人を幸せにする人になろう

歴博研究会

◆韓国のなんとか島の三角板短甲を出した古墳の発掘の報告を聞く。28mくらいの円墳で竪穴式石室。結論は倭人だろうということになった。石室から福岡平野東部出身の首長ではないか、とも。
◆多島海は危険な海域で難破が絶えないという。また半島西海岸では干満の差が8mもあるという(東シナ海はすごい)。こうした地域の島に倭人が一定の集団を引き連れ入り込んでいく。集落遺跡では子持ち勾玉など、倭人が同居しているとも考えられるが、墓域は別で、新たに調査された古墳は単独墳とのことである。その意図は、この多難な海域をつないで、伽耶地域から西海岸へと行き来するための海上交通上の停泊地であり必要なものの補給基地といったところか。
◆大枠では半島にかかわる倭人諸集団の総意があるのかもしれないし、実際に海上交通を担っている集団の自発的なものなのかもしれない。いずれにしても、倭人の渡海は弥生時代にさかのぼるとしても、そこで骨を埋め古墳を築いて葬られるという現象が生じるのは、いまのところ5世紀以降のようである。活動の活発化、あるいは情勢の流動化か。棲み分けた形ではあるものの、倭人がより入り込む形に進んだと言えるだろう。6世紀初頭の前方後円墳が話題性ゆえに注目されているが、顕著な一時的現象といえるが、それも5世紀以来の、こうした土着していく運動の延長にあると捉える必要がある。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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