人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
仁藤先生も
◆こないだの歴博の共同研究、仁藤敦先生も入っている。以前に、うちに集中講義にきていただいたことがあり、その時に初めて顔をあわせて飲食した。仁藤さんがこの共同研究で何をするかという話を少しするときに、最近書いた論文のコピーを2本いただいたが、それを今週、読んだ。
◆いまの古代史研究者の中で、古墳時代のことに積極的に発言している方だ。で、書いていることは前からのことだろうが、要するに箸墓は台与の墓という。卑弥呼墓であることを認めない。なぜなんだ!、といいたい。なんで、そう判断できるのかが納得できない。要するに、卑弥呼没後、男王が立ったが、みな従わず、台与が第2代倭国王になって収まる、というところのよう。卑弥呼は初代倭国王としてエラかったかもしれないが、それは死没と共に混乱が生じるように、不安定で、継承もうまくいかない、そういう段階だ。そういう時期にあれだけの王墓が造られるのはふさわしくない。そうした混乱を経て、作りあげた体制を維持するために、前方後円墳共有システムが起動する。だから、箸墓は卑弥呼没後の産物だ、そういう理屈のようだ。
◆だが、福永先生やオレが言っている、三角縁神獣鏡の議論は無視ということですよね。卑弥呼没後の混乱は混乱として評価すればいいが、箸墓の年代は絞り込まれ、また歴博のC14でも裏付けられているんでしょ。箸墓が3世紀中頃というのがなぜダメなのか。箸墓が3世紀後半に下がるということを明示しない以上、ダメでしょう。
◆いまの古代史研究者の中で、古墳時代のことに積極的に発言している方だ。で、書いていることは前からのことだろうが、要するに箸墓は台与の墓という。卑弥呼墓であることを認めない。なぜなんだ!、といいたい。なんで、そう判断できるのかが納得できない。要するに、卑弥呼没後、男王が立ったが、みな従わず、台与が第2代倭国王になって収まる、というところのよう。卑弥呼は初代倭国王としてエラかったかもしれないが、それは死没と共に混乱が生じるように、不安定で、継承もうまくいかない、そういう段階だ。そういう時期にあれだけの王墓が造られるのはふさわしくない。そうした混乱を経て、作りあげた体制を維持するために、前方後円墳共有システムが起動する。だから、箸墓は卑弥呼没後の産物だ、そういう理屈のようだ。
◆だが、福永先生やオレが言っている、三角縁神獣鏡の議論は無視ということですよね。卑弥呼没後の混乱は混乱として評価すればいいが、箸墓の年代は絞り込まれ、また歴博のC14でも裏付けられているんでしょ。箸墓が3世紀中頃というのがなぜダメなのか。箸墓が3世紀後半に下がるということを明示しない以上、ダメでしょう。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/05)
(02/05)
(01/27)
(01/16)
(01/13)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。