人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
信太山の夜は更けて―和気も遠くなりにけり
◆今年の和泉市調査は和気。中世の館で有名。前にも書いたが、今回は、ひたすら外を歩くことにした。中日はコース
ガイダンスがあり、昼までで、大学に行って日本史のガイダンスをやり、作業終了頃に戻る。
◆久保津土井という、槇尾川から取水する幹線水路があり、そこから、条里の大区画に沿って、規則的に東から西へ流す、東西方向の水路が通る。こういうの、知識では知っていても、体験的に見たのは初めてか。久保津土井って、いつできるのでしょうね。6・7世紀ではないかという話をした。これがないと条里を切らないだろう、というくらい。ふつうはもっとあと、と考えるのかもしれませんね。
◆最終日にひとつ言い忘れたこと。ここも、和気が近世には支配が二分され、本村と郷荘に区分される。つまり、本村は軽部郷、郷荘は坂本郷なのだ。で、久保津土井で、坂本郷諸村と和気は結ばれてはいるが、しかし史料で出てくるのは、フジュフセ派の史料など仏教関係なのだが、神社祭祀をめぐるまとまりについての文書は出てこない。ちょうど祭りの一週間前で、だんじりを準備しているところで、いまは郷荘連合に和気も属している。水利からは自然なのだが、実は新しいのではないか。近世に支配が二分されているように、坂本郷の郷荘神社の氏子ではなかったのではないだろうか。郷界はかなり効いているのでは。郷荘はあくまで坂本郷であって、かといって軽部郷は三河川で分断されて、そっちのまとまりも見えない。けっこう独立独歩的な村だったかも、と思った。
◆久保津土井という、槇尾川から取水する幹線水路があり、そこから、条里の大区画に沿って、規則的に東から西へ流す、東西方向の水路が通る。こういうの、知識では知っていても、体験的に見たのは初めてか。久保津土井って、いつできるのでしょうね。6・7世紀ではないかという話をした。これがないと条里を切らないだろう、というくらい。ふつうはもっとあと、と考えるのかもしれませんね。
◆最終日にひとつ言い忘れたこと。ここも、和気が近世には支配が二分され、本村と郷荘に区分される。つまり、本村は軽部郷、郷荘は坂本郷なのだ。で、久保津土井で、坂本郷諸村と和気は結ばれてはいるが、しかし史料で出てくるのは、フジュフセ派の史料など仏教関係なのだが、神社祭祀をめぐるまとまりについての文書は出てこない。ちょうど祭りの一週間前で、だんじりを準備しているところで、いまは郷荘連合に和気も属している。水利からは自然なのだが、実は新しいのではないか。近世に支配が二分されているように、坂本郷の郷荘神社の氏子ではなかったのではないだろうか。郷界はかなり効いているのでは。郷荘はあくまで坂本郷であって、かといって軽部郷は三河川で分断されて、そっちのまとまりも見えない。けっこう独立独歩的な村だったかも、と思った。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。