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人を幸せにする人になろう

いろいろある

◆南スーダンに派遣された隊員の日誌を破棄したというウソ、スキャンして保存していたというこ となのだろう。そこで起こっている戦闘を衝突とする詭弁。防衛相は3ヶ月ほど前線に行ってはどうか。
◆豊中の国有地の売却。不当に安く、ということも問題ではあれ、なぜ特定のところが購入することになったのか、ということが本質である。
◆自動車産業55兆円。土木50兆円台。パチンコ23兆円、このおそろしさ。それにしてもパチンコ業界の80年代の飛躍はすごいですね。この伸び。70年代までのおっさんのパチンコとは質が変わったのでしょう。そして反比例して日本人の劣化が進んだであろう。
◆柏原市長選挙。維新候補だけには通ってほしくないが、ほか3人もな~。とはいえ、1票を行使することを放棄するわけにもいかず、誰ぞに投票してきました。さて
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なかなかに

◆できるだけ集中して卒論・修論を読もうとするも、対処すべき仕事はある。朝、研究室に来て メールチェックなどし、それに対応していると昼頃になってしまったりする。今日はまた、成績を出してもっていったり(珍しく早い!)、粗大ゴミを捨てたり、と。大歴の仕事もあるし、久津川の概報の相談などもあった。が、なんとか、卒論1本、修論1本を読み、修論もう1本を読み始めるが、21時となりました。今日の2本の修論は、いずれもとてもよく書けている。大坂の御用宿(だったっけか)の話、奈良町の話。具体的だし概要もわかるし、勉強になる。なかなか丁寧にとはいかないが、ナナメ読みでもなく、とにかく一通りは読み、内容を整理しつつ聞いてみたいことをいくつか考える。
◆地域の歴史を学ぶことができる。風がビュービュー、相当な寒波ですね。かえろ。
【写真】羽曳野のブドウ畑

日歴協などによる若手研究者問題シンポ

◆の案内がまわってきたので掲出します。以下、趣旨文のあたま。

 歴史学は、人間とその社会が積み重ねてきた過去の痕跡を、発掘・保存・記録・検証・考察し、 過去との対話を通じて現在の社会のあり方を問うものであろう。日本の大学・大学院は、学科・専攻・科目・演習・講義などの制度的枠組みのなかで、歴史学が積み上げてきた学問的蓄積と方法論を学ぶ場を提供し、歴史的判断力をもつ社会人を送り出してきた。そのなかには、研究・教育関係者、文書館・図書館・博物館・美術館などの専門職、出版関係者、学会事務スタッフといった歴史学界を支える担い手が含まれている。しかし、そのような歴史学の担い手を育て支える環境は、現在、どのような課題を抱えているのだろうか。
 1990年代初頭に始まった大学院の拡充政策から四半世紀を経て、文部科学省が区分する「史学」の大学院生数は大きく減少した。修士課程の場合、1992年度の1121人から2015年度の762人へと、博士課程の場合、1992年度の721人から2015年度の444人へと、修士課程では3割強、博士課程で4割弱も減少した。同じ期間に、「文学」は修士課程・博士課程ともに3割弱の減少、「哲学」は修士課程で7割の増加と博士課程で2割弱の減少をみているが、「史学」の減少幅が人文科学系のなかでもっとも大きい。その一方で、人文科学系全体の大学院生の数は、同じ期間に修士・博士課程ともに6割以上も増加した。これは、「史学」・「文学」・「哲学」以外の「その他」として区分される院生が大幅に増加したためである。
 したがって、(以下、略)

西宮です

飛鳥千塚の6基の画像については、いましばらくお待ちください。
◆それと残り、石宝殿とお亀石をなんとか計測したいと思います。主要なものはかなりそろえてきた。あと、ややこしそうなものがいくつかあるが、来年度、どこまでできますか。

研究費の執行

◆いろいろ残額をどうするか決めないといけません。
◆前期の石室計測もずいぶん遠くになりにけり、です。この間、市尾はちょこっと示しましたかね。陰影図にもとづく分析を進めないといけません。元データももらって(加工できるわけではないが)、地元に成果を届ける仕事もある。まあ、ぼちぼちやりますんで。

まあいろいろと

◆冒頭。考古学の者なんですが話の半分は文献史ですと。考古学では異端です、と。でも河内政権を考えるうえで津堂城山の登場をどう考えるかとか、最大規模の大仙の被葬者は誰なのか、といったことは日本史にとって重要だと自分は考えるので、この信じた路線で行きます、とイントロを。拍手をもらっって、すこしうれしかった。
◆日本の歴史に興味をもつ人たちにとって、迎合するわけではないが、わたしは文献史です、考古学です、という守備範囲はあまり関係がない。それらの統合の上に結ぶ歴史像を知りたいわけである。かつ、考古学の本来の目的も歴史学でしょ(考古学からだけでわかる歴史なんでしょうか)。もうちょっと言えば、日本全国で従事している文化財専門職の人たちの仕事もそういう地域の歴史像の構築なんじゃないでしょうか。
◆でやっぱり文献史の人から指摘を受けるわけです。わたしが引用するKさんのことを。そういうのを引くのはどうなのか、と。2008年に論文を書いた時も、かなり言われました。が、反正と允恭の在位年の論証は、改めて美しい方程式だ、と感じて、そういう言い方をしておいた。見事ですよ。やっぱりオーソドックスアカデミズムの側は、ハナから相手にしないわけである。昔、田中Mさんに言われたことを思い出す。「お前な、民間で三角縁神獣鏡についてちゃんとやっている人の研究で取るべきところを評価せなあかんぞ」、と。
◆終了後、懇親会。楽しいです。修論読まなあかんということが頭の隅にあるが、まあ今日は飲みましょう、と。2次会にも行き、最近入った堺市の若手の人たちと同席する。人間が仕事をするのだから、こういう機会を大事にしたいもの。こないだの文化財専門職説明会について書いたこのブログの話も出た。

2017年2月5日堺市講演会

◆卒論・修論試問にむけて12本読まないといけないこの時期はちとつらい。発表資料は冊子体にす るため既に出している。が、考古の場合、パワポ作りにもう一労力いる。このネタの既存のものがあるとはいえ、思文閣の本も出て図を改良しているものもあるし、なにより、よりわかりやすくするための工夫をその都度やっていく必要がある。前日4日の土曜日、できるだけ早くやっつけて修論を1本でも読もうと思っていたが、結局は10時から2030までかかる。カミサンがインフルエンザで39度で寝込んでおり、帰る。午後からの単発講演などでは、当日午前まで資料を作りながらパワポも作っていることも少なくない。
◆それも最後の方は貼り付けただけでアニメーション設定はできていないが、これは当日と、帰ってから近世大阪の修論を読む。が、第1章分くらい。
◆1日がかりの講演会。実はK大名誉教授S先生とは初めてでした。あいにくの雨で、それでも460人入ったそうだが、午後、演台に立つと、やや空席が目立った。60分で、自分にしては珍しくスライ ド60枚強だあったので、ちょうどくらいかなと(せかせかしゃべらんでもよさそう)。パワポを作りながら話をしていくシミレーションをやっていくわけだが、先に書いたような直前の午前までやっていたのでないと、50歳を越えた頭では1日経つと、スライドの流れや、そこでしゃべろうと思っていたことも薄らいでしまう。途中、うまくしゃべれてないな~、と。文字を入れていくと、筋は確実になるが、あまり多いと煩瑣だし。まあ、あんなもんか。
◆討論部の時間がたっぷりあった。できるだけ、わかりやすく話をしたつもり。
◆最後、ひとことずつ、というのが予定されていて、堺市民に話することを考えていた。+陵 墓の名称問題にちょこっとふれようと思っていたが、時間の関係でなくなってしまった。まあ、大仙が允恭墓と理解してもらえれば、それでよい。エッセンスの画像を。ご批判ください。

大学史の展示 記事№3600

◆昨日、関係者の打ち合わせがあり、2時間ほど。ひとまず展示室奥に、恒藤記念室を復活させる。そのための展示準備を実習でやってきた。部屋の仕切りのこと、窓側のパネルの設置方法、芥川資料の展示ケースをどうするか、恒藤の肖像画の扱い、木枠の設置位置、人骨(予定)の設置場所、および廊下のレイアウトなどなど。
◆で、人骨のリストをもらった。いや~、いろんなものがありますわ。
◆いま医学部で、A先生が資料の整理を進めている。大学史で受け入れるとすれば、700体分・・・。あ、さて。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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