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喜界島と城久遺跡(3)圃場整備と埋文調査(2)

◆圃場整備は島の東北部から始まったようで、その頃、熊本大学の学術調査などもあったようだが、町では埋文対応はしてお707381f5.JPGらず、あちこちで工事現場で出土遺物があり、それを採集していた先駆者がいるという。f41a2ae4.JPG
◆圃場整備の事業地がその後も展開する中で、ようやく埋文対応が始まり、そうして城久遺跡群などが明らかになってきたということのようである。城久遺跡群のある地区の改良工事は終了し、現在は島の西端におよんでいる。いま照屋さんらが発掘しているのは、その手久津久遺跡群というところ。
◆ちなみに前提となるところだが、前にも書いたと思うが、螺鈿の素材である夜光貝の需要というのが、対中国への輸出品としてのものを含めて国家が必要とし、城久遺跡群というのは、太宰府が設置した南方交易の拠点と考えられている。北の秋田城と同じである。今回、実際に夜光貝を現場で見るとよくわかるが、貝の内面の、なんていうのか真珠のようなあの光沢部が、夜光貝では膜面状で貝殻本体と分離し剥がれやすいのである。このために、螺鈿細工にもってこいの素材となる。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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