人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
110906歴史を楽しもうかい
◆堺で2時間しゃべる。できて20年になる会だそうである。4・5世紀
の丹後、まあ、しゃべ
れるところは限られている。弥生後期のことを皮切りに・・・。自分にとっては、4世紀後半のことのみならず、前後の時期の資料を集め、既に書かれていることに学び、勉強になった。会場は150人ほどだろうか。よく見る顔もちらほら。それにみなさん、たいてい現地に行き勉強もしている。あまり新鮮味はないかも、とも思いつつ・・・。
◆12月になったのだったか、網野銚子山の追加指定がなったので、丹後でシンポが行われる予定で、声がかかっている。三大古墳について、加悦町のシンポ以来になるが、墳丘についてきちんとまとめなければならない(今日は比較の作
業は進めず、従来の見方で通した)。いい準備作業をさせてもらったように思う。
◆12月になったのだったか、網野銚子山の追加指定がなったので、丹後でシンポが行われる予定で、声がかかっている。三大古墳について、加悦町のシンポ以来になるが、墳丘についてきちんとまとめなければならない(今日は比較の作
本の話のつづき
◆『和泉市史 地域叙述編 池田谷の開発と歴史』は、半年ずれたが、もうすぐ刊行されるらしい。楽しみだ。こない
だ、瓦の掲載許可の関係で、どこの瓦か追加で問い合わせが来た。市史編纂の主力の1人が3月で抜けたのも大きい。軒丸瓦は禅寂寺所蔵で、軒平瓦は大阪府の発掘資料で泉北で資料調査した、と返事。あれらの拓本や図面も、もう手元においておく必要はないし、和泉市に渡そう。坂元寺の時は、大阪府、京大など、頑張って見れるものは学生と見に行ったなあ、と思い出す。
◆同じ和泉市史がらみで、和泉の条里復元をやっている。これも3年くらいやっている。奈良盆地のがすごい。それから福井県史。あんなふうにはいかないが、同等のことを和泉でやろうとしている。条里の線を入れるのは終わっているが、それだけではダメなので、昨年度、和泉市域内については小字調査をやってもらい、その成果図をもらって、イラレで、小字の範囲と文字を専属アルバイトにやってもらっている。が、ゴールはまだ見えませんね・・・。だが、今年度ではできるのでは?
◆同じ和泉市史がらみで、和泉の条里復元をやっている。これも3年くらいやっている。奈良盆地のがすごい。それから福井県史。あんなふうにはいかないが、同等のことを和泉でやろうとしている。条里の線を入れるのは終わっているが、それだけではダメなので、昨年度、和泉市域内については小字調査をやってもらい、その成果図をもらって、イラレで、小字の範囲と文字を専属アルバイトにやってもらっている。が、ゴールはまだ見えませんね・・・。だが、今年度ではできるのでは?
青木書店の本はどうなる?
◆同成社の再校が来た。ほとんどみたが、念のためチェックするところが残る。で、青木のヤツはどうなるんでしょうね。古墳時代の研究のシリーズ本で、ほとんど同じ企画。青木が原稿がそろわず刊行がずれ込む中で、同成社の、もうひとつ若い世代の編修本が、この調子で第1回の刊行は時間の問題。
◆オレにも責任の一端はあるんでしょうね。青木では、古墳築造の話を分担したが、出すのは遅かった・・・。でも、これもだいぶ前だし、初校は済ませたが、その後はウントモスントモ。そういえば、泉大津の弥生学習舘の〈古墳時代はどう始まったか〉の連続講演およびシンポの本も、ウントモスントモ。
◆まあ、多くの人様の原稿を集めるのはしんどい。オレも『別冊ヒストリア』で苦しんだ。大歴の総会で、計上してある別冊刊行費を、2年か3年か流した。鑑査で指摘され、つらかったが、まあ、出てよかった。
◆オレにも責任の一端はあるんでしょうね。青木では、古墳築造の話を分担したが、出すのは遅かった・・・。でも、これもだいぶ前だし、初校は済ませたが、その後はウントモスントモ。そういえば、泉大津の弥生学習舘の〈古墳時代はどう始まったか〉の連続講演およびシンポの本も、ウントモスントモ。
◆まあ、多くの人様の原稿を集めるのはしんどい。オレも『別冊ヒストリア』で苦しんだ。大歴の総会で、計上してある別冊刊行費を、2年か3年か流した。鑑査で指摘され、つらかったが、まあ、出てよかった。
権現山の鏡にはヒモが残っていた
◆こないだの森先生の抜き刷り、三角縁神獣鏡は弥生後期後半に伊都国では同笵の大型鏡を多数作る技
術はあり、「その技術を母体にして、ヤマトへ移ってきた、九州勢力が新たに作り出した」もの。どうやら銅鐸の技術系譜を引いていると考え、また「母体」との表現からすると、東遷の頃に呉からの渡来系工人も加わって、古墳時代成立時に新たにヤマトで呪具・葬具として生み出された、との理解らしい。
◆三角縁神獣鏡の鈕は「鋳ばなし」であるというのと、棺内に持ち込まれず大事な鏡じゃない、というのをやはり強調する。むろん中国から出ないことがベースにはあるが、中国鏡はちゃんと鈕孔を研磨しヒモを通す、大事にされてない、だから中国鏡ではありえないと。
◆この実物をよく観察しない、出土状況から学ばない、というのが京大批判の点。だが、例にあがっているものは、紫金山。倭製で、4世紀第2四半期でしょ、三角縁神獣鏡が大きな役割を果たすのは中国王朝健在時の3世紀後半だ。もうひとつ。和泉黄金塚。モノは中国鏡だが、前期末の古墳でしょ。
◆黒塚も上がっていた。やっぱり棺内は画文帯神獣鏡だ。三角縁神獣鏡はすべて棺外だと。それはそうですね。だけど、紫金山のように小口に重ねられていたわけでもなく、黄金塚のように粘土に塗り込めていたわけではない。整然とコの字形に棺を囲む。もちろん、権現山のみならず、3世紀後半の中国製三角縁神獣鏡の多くは棺内に持ち込まれている。
◆あとは鈕孔の「鋳ばなし」論。そうなんでしょうね。無頓着にきれいにしてしまったらあかんわな(中子の土がそのままのものがあるはずとの指摘はもっとも)。だが、オレは権現山の整理で岡大で図面を書いていたとき、何号鏡だったか、いちばんいい2号鏡だったか、鈕孔に繊維が残っていたのを覚えている。もっと意識をもつべきでしたね。布目先生に鑑定してもらうべきだろうし、そういう目でほかの鏡も点検すべきですね。だが、たぶん、報告の時に記述もしなかった。自分の担当の2面ではなかったのだが。それはあかんわな。ちゃんと報告しなきゃ。実物は小袋に入れたような気もするが定かではない。たぶん、わからなくなっているのでは?
◆ヒモありましたよ、と森先生への手紙に書いた。ちゃんと報告していない、機会があれば紹介するとも。あの2号鏡は古段階。「鋳ばなし」というのも多くの指摘があるからそうなんだろうけど、ちゃんと観察し、また時期別に見れば、きっと、古いモノはちゃんとしていて、新しくなれば「鋳ばなし」になるんでは。卒論のテーマにはなるかもしれん。なので、三角縁神獣鏡を、さいしょっから、だめなやつというのは問題である。データにもとづき実証的な反論はできないが、きっと、森先生の指摘2点はクリアできるはず。
◆三角縁神獣鏡の鈕は「鋳ばなし」であるというのと、棺内に持ち込まれず大事な鏡じゃない、というのをやはり強調する。むろん中国から出ないことがベースにはあるが、中国鏡はちゃんと鈕孔を研磨しヒモを通す、大事にされてない、だから中国鏡ではありえないと。
◆この実物をよく観察しない、出土状況から学ばない、というのが京大批判の点。だが、例にあがっているものは、紫金山。倭製で、4世紀第2四半期でしょ、三角縁神獣鏡が大きな役割を果たすのは中国王朝健在時の3世紀後半だ。もうひとつ。和泉黄金塚。モノは中国鏡だが、前期末の古墳でしょ。
◆黒塚も上がっていた。やっぱり棺内は画文帯神獣鏡だ。三角縁神獣鏡はすべて棺外だと。それはそうですね。だけど、紫金山のように小口に重ねられていたわけでもなく、黄金塚のように粘土に塗り込めていたわけではない。整然とコの字形に棺を囲む。もちろん、権現山のみならず、3世紀後半の中国製三角縁神獣鏡の多くは棺内に持ち込まれている。
◆あとは鈕孔の「鋳ばなし」論。そうなんでしょうね。無頓着にきれいにしてしまったらあかんわな(中子の土がそのままのものがあるはずとの指摘はもっとも)。だが、オレは権現山の整理で岡大で図面を書いていたとき、何号鏡だったか、いちばんいい2号鏡だったか、鈕孔に繊維が残っていたのを覚えている。もっと意識をもつべきでしたね。布目先生に鑑定してもらうべきだろうし、そういう目でほかの鏡も点検すべきですね。だが、たぶん、報告の時に記述もしなかった。自分の担当の2面ではなかったのだが。それはあかんわな。ちゃんと報告しなきゃ。実物は小袋に入れたような気もするが定かではない。たぶん、わからなくなっているのでは?
◆ヒモありましたよ、と森先生への手紙に書いた。ちゃんと報告していない、機会があれば紹介するとも。あの2号鏡は古段階。「鋳ばなし」というのも多くの指摘があるからそうなんだろうけど、ちゃんと観察し、また時期別に見れば、きっと、古いモノはちゃんとしていて、新しくなれば「鋳ばなし」になるんでは。卒論のテーマにはなるかもしれん。なので、三角縁神獣鏡を、さいしょっから、だめなやつというのは問題である。データにもとづき実証的な反論はできないが、きっと、森先生の指摘2点はクリアできるはず。
歯が痛くて
◆歯が痛いと・・・
◆内閣も替わり、台風がやってきて、9月になる。1週間ほど前、夜のキャンパスで虫が鳴いていた。秋です。
◆いろいろある、悩ましいことも。が、ここ数日は、仕事をやったという感じで、悪い気はしない。
◆何を書いているのでしょうね。あの、数日前に出した図のことですが(再掲しておく)、要するに倭の2王並立はどのように終わったか、ということを考えているわけ。いまのところのシナリオを書いておく。
◆(1)神聖王允恭+執政王反正→(2)反正没(誉田御廟山)→(3)神聖王允恭+執政王イチノベ→(4)允恭没(大仙)→(5)神聖王キナシ+執政王イチノベ→(6)キナシ没?(土師ニサンザイ)→(7)神聖王清寧+執政王イチノベ→(8)イチノベ暗殺(市野山)→(9)神聖王清寧+執政王雄略(キナシとイチノベの前後はどっちがいいんだろう。埴輪チェック、いずれ近似)→(10)雄略没(岡ミサンザイ)→(11)神聖王清寧+執政王仁賢→(12)清寧没(軽里、このへんが問題か。が、清寧墓がほかには見いだしがたい)→(13)神聖王不明(飯豊は?)+執政王仁賢→(14)仁賢没(ボケ山)、継体が統合された倭国王となる(ただし仁賢没にともなうのか、並立したのかは検討の余地あり。)。
◆まあ、こんなところ。古市の王陵の時期を勘案し、例えば軽里がニサンザイを継承する墳形だというのを考慮し2王並立の手がかりとし、むろん文献から考えられる倭国王を考えたら、以上のような筋書きに、現段階ではたどり着いたわけである。わりといい線か?、はたまた砂上の楼閣か。
◆内閣も替わり、台風がやってきて、9月になる。1週間ほど前、夜のキャンパスで虫が鳴いていた。秋です。
◆いろいろある、悩ましいことも。が、ここ数日は、仕事をやったという感じで、悪い気はしない。
◆何を書いているのでしょうね。あの、数日前に出した図のことですが(再掲しておく)、要するに倭の2王並立はどのように終わったか、ということを考えているわけ。いまのところのシナリオを書いておく。
◆(1)神聖王允恭+執政王反正→(2)反正没(誉田御廟山)→(3)神聖王允恭+執政王イチノベ→(4)允恭没(大仙)→(5)神聖王キナシ+執政王イチノベ→(6)キナシ没?(土師ニサンザイ)→(7)神聖王清寧+執政王イチノベ→(8)イチノベ暗殺(市野山)→(9)神聖王清寧+執政王雄略(キナシとイチノベの前後はどっちがいいんだろう。埴輪チェック、いずれ近似)→(10)雄略没(岡ミサンザイ)→(11)神聖王清寧+執政王仁賢→(12)清寧没(軽里、このへんが問題か。が、清寧墓がほかには見いだしがたい)→(13)神聖王不明(飯豊は?)+執政王仁賢→(14)仁賢没(ボケ山)、継体が統合された倭国王となる(ただし仁賢没にともなうのか、並立したのかは検討の余地あり。)。
◆まあ、こんなところ。古市の王陵の時期を勘案し、例えば軽里がニサンザイを継承する墳形だというのを考慮し2王並立の手がかりとし、むろん文献から考えられる倭国王を考えたら、以上のような筋書きに、現段階ではたどり着いたわけである。わりといい線か?、はたまた砂上の楼閣か。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。