人を幸せにする人になろう

もひとつ

◆考古の発表。上町台地またそれを降りた沿岸部の難波津、というのは考古学的には5世紀以降らしく、難波堀江の掘削が転換点なんだな、と学ぶ。淀川・大和川河口部がぐちゃぐしゃで、上町台地よりも北のところに自然河口があった段階は、崇禅寺とか、やっぱりそこが重要。上町台地先端部は高く、見張り施設くらいは想定できるのかもしれないが、のちに外交施設が置かれ、難波宮がそこ立地することになる要件は、堀江の掘削がないとアカンかったんやろう、というのがよくわかった。仁徳くらいでいいんちゃう。
◆もひとつ、なので5世紀には王権拠点になるんだけど、6世紀に難波官家が設置されるそのへんの理解。はじめから王権拠点、意味合いは官家、そこを改めて官家にする意味と実態、例えば遺構の上で充実してくるのかな、とか、そういうところに興味をもつ。
◆もうひとつは、やはり住吉津。住吉津の方で集落遺跡はTK208以降なんだとか、やや遅れると理解しているとのこと。が、やはり住吉大社があそこにある意義は大きい。シワツ道があったことも大きい。なんとなれば、大阪湾岸からの派兵は4世紀中頃にさかのぼると思うので。やはり上町台地や船場あたりにくらべて、住吉大社周辺の発掘調査の量・規模とは違っていて、まだまだわからんぞ、と。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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