などいただきました。そのあとカラオケ。この2人は同級生です。

あと2基前方後円墳

◆笠置峠のあと、新発見のなんとか向山古墳、これは盆地でも北、それと南側のなんとか古墳(写真)。以 前に遺物が出土している。銅鏃だったか。これけっこうぺっちゃんこになっているが。確認調査をやっていくらしい。そうして役場に戻り、文化財の担当のみなさんと名刺を交わし、松山に戻る。

笠置峠古墳

◆宇和町の役場に行き、担当の方の案内で笠置峠古墳に上る。ころっとした盆地で、ちょうど田植 えをやっていました。
◆軽トラなら上まで上がれる。宇和町 というのが沿岸の内側の南北の盆地で、とか車の中でいろいろ聞いていたが、グーグルアースは偉大ですね。やっぱり鳥瞰するのがいちばん。盆地の西ヘリの山の頂部かと思っていたが、そうではなく西北で、八幡浜からの谷沿いの街道が通っている、その峠なわけだ。
◆四国88か所めぐりで、九州の人は八幡浜に上陸し、この峠を越えて宇和町に入ってくるのだとか。鳥瞰画像に古墳ポイントを落としておきました。これが50mくらいだったか。40歩といったような記憶もある。史跡整備され、葺石が葺かれています。竪穴式石槨は覆い屋がかけられ、内部をのぞけるようになっている。けっこう石室とはいえ土の部分が多く、割石をがっちり組み上げているようなものではない。遺物は?、なんだったか。鏡片?、鉄器少々、そして墳丘から出土した土器から、説明看板では古墳初頭くらいの時期にしていたと思う。どうなんでしょうね。 

愛媛県立歴史博物館

◆西予の宇和町にある県立博物館。立派です。学芸員の方にたいへんお世話になりました。相の谷 の資料の再整理をやった館報?紀要?をいただきました。ちゃんとお礼状を出さないといけません。展示は撮影禁止だったか、考古資料をざっと見て、主要な資料が見れるが、なかなかこの年になると写真でも撮っておかないと頭には残りません。
◆中世も面白かったし、お城ですね、大洲城があり、宇和島城があり、そして松山城、いいお城がそろっています。それらの模型がならんでいました。こっそりかもしれませんが、何カットかの写真を撮っていました。そのなかのひとつ。

どっかの古墳

◆県の総合運動場のなかの古墳を見に行き、横穴式石室墳をいくつか見る。そのあと松山市内へ向か い、途中、昼飯を取り、ひとり降り、そこから西予に向かう。

人物博物館の木器展示

◆葉佐池から松山平野南部がよく眺められたが、ちょうど向かいの西側丘陵部にグラウンドがあり、その    あたりにある人物博物館に寄る。こういうのありがちであるが、まああってよいだろう。地域地域の人物を取り上げるもの。誰を選んでくるか、というところが見識だろう。とはいえ、こういうの、松山の中心部にあった方が、とも思う。そこは広域行政の県としては地域バランスなどがあるらしい。
◆で、ここで木器の企画展をやっていて、そこに連れて行ってもらいました。いや~なかなか見ごたえがありましたよ。そこで見たカゴメ。

6月8・9日の愛媛

◆前日、車で松山に向かうも、高速道路の夜間工事のための通行停止が20時で、ちょうど鳴門に入 り、締め切るというところで、バリケードが構築されていて、ぎりぎり入ればよかったのだがよう入らず、下に降り、時間をロスしたが、無事に松山入りする。
◆翌日は、ます来住廃寺に行き(だいぶ久しぶり)、すぐに葉佐池古墳。ため池の先端にある小山の上の古墳で、不思議な構築課程をたどる(もう忘れかけている)。松山市の方に対応いただく。下にガイダンス施設ができ(できて数年後?)、まだ真新しい。木棺が残存し、3体の埋葬が推測され、ハエの卵からモガリ場での遺骸への産卵が復元できるという。生前造墓の根拠を考えたが、もう忘れてしまった。もちろん横穴石室だし、追葬だし、直接、生前造墓の話につながるわけではないが、通常の死没から埋葬までの期間がそう長くないことの根拠になる、と思ったのだったか・・・。半年や1年越えは王など特別の場合なのである。
◆またこれだけの調査をやった以上、封をしてしまうのでなくできるだけ市民に見せる、という考え方も学んだ。そして未盗掘、木棺残存の古墳の調査ということで、某古墳のことを考えていた。
覆っている東京ドームと同じ幕とか、なんとか草という墳丘整備に使った植種の話などもする。

井辺1号墳

◆関大が掘っているんだ。石室もわかっている。いまどんな状態かもネットで確認できた。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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