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人を幸せにする人になろう

京都府城陽市久津川車塚古墳発掘調査のご案内

◆調査期間
8月3日~9月30日(予定)
◆調査主体
城陽市教育委員会 史跡整備にむけた国庫補助事業
協力 大阪市立大学日本史研究室
◆今回の調査目的
西造出の規模を確認し、くびれ部および前方部側面の墳端を押さえ、墳丘復元のための定点データをえる。
【追記】扇風機、テント、食事関係、発掘器財の追加分などなど、倉庫から出し、出撃準備を終えました。
 
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沖の島になったか

◆う~ん、そうか。
◆久津川車塚の参加者表が固まってきている。3日から機械掘削に入るとのこと。調査区整備もあり、人員も来週から入っていく。いよいよです。9月7日の週は大阪城のボーリングがあるのですが、それ以外はフル参加をめざす!。

この間、大阪の地図をいじっていました

◆大阪市の1929年の1万1があり、本になっている範囲について知ることができる。そこには1886年 の大阪実測図5000もある。これは前から知っていたが、同じ本に収録されている。で、1961年の大阪府1万1の画像データをもっている。で、それらを重ねていた。
◆左右のいちばん薄いのが1961年で、まんなかの中間が1929年、どまんなかの黒が1886年である。難波大道の名残を赤で入れてみる。この四天王寺付近の大阪実測図は、266mほどの難波京条坊を示す方格地割が残るところ。1929年でも既に大阪市域の区画整理が始まっているが、平野(ひらの)あたりはまだで、条里が残る。いや~1929を手に入れたことで、大阪市域の条里復元に、俄然、リキが入りそうである。とはいえ、あんまりケイハンをちゃんと入れていないようにも見える。ほんとは同じ時期の、というか地図の元になる航空写真が残っており、そこまで降りていくのがベストなんですが、そこまではなかなか。

考古学研究の本文を出す

◆出しました。あとは図だが、まあ、あと1ヶ月くらいは・・・。たぶん迷惑をかけることはないだろ う。1点のみ挿図を追加する。分析結果のまとめである。庄内式をさらに古くする方が妥当かな、と思い始めているが、それは計測データの蓄積を待ってからで問題はない。アウトラインに変わりはないから。
◆次は雄山閣の原稿(1文字も書いてませんが・・・)、それと歴博論文である。

考古学研究の本文はこれで確定としよう

◆やはり時間がかかるもので、1日を要してしまい、かつ註と参考文献も含めた本文終了まで到達しなかった。とはいえ、註と参考文献もほぼ主要なところはできあがっているので、もう半日あれば完成しよう。問題は参考文献で、いろんなものを再度、見直し、引用等が適切かどうかの点検か。なお、図は、再度、いじろうとは思ってますが、いまはやれません。もう全面的見直しは無理だと判断しているので、あくまで発表時のものでよいと考えているが、O先生にその後ご教示いただいた点は、少し反映させないと失礼かと。とはいえ、図をいじりだすと・・・。

昨日は深井で日本酒を

◆7月24日、某中百舌鳥近くにある大学の工学部の先生たちとカミサンが呑むことになっていて、誘 われる。なんでも、大阪一、日本酒がそろっているところだとのこと。これも社会勉強と出かける。
◆出入りのなじみの店みたいで、次々に、これは冷やでとか、これはヌル燗でとか、人肌でとか、各種の酒を頼んでいる。ワインと同じで、コップに水も入れてあり、ひとつひとつを楽しむようになっている模様。4日後に野辺山の天文台のアンテナに行く話とか、科研を出す話などがまとまっていく。こっちは門外漢ながら、工学のみなさんの話を聞いていると、みんなやりたいことをやっているのに、なんの違いもないということがよくわかる。新しいことを、誰もやっていないコレがやりたいんだ、という熱い語りを聞いていると、まったく分野が違っても、これがアカデミックということだろうし、そういうツーカーな人同士で呑むことの楽しさもまた、なんら変わることはないわけです。
◆いちばん年配の方は、必要な分野にもかかわらず、この人しかやっていないという先生で、特任→特命→特認と、その人のために制度が作られ、定年後も大学は手放せないのだという。

社会復帰中だが

◆西都原の資料は、期日も頁数も守らず・・・、まことに申し訳なく・・・。でアウトラインをという要 請。リュウミンなもんで。インデザでアウトラインをかけて再送したが、これで大丈夫か。で、たまったメールの処理を続けています。
◆こないだの高校の時のチレキ部同窓会に来てもらった先輩から、タイ山古墳群の報告書を送っていただく。前に先生にもらったものは大学図書館に入れたが、こちらは個人本として大切にしよう。そこに『温故知新』というクラブのニュースもはさんであり、それを挙げておきます。高校に入った年の夏、粟津遺跡の調査と、山崎城の調査に行っているんですね。その速報です。ですが、わたしは軟式テニス部に入っていて、まだ入部していませんでした。夏の終わりに、テニス部をやめてチレキ部にお世話になることになりました。同級生の勧誘です。彼はいまどこに?。ちなみに、チレキ部で学んだことは多いが、その柱とも言えるひとつはバレーボールでした。クラブボックスの前がバレーコートで、ず~とバレーボールをやってました。

ようやっと西都原の資料を出し

◆まことにすいません。今日はリポジトリで祇園原のことをまだ調べてました。あんまりしかし、 年代のこととか、古墳群のなかの順序とか、語ってくれていないように思います。最後に、橋本さんの編年図を元に、今回の検討によってちょっと動かした方がいいのでは、と思う古墳の位置を貼り替えたものを付けておきました。まあ、パワポもあるが、資料ができているので直前に。それより社会復帰をしなければ・・・、いろんなことがすべてストップしている。
◆本日、水曜日に博物館経営論の最終回の担当があり、これで前期の講義も終わり。なので、帰りに上本 町で・・・。

塚本古墳だったか

◆石舞台の奥の方墳、あれ6世紀後半ですよね。シシヨ塚より古いかも知れませんね。で調べていたら、もうひとつ先に塚本古墳というのがあって、過去の発掘風景の写真がネットで拾える。石積みの感じは、まさに石舞台。これマリセちゃうかと。

あしたの通論ラスト

◆そんなんで地域史惣寄り合いにも顔を出さず・・・、ごめんなさい。宮崎の資料は、あと2時間くらいあれば、できるかな。帰ってからが勝負。が、明日の授業の準備が・・・。今日は徹夜か。日向の古墳の話をして予行演習をやりたいところだが、今期は6世紀の話をしてきたのでそうもいかず。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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