人を幸せにする人になろう

白石先生に叩かれて

◆最近書いたモノを3本、お送りいただいた。ありがたいことである。が、中身を見ると、1本は、全史協の講演会記録のようで、2王並立は認められない!、もう1本は、近つの館報で、生前造墓論はダメだ、被葬者論に拠って立っていて、岩屋山式石室について、考古学的に少ないながら須恵器をもとに考えて年代観を示し、そういう構築物としての白石論に対して、「またぞろ」アホなことを言う、といった調子で叩かれている。
◆べつにヘコミはしない。さすがである、という部分はある。全面的な反論はいまただちにはやれないが、まあ、やりますよ。で、要するに、牽牛子塚古墳は700年前後になるんだから、文武の時に修造されたものであって、当初の越智岡へ埋葬した墓が岩屋山古墳ということで、論文の主旨は牽牛子塚についての、発掘フィーバーに対する反論。
◆牽牛子塚の石槨が、先生のいう第3類型で、同じ段階じ位置づけられるのが中尾山=文武なので、700年前後、という点に対して、横口式石槨の編年と年代観について、まず反論しなければならない。石室風の長い羨道から、それが短くなり、羨道がなくなり、という省略過程にもとづく編年はおおむね妥当なんだろうか。だが、羨道がないといえども、羨道の先に石槨部の入り口があって、開口部が作り出してあるのと、開口部というものがなく、南小口は底石・両側石・天井石の端部が見えていて、それを封鎖するキトラなどとは違う。時間差でなく系統差も考えないといけないが、キトラと同じような時期におくのはいかがなものか。第2段階の年代の根拠が大分・古宮古墳の被葬者というだけなのもね~。
◆第1類には土器の資料が知られるモノがあって7世紀中頃というが(ほんまか?)、そのあとの配列と年代についての根拠は薄弱ですね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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