人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
伏見城2013年3月15日
◆東南隅の民地境界のあたりから舟入に降りる。Y字に分かれ、二方向に掘り込みがなされている。現在、その底面
は砂で埋まっている。JRが走っているため、なかなか外からの観察が難しい箇所である。竹藪でうっそうとしている。
◆午後は、その西側の尾根の張り出しから始める。なんでも比蘇寺の塔をここに移築し、また廃城時には三井寺に再び移築したという。尾根先端の東よりの高まりが塔跡ではないかと思われるが、礎石は見られない。そこから舟入西側面に降り、南側をぐるりとをまわって尾根の西側に入る。水路や段差地形が認められるが、城の時期か後世の耕作地か?。そこから道路南側の丘陵地に入る。陵墓図では自然地形状ではあるが、段差が認められ、家臣の屋敷地かもしれない。南側の凹部は京都橘高校となっている(高校サッカーで決勝までいったところ)。
◆乃木神社のところまで来て休憩。ちょっと筋肉痛気味だし、なにやら眠く、松尾さんが全員に飲み物を買ってくれる(乃木神社内の自動販売機)。なんとか、もう1時間ということで、西へ。指月段階の舟入りということだったか、ここにも谷地形の凹部があり、まず南側の民地に出て、西側まで行ってから陵墓地内の肩部のかなり急峻なところを東に進む。舟入りの東北部には深く谷が入り込み(ある程度人為的か?)、そこを見たあと、参道北側に入る。
◆けっこう広大な平坦面が段差をともなって区切られている。森島さんの西側の発掘遺構から復元される城下町の町割りを延長させてみると、これがけっこう合うのではないか、ということになる。
◆以上、今年度のDEF地区について、見て回れていないポイントもあるが、ほぼ予定していた区域の踏査と観察をひととおり実施することができた。次年度は最終年度なので、この2年の成果を持ち寄り、課題やチェック箇所を整理していかなければならない。
◆午後は、その西側の尾根の張り出しから始める。なんでも比蘇寺の塔をここに移築し、また廃城時には三井寺に再び移築したという。尾根先端の東よりの高まりが塔跡ではないかと思われるが、礎石は見られない。そこから舟入西側面に降り、南側をぐるりとをまわって尾根の西側に入る。水路や段差地形が認められるが、城の時期か後世の耕作地か?。そこから道路南側の丘陵地に入る。陵墓図では自然地形状ではあるが、段差が認められ、家臣の屋敷地かもしれない。南側の凹部は京都橘高校となっている(高校サッカーで決勝までいったところ)。
◆乃木神社のところまで来て休憩。ちょっと筋肉痛気味だし、なにやら眠く、松尾さんが全員に飲み物を買ってくれる(乃木神社内の自動販売機)。なんとか、もう1時間ということで、西へ。指月段階の舟入りということだったか、ここにも谷地形の凹部があり、まず南側の民地に出て、西側まで行ってから陵墓地内の肩部のかなり急峻なところを東に進む。舟入りの東北部には深く谷が入り込み(ある程度人為的か?)、そこを見たあと、参道北側に入る。
◆けっこう広大な平坦面が段差をともなって区切られている。森島さんの西側の発掘遺構から復元される城下町の町割りを延長させてみると、これがけっこう合うのではないか、ということになる。
◆以上、今年度のDEF地区について、見て回れていないポイントもあるが、ほぼ予定していた区域の踏査と観察をひととおり実施することができた。次年度は最終年度なので、この2年の成果を持ち寄り、課題やチェック箇所を整理していかなければならない。
伏見城2013年3月14日
◆いよいよ今年度のDEF地区の踏査。まずD地区。D地区は東北隅から東辺の地区。昨日、清掃した石垣から空堀に入
る。空堀を北に向かい旧キャッスルランドのところで上に上がり、これまで入ったことのない松の丸の郭へと向かう。陵墓図の通り、肩部には小さな段差があり、その内側にどうも石がならぶ。東北隅まで行き、下に降り、東辺途中の平坦面を南下したところで昼。
◆午後は、松の丸の上面。空堀の北側を通り、ぐるりとまわって一段下りる。午前の到達点まで行き、そこからさらに下り、巡回路となっている下の平坦面を東北隅まで行って引き返す。途中、紅雪堀の隅のところに石が見えたので、堀の水面まで降りたりしながら、次に皇后陵裏側の郭を南下する。
◆そこから東へ降り、馬場といわれているあたりを観察する。このあたりは陵墓地境界の外とは一続きになっていて、城郭としての防御施設は陵墓図からはわからないが、この東側しばらくのところに自然地形である大きな谷が入る。その南辺では8mくらいドカーンと落ちており、そこを下るのはやめて、西に回り込み、一段下に降りる。
◆東大手のところを観察した後、さっきの段差のところまで北上し、西側のまた一段下の平坦面に沿って東大手に戻り、南から入り込む谷(堀でもある)を観察し、太鼓櫓南側の郭上面をまわって、この日は終了となる。
◆午後は、松の丸の上面。空堀の北側を通り、ぐるりとまわって一段下りる。午前の到達点まで行き、そこからさらに下り、巡回路となっている下の平坦面を東北隅まで行って引き返す。途中、紅雪堀の隅のところに石が見えたので、堀の水面まで降りたりしながら、次に皇后陵裏側の郭を南下する。
◆そこから東へ降り、馬場といわれているあたりを観察する。このあたりは陵墓地境界の外とは一続きになっていて、城郭としての防御施設は陵墓図からはわからないが、この東側しばらくのところに自然地形である大きな谷が入る。その南辺では8mくらいドカーンと落ちており、そこを下るのはやめて、西に回り込み、一段下に降りる。
◆東大手のところを観察した後、さっきの段差のところまで北上し、西側のまた一段下の平坦面に沿って東大手に戻り、南から入り込む谷(堀でもある)を観察し、太鼓櫓南側の郭上面をまわって、この日は終了となる。
伏見城2013年3月13日
◆9時半集合。まず特別参拝。本日の予定は、太鼓櫓と、本丸―松の丸間の西面石垣の清掃。
以下同じだが、縄張り図作成チームは別で動いている。
◆横田冬彦先生が参加されているので、まず増田郭南面石垣を見てもらう。そのあと、昨年、一部有志に案内いただいたが、わたしは見ていない船入部の残存石垣を見せていただく。竹の間に石が写っている写真。これは隅角にあたり、いちばん上の大きい石の小口面(写真の写っていない側)に京極家の刻印がある。そのあと船入り部の谷を北に上がり、太鼓櫓に向かう。午前中、清掃を続けるも完了せず、昼となる。
◆午後は、太鼓櫓の清掃を完了させる。けっこうな大きさで全景のいい写真が撮れていないな~。頂部、そして南面・西面・北面と清掃する。落ちていく東側は立木もけっこうある。北東側裾部に張り出しがあり、栗石が多数露出する。東側をよく望むことができ、ここに櫓があるのは有効ではないか、といった話が出る。
◆それから石垣に向かう。増田郭南面石垣に続いて、石垣がよく残る箇所である。かぶり土のあるものを、少々清掃し、石の輪郭等がよく見える程度に露出させる。天気予報通り、途中から
雨。あまり気にならずに作業を続けたが、雨音を
聞いている限り、けっこう降っている。少し気になる箇所もまだあったが、おおよそ何時頃だったろうか、15:30までには今日はここまでとして、山を下りた。
◆横田冬彦先生が参加されているので、まず増田郭南面石垣を見てもらう。そのあと、昨年、一部有志に案内いただいたが、わたしは見ていない船入部の残存石垣を見せていただく。竹の間に石が写っている写真。これは隅角にあたり、いちばん上の大きい石の小口面(写真の写っていない側)に京極家の刻印がある。そのあと船入り部の谷を北に上がり、太鼓櫓に向かう。午前中、清掃を続けるも完了せず、昼となる。
◆午後は、太鼓櫓の清掃を完了させる。けっこうな大きさで全景のいい写真が撮れていないな~。頂部、そして南面・西面・北面と清掃する。落ちていく東側は立木もけっこうある。北東側裾部に張り出しがあり、栗石が多数露出する。東側をよく望むことができ、ここに櫓があるのは有効ではないか、といった話が出る。
◆それから石垣に向かう。増田郭南面石垣に続いて、石垣がよく残る箇所である。かぶり土のあるものを、少々清掃し、石の輪郭等がよく見える程度に露出させる。天気予報通り、途中から
2013年3月16日、古代を偲ぶ会
◆昨日のうちに資料を刷り、ホッチキスで留める。今朝、9時過ぎから12時頃までかかってパワポを準備する。要するに
松岳山古墳の話。14時開始で、場所は天満橋のエル大阪。30分前に到着しパソコンをセットするも、天井低く、スクリーンは小さく、おまけに部屋はかなり縦長で、うしろの人は見えにくかったに違いない。
◆1時間50分くらい話をしたか。大半は松岳山古墳の調査研究史、最後に最新の測量図を元に墳丘復元案を示し、玉手山古墳群との関係を含めた評価の話をすこし。まあ、あんなもんかね。
◆エルおおさかに歩いていきがてら、南を見ると石垣が・・・。これは何?。とにかく、大川に面したところがガクンと下がっていることがよくわかる。
◆1時間50分くらい話をしたか。大半は松岳山古墳の調査研究史、最後に最新の測量図を元に墳丘復元案を示し、玉手山古墳群との関係を含めた評価の話をすこし。まあ、あんなもんかね。
◆エルおおさかに歩いていきがてら、南を見ると石垣が・・・。これは何?。とにかく、大川に面したところがガクンと下がっていることがよくわかる。
大阪歴史学会の伏見城調査2013
◆13日から、本日、15日まで、3日間の調査が終わりました。おおむね順調に予定の仕事を終えることができた。宮内庁監区事務所のみなさま方に、引き続き、たいへんお世話いただいた。きちんと日誌をまとめないといけないところであるが、13・14と、ひとまずまわったコースと写真撮影箇所の記録だけはやっている。
◆明日は、古代を偲ぶ会で松岳山の話をしないといけないので、これから準備にかかる。
◆明日は、古代を偲ぶ会で松岳山の話をしないといけないので、これから準備にかかる。
3月12日、個別学力試験(後期)終了
◆3月に入り、なにもしないまま時間が過ぎているような。8日は京都に行き、9・10は歴博の研究会、11は、午前は松
岳山測量報告書の打ち合わせ、15時から3時間FD研究会、18:30からは和泉市史信太編の打ち合わせ、と、ばたばたと過ぎてゆく。そして本日、後期入試の試験監督をやり、いま終わる(13時)。
◆ず~と寝不足気味で疲れ果てていたが、昨夜はぐっすりと眠り、今朝はずいぶんスッキリし、体調も回復、明日からの伏見城の調査に望めそうである(準備はこれからだが)。
◆娘は第1志望校に落ち、昨日、後期受験のため北海道に飛んだ。実は日曜日のフライトだったが欠航となった。で、月曜日、朝イチの便で、カミさんとともに関空まで送り(写真はその時の朝日)、見送った。試験はうちと同様、午前中のみなので、今日中に帰ってくる。さて、彼女の先行きはいったいどうなるだろうか。後期の合格発表は21日という。
◆試験監督に際し、小さいメモ帳を買い込む。小論文2時間半の長丁場。近つの原稿と、5月の歴博の研究発表のことなど、課題となっていることについて、ずうっと考え、必要ならメモしていた(ちゃんと監督はしてますよ)。まあ、けっこう詰めて考えると、いろんなことが思い浮かんだり、詰めなければならない課題を思いついたりする。ああいう時間帯は、定期試験の時間も含めて、そんなことをやっています。
◆もひとつ、サイフが出てきた。やっぱり伊丹空港から京都へ向かうリムジンバスのなかだった。バス会社の人でなく、隙間に落ちていたものを、ある方が見つけてくれ、入れていた名刺を見て、メルアドに連絡をもらう。キャッシュカードやクレジットカードは停止し、再発行してもらっているが、身分証や運転免許証や保険証など、再発行はめんどくさいと思っていたので、とてもありがたいことである。
◆ず~と寝不足気味で疲れ果てていたが、昨夜はぐっすりと眠り、今朝はずいぶんスッキリし、体調も回復、明日からの伏見城の調査に望めそうである(準備はこれからだが)。
◆娘は第1志望校に落ち、昨日、後期受験のため北海道に飛んだ。実は日曜日のフライトだったが欠航となった。で、月曜日、朝イチの便で、カミさんとともに関空まで送り(写真はその時の朝日)、見送った。試験はうちと同様、午前中のみなので、今日中に帰ってくる。さて、彼女の先行きはいったいどうなるだろうか。後期の合格発表は21日という。
◆試験監督に際し、小さいメモ帳を買い込む。小論文2時間半の長丁場。近つの原稿と、5月の歴博の研究発表のことなど、課題となっていることについて、ずうっと考え、必要ならメモしていた(ちゃんと監督はしてますよ)。まあ、けっこう詰めて考えると、いろんなことが思い浮かんだり、詰めなければならない課題を思いついたりする。ああいう時間帯は、定期試験の時間も含めて、そんなことをやっています。
◆もひとつ、サイフが出てきた。やっぱり伊丹空港から京都へ向かうリムジンバスのなかだった。バス会社の人でなく、隙間に落ちていたものを、ある方が見つけてくれ、入れていた名刺を見て、メルアドに連絡をもらう。キャッシュカードやクレジットカードは停止し、再発行してもらっているが、身分証や運転免許証や保険証など、再発行はめんどくさいと思っていたので、とてもありがたいことである。
3月3日、桃の節句、なにわの海の時空館
◆3月10日をもって閉館する、なにわの海の時空館に初めて行く。海に面したところにというのはわかるが、高速代、トン
ネル代、駐車場代500円、そして大人1人600円・・・。まあ、人が多かったですよ。
◆海底のトンネルを抜けて、海に浮かぶドームに行く。で、菱垣廻船「浪華丸」がメイン。展示は勉強になるが、一般向けとしてはどうなんだろう。もうすこし易しくする工夫も必要だったか。上から降りて行き、各フロアを一周する間に、いくつもの展示室が展開する。箱のような展示室をめぐっていくものでなく、それぞれのトピックやテーマごとの「個室」が散りばめてある。それはそれで面白いのだが。
◆橋下市長がケチョンケチョンに言うほど、愚かしいものではもちろんない。しかし2000年に開館し、たったの10年である。年間80万人といった甘い甘い見込みに対し、年間10万人程度で、毎年3億円の赤字となると、責任者出てこい、と
いう気持ちもわからないではない。が、半分は場所が悪いんだろうに。ATCもWTCも同じである。
◆あまりコメントする気力がない。展示はまじめなもので、例えば歴史の分野で言うと、なんでこんなのが、大阪歴博で見られへんのか、と思う。
◆海底のトンネルを抜けて、海に浮かぶドームに行く。で、菱垣廻船「浪華丸」がメイン。展示は勉強になるが、一般向けとしてはどうなんだろう。もうすこし易しくする工夫も必要だったか。上から降りて行き、各フロアを一周する間に、いくつもの展示室が展開する。箱のような展示室をめぐっていくものでなく、それぞれのトピックやテーマごとの「個室」が散りばめてある。それはそれで面白いのだが。
◆橋下市長がケチョンケチョンに言うほど、愚かしいものではもちろんない。しかし2000年に開館し、たったの10年である。年間80万人といった甘い甘い見込みに対し、年間10万人程度で、毎年3億円の赤字となると、責任者出てこい、と
◆あまりコメントする気力がない。展示はまじめなもので、例えば歴史の分野で言うと、なんでこんなのが、大阪歴博で見られへんのか、と思う。
ニサンザイの橋
◆橋ですよね。墳丘をあがってテラスに取り付くものであって、祭祀場ではないだろう。一般的には土橋があって、葬送時にはそこから入り、最後撤去すると言われている。なので一瀬さんは追葬ちゃうかと。しかし土橋って、ほんとにあるとしても(まああるんやろね、ただ古墳が大きいと、排水溝も何個も掘らなあかん)、葬送時にはそこから入るだろうか。佐紀段階はともかく、同一水面の周濠が備わっているものの場合。やっぱり水を入れてこその彼岸でしょ。葬送時にはまだ排水溝が穿たれたままで、葬送儀礼が完了するとともに、土橋を撤去し、排水溝を埋め、水を引き入れる、というのは、なんか締まらん話ではないだろうか。
◆土橋があるとしても、葬送時には水に浮かぶ島状態になっているのではないか。つまり、あの橋は追葬と言えるのか。本体の葬送時のために設置したものと考えてもいいんではないか。問題は、くびれ部附近の前方部から墳丘に上がる問とされている点だが、テラスを回り込めばいいのだろう。そもそも、くびれ部だと、橋が長くなってしまうだろう。
◆それと柱間のばらつきについては、ちゃんと検討しているわけではないが、1間+2間+1間、要するに三つの橋、ということはないのか、と現場で考えていた。
【追記】写真はありません。
◆土橋があるとしても、葬送時には水に浮かぶ島状態になっているのではないか。つまり、あの橋は追葬と言えるのか。本体の葬送時のために設置したものと考えてもいいんではないか。問題は、くびれ部附近の前方部から墳丘に上がる問とされている点だが、テラスを回り込めばいいのだろう。そもそも、くびれ部だと、橋が長くなってしまうだろう。
◆それと柱間のばらつきについては、ちゃんと検討しているわけではないが、1間+2間+1間、要するに三つの橋、ということはないのか、と現場で考えていた。
【追記】写真はありません。
2月18日、宮崎
◆やっぱり西都原のことはなかなか書けません。18日、重藤さんと空港からホテルへ送ってもらう。一休みしてから、柳
沢先生と一緒に、オデン屋に連れていってもらう。その時の1コマを。けっこう焼酎を飲みました。宮崎では呑んだ後、うどんで締めるのだそうです。この釜揚げうどんが、実においしかった。
◆翌日、まず〓号墳。どうやら弥生末期の墓の可能性があるというもの。高さはあまりなく、しかし押しつぶされた状態の壺形土器が検出されており、頂部の半分は当初の高さを留めているらしい。大正の発掘では何も出ず、掘り進めてストップしている。掘った跡には文字を刻んだ石を置くらしく、それが検出されている状態を初めて見る。あいにくの雨。しかし、台地内側方向にのばしたトレンチでは初期須恵器と思われる甕片が散乱する。
◆もうひとつ、〓号墳。墳丘は丈高で、盗掘坑が横穴式石室風にくぼみ、鬼の窟に後続する、西都原では2基目の横穴式石室墳ではないかというもの。周溝が検出されていたが、問題は埋葬施設。ひとまずどういうものがどの程度残存
するものか、という確認までは現状変更として認められているらしい。どう掘りましょう
か、というところ。まあ、盗掘坑はほぼ石室を示しているので、羨道中央部あたりを主軸直交方向にトレンチを入れ、残存する側壁の上端を検出するのがいちばんテットリ早いだろう。こりゃ楽しみですね。
◆翌日、まず〓号墳。どうやら弥生末期の墓の可能性があるというもの。高さはあまりなく、しかし押しつぶされた状態の壺形土器が検出されており、頂部の半分は当初の高さを留めているらしい。大正の発掘では何も出ず、掘り進めてストップしている。掘った跡には文字を刻んだ石を置くらしく、それが検出されている状態を初めて見る。あいにくの雨。しかし、台地内側方向にのばしたトレンチでは初期須恵器と思われる甕片が散乱する。
◆もうひとつ、〓号墳。墳丘は丈高で、盗掘坑が横穴式石室風にくぼみ、鬼の窟に後続する、西都原では2基目の横穴式石室墳ではないかというもの。周溝が検出されていたが、問題は埋葬施設。ひとまずどういうものがどの程度残存
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。