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栖原角兵衛

◆栖原角兵衛なるものの存在を知る。以下WEB。IMG_8665.JPG

栖原角兵衛(初代、1601-1673)江戸時代前期の漁業家。慶長6年生まれ。紀伊有田郡栖原の人。元和の末,上総天羽郡萩生に移住し,この地方の漁場をひらいた。寛文13年1月20日死去。73歳。名は茂俊。

第7代、1780-1851。江戸中・後期,松前藩城下を拠点に蝦夷地場所経営に当たった紀州有田郡栖原出身の漁業家,海産物・材木商,廻船業者。本姓北村,名は信義,角兵衛は世襲名。城下に設置した松前物問屋を統括店として石狩・樺太場所を請け負う。初代が敢行した紀州からの関東鰯旅漁 や房総富津の鯛桂網漁と,5代以降の蝦夷地各地での鰊・鮭・鱒漁など累代による漁業基盤の上に立ち,さらに紀州藩を後ろ盾にそれらを拡張し,海産物を大坂店や江戸店を通じて販売した。なかでも,アイヌの強制徴用に基づく伊達林右衛門との共同樺太漁業経営は年額2000~3000両の利益を生み出し,天保期には松前城下第3位の分限者にのし上がった。 しかし,アイヌの徴用は9代角兵衛の安政期に最も苛酷になり,悪者を象徴する「スワラノチゥ」(栖原の星)というアイヌ語が生まれた。こうした事業のかたわら,幕府設立の箱館産物会所の御用達も務めていた。 10代角兵衛は維新後は樺太を引き揚げ,千島列島漁場の開発経営に専念し,新時代への対応を計るが,明治28(1895)年,北海道における漁業の多くを三井物産会社に移譲した。

◆だそうである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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