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人を幸せにする人になろう

12月25日サクサイワマン遺跡

◆10:40頃着。降りたところの土産物屋でトイレを借り、遺跡に入る。4遺跡共通券しかなく高いが いたしかたなし。入り口がもう1か所あり、そっちまで行った方がよかったのかもしれないが、手前で降り、谷筋を登っていった。
◆サクサイワマン遺跡は「砦」とされる。実に見事な石垣である。石が粒ぞろいに大きく、いくつものオレをもつ。ガイドブックによれば22回のオレがあるのだとか。そして3重になっている。平面図を見たいものである。現地の説明板はほとんど見なかったように思う。この3重の石垣で囲まれた高台があるが、それとは離れて別の岩場の塊のような高まりがもひとつあり、また上がってきた谷筋のむこうにも遺跡は広がっているよう。かなり広大である。スペイン人に反旗を翻して2万人が籠城したのだという。しかし敗れ、城壁も崩されたらしい。

◆頂上からクスコ市街を見下ろす。ここはクスコ近郊というより市街地のへりにある。サク サイワマンの丘陵の両側に谷があり、川がクスコの盆地に流れ込んでおり、これにはさまれる細長い三角形が、インカ時代以来のクスコの中心部のようだ。
◆遺跡は調査され、石垣も補修がなされ、観光地としてきれいに整備されており、観光客も多い。リマ行きの飛行機が12時なので、ややせわしないが空港へ向かう。クスコはもうちょっとゆっくりと町歩きをしたいところである。博物館もいくつもあったのだが、日曜休館のところも少なくなく、これにて離れる。
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12月25日クスコの太陽神殿跡

◆エルソル通りを南に進み、サントドミンゴ教会に。ここがインカ時代首都クスコのコリカンチャ (太陽神殿)があったところ。黄金にあふれていたらしいが、スペイン人はすべての金をはぎ、建物を壊し、インカの石垣に教会を建てたという。写真では黒っぽい石垣が見えるが、その左手は円弧を描く。目当てだったこの道沿いの伝統織物の展示館は休み。で、タクシーでサクサイワマン遺跡へ。

12月25日クスコの中央市場

◆7:30朝食。卵いるかと聞かれ、目玉焼きにしてもらう。ホテルを出て、まち歩き。まずは市場へ 向かう。インカミュージアムは日曜日休み。カテドラルにキリスト生誕を祝う人たちが入っていき、アルマス広場では掃除部隊が活躍中である。
◆市場では、まだ開いていない店もあり、店開き中というところ。1/4くらいは飲食店で、朝食を食べる人々が多い。売り場をひとめぐりすると、果物、ジャガイモ、トウモロコシ、パン、肉、臓物・・・。ここでフェルトの帽子を買った。それと黄色いパンツがひるがえっている。なんでも新年を黄色いパンツをはいて迎えるのだとか。

12月24日クリスマスイブのクスコの花火

◆クスコに近づいたポロイ駅で降りる。20:23着。3時間半あったのですね。新幹線のぞみの東京・ 新大阪の方がずっと短いわけだが、まあムーミンの話などで飽きることはありませんでした。前にも書いたが、市街まで線路は引いたが、いまは客車はポロイ駅止まりになっている。降り立つとみなクスコ市街へ行くので、ここでもまたタクシー屋の客引き。フィンランドのマリアのホテルも遠くなかったので、一緒に市内へ。クリスマスイブで観光客のみならず人がごったがえすクスコ市街へ。まあ坂道が多く、一方通行も多い。石敷きで真ん中が溝になり、両側の家屋沿いの歩道部が高い市街地の道は、前にスペインで見たのと同じである。とにかく盆地でホテルも傾斜地にあって、放射状の道を下り、同 じ高さの弧状の道に入っていく。
◆ホテルに入ると、コカ茶が運ばれてくる。荷物を置いてアルマス広場に出かける。0時と同時に花火が上がるとも、そうでないとも情報が錯綜。どこともスペイン時代の町はこの広場があり、カテドラルがあり、市庁舎がありと、共通した景観を示す。とにかくそこにテントの店が山ほどに出ている。いつものに加えクリスマスイブということにもよるんだろう。そこを横切ってインカ?の踊りが見られるステージのあるレストランにたどりつくも、今日最後のステージは終わったところで見られず(21時30頃には入ったか)。23時前後にアルマス広場を再び横切るが、店の片づけが進む。いわゆるインディヘナの人々などは、まわりの村々から車にいっぱい売り物 (織物など)をもって売りに来ているのだろう。
◆ロケット花火などを打ち上げる人たちもいるが、どうも大きい花火をセットしている様子がないな~、と言いながらホテルにたどり着き、部屋に入ると花火が始まる・・・。外に出ると、あちこちで打ち上げられているらしく、遠くのものもある。もうちょっと粘っていてもよかったかなと思いつつ、寝る。

ペルー犬

◆というやつ。毛がない。

12月24日フィンランドのマリア

◆ホテルに戻り預かってもらっていた荷物をもち、帰途に向かう。いま世界中の人がスマホをもって いて、みな同じようにパラパラやっている。そして、ホテルの向かいにINTERNETと書いた要するにゲームセンターみたいなものがあり、村の子供がたかっているの見ると、なんだかな~、と。小さな村だが観光地で潤っているんでしょうね。こんなものまであるわけです。
◆帰りのペルーレイルは、エクスペディションというやつ。16:43発。これらはすべて全席指定で、やはり4人席で、乗り込んできたのはゴツイ白人女性。フィンランド人という。そこで頭を駆使して、フィンランドの話にもっていく。アホネンはウケました(むこうからは葛西の名前が出る)。湖が多いという話や、教育費0の話、ムーミンの話、バルト海の話、セウラザーリ野外博の話、などなど。クスコに着いての別れ際に、こんな楽しいことはなかったと、メル アドを交換しました。なんでも大学生22歳で、貧困対策の勉強をしているようでした。

12月24日マチュピチュ続々

◆遺跡をあとにし、バスで山を下り、例の橋を渡る手前で降り、近くの博物館に入る。職員2人はビ デオを見ていて受付に人はおらず、入っていくと出てきた。なんでも昔は近くに駅があり、マチュピチュの遺物をならべたこの博物館が2005年に作られたが、駅が廃止されてしまったらしい。いまでは訪れる人もほとんどいなさそう。これはもったいない話である。
◆次いで蝶園も訪ねる(~15:12)。

12月24日マチュピチュ続

◆天気は良く、雨季でカッパをもってくるように言われていたが、全体としても雨に降られること はなかった。マチュピチュでも日が高くなると暑くなり、写真の影がきつくなってきた。
◆途中、昼飯を食べに入り口に戻り、11時開店のレストランに入る。12:20くらいまでゆっくりし、再入場する。やや曇ってきて、遠くの山々には雨雲がかかり、一度、雷鳴も。13時過ぎには引き上げることとする。

◆いまは下の谷からバス道が通され遺跡に到達するも、インカ時代は山の斜面を縫って、クスコに至るインカ道が通っていた。オリャンタイタンボから82キロ、ガイド付き1日500人まで、3泊4日のトレッキングコースがあるという。標高4200mを含む3つの峠を越えるもので、遺跡が点在し、山岳風景や高山植物の見ながら、マチュピチュに入るらしい。

12月24日いよいよマチュピチュへ

◆バスで谷底から400m上の遺跡入り口まで行く。このバスは5時から動いているとのこと。マチュ ピチュ山やワイナピチュ山登山を含めると1日がかり、また帰りの汽車時刻から、みな早朝から城攻めをするらしい。5時半にフロントに降り、軽く朝食を取り、いよいよバスに乗り込む(5:50)。が、村から少しのところの橋が危なくてバスでは通れなくなったらしく、そこで降りて橋を渡り、対岸でバスを乗り換え、25分くらいで遺跡の入り口に着く(上)。
◆マチュピチュは見どころがたくさんありすぎて、いちいち書いてはおれません。なにより屋根はワラ(草)葺きでなくなっているが、石積みの切妻の壁が上までそのまま残っている姿がとにかくいい(中右)。こそっと、そのままに、人々がいなくなった時のままに残されているところに最大の価値がある。インカの遺跡のほとんどは上部が破壊されている。首都クスコでは、石垣はそのまま利用しつつス ペイン時代以降の建物に置き換わってしまっているし、現在の都市や町・村になっていない遺跡でも、やはり上部は壊されている。
◆人口500人~750人くらいと推定されているらしい。なぜに両側が切り立った高い場所を居住地とするんですかね(下左)。たしかに谷は深く日照量は山の上の方がいいのかもしれないが。
◆花崗岩の岩場で、露頭している巨石も多く、それらを利用しながら石積みをしている。また石切り場とよばれる地区があり、露岩多数が横たわっている。その石を見ていると矢穴をいくつか見ることができる(下右)。居住地の中央は広場のようになっていて両側の高いところに家屋などを設けてい る。そして斜面は見事な段々畑。きれいな切石がよく知られている が、そこはすべてがそうではなく、段々畑の石垣はそんなことはないし、その間にもいろんな積み方がある。

12月23日マチュピチュ村に着く

◆途中、トウモロコシ畑の広がる谷間もあったが、下っていくと渓谷風になり、マチュピチュ駅に 着きました。谷間に張り付くように両側に、飲食店、みやげもの屋、そしてホテルがある。橋が2つあり、行き来するようになっている。まずホテルに入って、と訪ねていくが(インカハウス)、ドアは閉まり中は暗い。向かいのホテルの人に尋ねると2週間は見ていない、と。仕方がないので、向かいのホテルに切り替える。雨季に入って観光客はそれほど多くはないようです。
◆それから出かけ、まず明日のマチュピチュに上がるバスのチケットを買い(中左)、次いで文化庁の出先 に出向きマチュピチュ入場券を買う(中右)。予約はしてあったが、ここでチケットを受け取るようです。62ドルというから安くはない。
◆そこから食事。ここまで日本から駆け足でここまで来たが、ようやくほっこりと。レストランというより飲み屋に近いか。ジャガイモ、キヌア(下右)、そしてピスコサワーなるお酒。ピスコというブドウを使った蒸留酒で、卵白を泡立てたものを浮かべる。そこそこのアルコール度数のようである。コカ葉入りのものをおかわり
(下左)。明日は5:30に出発することとし、引き上げる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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