人を幸せにする人になろう

寝台特急「日本海」に乗って

◆実は、1時間出発をのばすため、サンダーバードで富山まで行き、22時に日本海に乗り継いだ。ぎりぎりまで大学fa8e9e9b.JPGで仕事をしていた。
◆サンダーバードでは酒を呑まずコーヒーにして、同68d8d6be.JPG成社の原稿を仕上げることに。一通り書いたら12頁分くらいになっていたものを、10頁に縮める作業をする。
◆富山駅の乗り継ぎ時間に弁当とアルコールを買おうと思っていたが、ホームの売店はみな閉まっている。改札を出てコンビニに走り、あじけない食事を取る。A寝台のところにタバコが吸える場所があり、パソコンを打つ。日が変わる前くらいには、アルコールもまわり眠くなって寝台に横たわる。
◆横揺れがあって、眠れなさそうだったが、そのうちに眠りに落ちる。起きたのは4時頃から、それからはうつらうつら。しかし6時半前には完全に起きる。外を見ると秋田の田園風景が広がっている。
【追記】DS社の原稿を仕上げました。


断捨離って?

◆断捨離(だんしゃり)は、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする、クラターコンサツラント「やましたひでひこ」の提唱する生活術(登録商標だそうです)。ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。断=入ってくる要らない物を断つ/捨=家にずっとある要らない物を捨てる/離=物への執着から離れる ということだそうです。〔ウィキ〕

いい言葉

◆宮本常一が書いたもの(民俗学の旅:9 アチック・ミューゼアムに入る)。引用部分は、師の渋沢敬三の発言だそうです。

「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものが多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまなければならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要とみとめられないときはだまってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」などということばは私の心に強くしみとおった。そしてそれを守ろうと思ったが、なかなか実行できるものでなく、人の意識にのぼるような行動をとることの方が多いのである。        
◆これ、このあいだお会いした増田重信さんのご子息から教えていただいた。重信さんは宮本常一を敬愛し、よくこの言葉を語ったそうである。

墳丘裾の保護と立木

◆まず立木。蛭子山のように木を残し、だが見通せるように間伐し、草刈りをする。好ましく思っている。一方で、ぜんぶ切ってしまうところも少なくない。昼飯でもぜんぶ切ってあるそうだ。確かに根は墳丘を痛めるものではあるが、一方で今日においては貴重な緑地であることもある。どっちが正しいということもなく、ケースバイケースか。
◆木を残すにしても、林相にもよろうが、巨木だけだと下の見晴らしはいいが、遺構への影響は大きい。なかなかどうするのがイイのか、よくわからん。
◆墳裾。こないだの宮内庁懇談会で、実施済みの百舌鳥御廟山を見に行かねばならないが、フトン籠を置き、それを基礎に植生土嚢をつみあげて、浸食された墳丘下段断面を保護するのだそうだ。今城塚もそうですね。水濠がある場合はとくにそうだろうが、大きいものではおおむねスタンダードになりつつあるか。きれいな斜面を作り上げ芝を貼ることなく、土嚢で斜面を作りだし、適当な草が生えて自然な感じになるんだろう。
◆宮内庁での護岸工事工法の変遷、史跡整備における手法の変遷、そういうものを調べてみたいものだ。水濠のある大規模な古墳整備なんて、そう多くはないだろう。どうすればいいか、いろいろと変転を経て、いま植生土嚢を積み上げる手法に落ち着きつつあるように感じる。経費にもよるんだろうし。さて、下段が削り込まれた網野銚子山ではどうするか、だな。

青森に行くのだが

◆今夕、大阪発寝台で弘前に出る。今週は3連休で1日少ない上に、火曜日は東京だったので、雑用がまったく片づいていない。土日は青森なので、月曜日の大阪歴史学会の月例全体委員会の準備も考えておかなければならない。ま、そんなんで、今日は、片づいていないモロモロを、できる限り処理することにしよう。メールをもらっているのに何ら反応を返していないみなさん、申し訳ありません。今日、ぜんぶ処理しますので・・・。
【追記】ようやくメールの底が見えた。出発まであと1時間!

オープンキャンパス

◆今年は担当。午後の各コースの説明は40分3ラウンド。当日のシャベリ、配付資料の作成、パネル展示、の3本fd61c8d0.JPG柱。昨日夕刻、在籍者側の担当となってくれているM1と冊子の打ち合わせをした。今年のM1は、日本史研究室のモロモロの世話役になるという役割をちゃんと認識して取り組んでくれているようで頼もしい。
◆で、この冊子。前に担当だったときにディスプレイをオレが導入し、簡単な冊子も作るようになったが、そのあと担当だった塚田先生が「日本史コースがわかる」という本格的な冊子を作り上げ、これをここ数年更新してきた。M1との話では、ちょっと文章が多い、写真も増やしたい、高校生の知りたいニーズにもう少し絞ってもいいのではというので、おおむね意見は一致した。さてと、どこまで手をかけるか、だな。
◆やりだすとドツボにはまる。M1でワードで写真を貼り付けて冊子を仕上げるところまでやることそのものが重要だ。こっちが本腰を入れると、インデザインでたぶん作り上げるだろう。だが、それをやってしまうとダメ。ワードでほぼ仕上げた上で、インデザインで編集していくこともいいことだが、それは次に取っておくか。リニューアルを達成させることを、今年はめざそうか。

網野銚子山の整備計画立案がはじまる

◆網野銚子山古墳の整備計画を今年度立案するのだが、そのメンバーになることになり、京丹後市の岡林さんがb82fd474.JPG訪ねてこられた。銚子山・小銚子・寛平法皇、この3基からなり、必要な追加指定が実現した。で、これから整備事業を進めていくことになったもの。
◆まずは買い上げ。前に聞いたときには、営農を続けたいという人も多いということだったが、5年くらい経つと、担い手の方もさらにそれだけ年齢を重ね、子供も故郷を離れているし、手放しても・・・という人も多くなったという。銚子山本体は公有地で、周囲の民地をしばらく買い上げなくても、墳丘本体でやれることをやったらと思っていたが、順当に買い上げ→整備ということになるか。
◆合併前の網野町時代に基本構想はまとめられている。オレはその時以来のメンバーである。大がかりな復元整備をする必要はない。実に美しい古墳なので、立木の間伐などで、墳丘がずっとよく見えるようになる。傷んでいるところを補修し、部分的に復元する部分を作ってもいいが、基本はあるがままでよいだろう。
◆地元の意向、市長の意向、教育委員会の意向もおおむね聞いた。神明山の測量など、いろいろお世話になっている京丹後市に、なにがしかお役に立ちたいものである。
【追記】話の中で、大垣市の昼飯大塚の話になった。整備事業中で、あと2年くらいだという。長らく昼飯には行っていない。なんでも、端末をもって、立ち位置からの復元3D映像が見ながら現地見学ができるようなものを開発しているらしい。これからも仕入れたネタをできるだけ取り上げることにします。

無題

de32a8b2.JPG◆卒論を書くはずの1人が、こないだ2ヶ月のイギリス語学留学へ旅だった。就職活動をしたがうまくいかず、面接のヤリトリの中でこれでは通らないと感じ、人生経験が足りないと。やりたいことは割と明確で、そうした関係の職につきたいと、でこの先どうするかも考えているようだ。
◆教育実習から帰ってきたとたん、イギリスに行きます言われた時、、「アカン」とも言えないし、「そりゃいいことだ」とも言えなかった。大学教員としては、大学院生、とくに博士課程の院生の先行きには一定の責務が生じるだろうが、学部生、修士課程の院生の人生について責任をもつことはできない。通常、みな自分で考え、なにがしかの進路を選択し、就職してゆく。一方で、夢を語る者もいて、それぞれ特殊な世界であることが多いし、アドバイスができるわけではない。
◆が、しばらくアルバイトをしながら、いろんなチャレンジをし、考えたりするにしても、20代後半にはやっぱり食い扶持をちゃんともつ方がいいんだろう。基本的に一定年齢には親から独立して働くことが必要だ。しばらくは不安定ながら自己実現の道をさぐることはあってもいいが、自分は何をしたいのかと悩み続けるべきではなく、ある段階には職をえた方がいい。いまはとくに就職も厳しい。ずれ込むほどシンドクなる。
◆そしてちゃんと働き、結婚適齢期に配偶者をえて子供を作ることも人間の勤めであるし、なによりも家族のいる人生はすばらしい。そして記事にあるように、働く中で自己を磨くことが、自分の可能性を広げることになる。やっぱり給料をもらって組織のメンバーとして働くことで、社会の中でなにがしかの生産活動に加わること、それを通じて社会の一員として、共同して何かを動かし実現させていくことを学ぶ。おおむね大学を出て、20代後半から30代前半くらいのなかで一人前になっていくという面があって、時期というものがあるように思う。
◆その先、転職したり違う世界に飛び込んだりするにしても、苦労をするかもしれないがやっていける資力・能力・自信をこうして身につけることで、次のステップへの道が開ける、そのためにもいまの持ち場で一所懸命やることだ、ということだろうか。

古墳編年の推移

◆同成社の古墳時代本、第1回配本で、まだ原稿を出していないのは、オレを含めて3人だそうだ(もう一人の人795d9a95.jpgの話による)。今日、結局、授業は休講となったので、仕上げようと努力。なんとか金曜日までには仕上げたいものだ。
◆挿図は2点を考えており、1点はほぼできたが、もう1点の編年図はいましばらく時間がかかるだろう。できた方、古墳編年の推移を示すもの、これを掲げておこう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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