人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
田舎館の垂柳遺跡
◆そのあと田舎館村に行く。何年か前に東北貧乏家族旅行をやったとき、十和田湖の駐車場で野宿し、翌朝、リン![f66cafaf.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1311463662?w=150&h=112)
ゴを見ながら、弘前に下りてきたのだが、途中、田舎館村の「弥生の里」なる道の駅によった。まだ8時くらいで何もなく、自販機で飲み物を買って弘前に向かった。この道の駅の横に、田舎館村埋蔵文化財センターの建物があることもすぐわかったが、そういう次第でスルーした。
◆今回の昼飯はその道の駅だった。ビールを飲みたいのをグッと我慢。そのあと文化財センターに行く。四角い建物は、検出された水田遺構の覆屋であった。横に展示室があり、垂柳遺跡の出土遺物がならぶ。東北大の伊藤信雄先生が、ここから出土した土器から、これは弥生だ、と言ったのに対し、青森県に弥生文化が到達していたとは考えられていない頃の頃、さまざまな反対意見が。それに対し、みずから発掘し炭化米を掘り出して見せたのもすごい。でも納得
されなかった。それが、道路の発掘調査で、明々白々、水田遺
構が見つかったわけである。
◆いまは史跡に指定されている。1999年に岡村道雄さんが課内で説明していたことを思い出す。2000年に国の史跡になった。
◆土器はなお亀ヶ岡の伝統が残っているが、しかしだいぶ弛緩しており、大型壺は定型化している(亀ヶ岡の壺と遠賀川系の壺の融合形態という)。
◆今回の昼飯はその道の駅だった。ビールを飲みたいのをグッと我慢。そのあと文化財センターに行く。四角い建物は、検出された水田遺構の覆屋であった。横に展示室があり、垂柳遺跡の出土遺物がならぶ。東北大の伊藤信雄先生が、ここから出土した土器から、これは弥生だ、と言ったのに対し、青森県に弥生文化が到達していたとは考えられていない頃の頃、さまざまな反対意見が。それに対し、みずから発掘し炭化米を掘り出して見せたのもすごい。でも納得
◆いまは史跡に指定されている。1999年に岡村道雄さんが課内で説明していたことを思い出す。2000年に国の史跡になった。
◆土器はなお亀ヶ岡の伝統が残っているが、しかしだいぶ弛緩しており、大型壺は定型化している(亀ヶ岡の壺と遠賀川系の壺の融合形態という)。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。