人を幸せにする人になろう

8月4日にむけて

◆ガイドプラス講座のおじさん・おばさんたちと町あるきを続けている。で、今度は8月にわたしが 座学をやって綿業会館の見学をするという計画になる。ああ、しんど。でもまあ、この機会に、大阪の都市的発展の基礎的な事項をまとめておこうかと。
◆1961年の航空写真地図を合成、1921年の1万分の1を合成、天保期の『新修大阪市史』付図の、140周年記念展示室を作る時に加工したもの、それらをぜんぶ統合して、各段階のものを見せるというプランを立てている。明治19年の大阪実測図も展示室の時にやった。この大阪実測図、大阪の町を近代的測量ではじめて図示したものと理解しているが、明治7年着手、地理局図籍課作成とある。この実務を担当して仕上げたのは誰だろう。なにか論文があるのではないかと思うが・・・、探せていない。
◆で、まあ始まり始まり、である豊臣期の図を置いたものまで、一応、到達した。これらの作業を、6月17日にかなりやった。

新・五代友厚伝

◆五代愛はあるんだろう。何年か前に、同窓会から五代の展示を依頼され、実現しなかったのだ が、博物館実習Ⅰで取り組んだことがある。いくつもあるなかで、文庫本になっている伝記をひとつ読んでいた。その後?、同時並行?、140周年記念展示室を作る時、大阪商工会議所に資料の撮影にも行った。大阪府立中之島図書館での展示は見逃したが、大阪商工会議所の展示は資料調査の前に見た。で、この時のパネルが実によくできていた。で、同窓会に要請された展示は、それらを貸していただいてもってくるので十分ではないかと、交渉もした。これも結局は実現しなかった。
◆で、この本、博物館実習展でやる年にでき、これをもとに履修者にまとめてもらっていたわかです。わたしは明治14年の官有物物払い下げ事件のところしか読まなかった。
◆で、このたび、最初から最後まで、通勤電車の中で通読した。かみくだいての説明、ですます調、600頁越え。根拠となる資料が明示され、通俗的な、『君伝』、五代龍作の『五代友厚伝』、宮本又次の『五代友厚伝』が、いかに虚飾に満ちているかがよくわかった。通俗的な虚像をただすことが眼目の本である。なので、「新」とあるが、すべてを取り上げたものではない。

この人もすごい

◆大洲、行ってみたいですね。

夫婦別姓問題

◆この記事、全く同感ですね。

春成論集

◆5月末〆切で、すでに20日近く経過。春先から少しずつ準備はしてきた。お題は「前方後円墳の型 式」、指定である。昨年、佐紀について設計寸法をまとめた。また12月の近鉄文化サロンの講座で古市・百舌鳥について同じようにやると決め、これまでにもむろんやってはきていたが、佐紀のスタイルでぜんぶやる。で、6月以降、オオヤマトに着手し、6月17日までに6基についてひととおりやる(今日見たら、再度見直して最終調整が必要ですね)。
◆で17日は軽里大塚もやる。昨年12月は、津堂から岡ミサンザイまで。あとボケ山、今城塚、河内大塚山、五条野丸山、平田梅山までやりたいところだが、無理か。まして馬見周辺の第3系列まではいきそうにない(これ来月、王寺町でしゃべらないといけないので、その時にやることにしている)。
◆型式設定のことをどのようにするかを、この間、考えてきた。が、今回の眼目は、ひととおり復元し、それにもとづき各部を計測し設計寸法を考えると、こんなものではないでしょうかという、その提示が主目的でよいかなとは考えている。そこから系列の話はできるだろうが、型式と銘打たれると、なかなかしんどそうである。

2023年6月10日、引っ越し

◆カミサンの研究室引っ越し。この日は運送業者が来て、実験道具などの大型品を含めて、関学に運び出すことになっていたもの。自家用車にも少し積む。が、関学の方の実験の部屋のひとつがすっかり開かないので、特別大きいものは積み残しで、再度の引っ越しも必要なのだが。
◆この日、摂南の通用門の思い鉄扉を開けて、自家用車とトラックを建物の横につける。まだ積み込みの始まる前、鉄扉を開けようとして、レールの位置に右足が入ってしまっていて、力を入れて扉を押して自分の足をひく。ぎゃー。見る見る血が出てきた。
◆なんとか歩ける。また作業もする。激痛はなく骨は大丈夫そうか。結局、関学で昼飯を食ったあと、おそるおそる靴下をはずすと、指2本の先がやられ、それなりの裂傷。それと爪がやられているように見え、これはやばいかな、と。まあでも、大丈夫そうなので、そのままとする。1週間がたち、なんとか直ってきている。年寄りは、落ち着いてゆっくりと、ですね。

2023年6月9日、プレゼン

◆信太貝吹山古墳の測量で、どうも虫か何かに左目の上下を噛まれたようで、その後、腫れてき て、ひどい状態になっていた。ようやく2週間くらいして元に戻る。
◆6月9日は、大学の大型研究費に、大阪の歴史文化研究拠点構想のための研究として申請したが、そのプレゼンテーション。昨年度に続いて2回目。かなり時間をかけ準備し、当日を迎え、5分という短い時間だが語った。
◆1週間後の16日に落とされたことが判明。1000万円が2件、やはりすべて理系である。蓄積型の人文系研究など、新大学には必要ないのでしょうか。大阪「公立」大学として、むろん日本で世界で勝負できる目のある理系の研究を支援する必要は理解できるが、大阪にねざした研究も、もうひとつの柱としてあってしかるべきだが、認められない。

堺、極楽橋

◆大正10年の地図。堺の環濠があり、東西道路がまたぐところにすべて橋 があった。戦時中に道路 を拡幅するなどの変形がなされる前の姿。もっともすべては江戸時代のままではないのだろうが。
◆で、阪神高速堺線を作る直前まで、ほぼこの大正期の環濠と橋の状態は変わらなかったのだろうか。むろん阪堺電車が通るとか、車が通るなどで、拡幅されることは必然とはいえ、およそ環濠に囲まれた姿が残っていたのなら、それを残していれば、堺の町というのが、環濠都市というのがどういうものであったか、それを見ることのできる歴史遺産になったであろうに。環濠、そして内側の土塁、それらは近現代においては不要のものとして取り払われたが、残っていれば重要な観光資源になったはず。

2023年6月5日、堺

◆Fさんの案内で堺のまちあるき。水野鍛錬所というところにいく。包丁を鍛えている職人は堺にま だ多くいるが、刀を作っているのはここだけなのだとか。現役の仕事場を案内してもらう。
◆前に来た時より、町屋がそこここに残っているな、と感じる。
◆本願寺堺別院のところに石碑があり、堺県庁址とある。税所篤はここに通っていたということか。
◆阪神高速横の土居の東ヘリに高まりがあり、見せてもらった断面図からすると、環濠の内側の土塁にあたる。どこまで江戸時代の土塁が残っていて、どこまでがイメージ作りのものか、よくわからん。ある段階で崩されてしまっていたら、阪神高速の工事をやった時に、わざわざ盛り上げる必要はないのかもしれません。なので、いま残る高まりは往時の名残なのかも。これ知らんかった。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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