人を幸せにする人になろう

須恵器

◆火曜日を乗り切り(博物館概論も来週あと1回まで来た)、水曜日、3限が終わり、いろいろやることはあったが、遊んでしまう。ちょっと須恵器の勉強。いまやってる場合かというところだが、息抜きです。本格的には来年度。今年卒業し、来年、大学院に進学する学生は7・8世紀のことをやっているが、できれば、一緒に7世紀代の須恵器をあちこち実測にまわろうかと考えている。科研もそれに引っかけたネタだが、採択されようがされまいが、やることに変わりない。佐藤隆氏に胸張って、ぜんぶ見ました、といえるように資料を見たいものである。
◆今日、まあちょっと空いた時間で、少しかじったくらいですが。TG232もそうですが、500年前後も、人によってぜんぜん違いますね。白石さんはMT15というし(それはないと思うが)、TK47という意見もあれば、佐藤さんのはTK23という意見に近いのかな。とにかく23と47は同一段階とする。MT85とTK43も同一段階とする。口径の幅の重なりからということのようだが、いまのオレには、変化していく須恵器の杯Hの何をもって区切るのがよいのか、2347にしても8543にしても、なにも言えないが。菱田さんの飛鳥0というのも・・・。
◆今城塚が定点としてひとつあることは大きい。が、500年前後を決める定点はなかなか難しい。高井田山はいったいいつなんだ。武烈紀の高田の岡というのはやはり気になるし。そのへんは、やはり安村さんの、石室と須恵器の整合性の議論がもっとも正当なんだろうが、実年代となると、475の漢城陥落を手がかりにできるとしても、なかなか決めがたいわな~。が、6世紀前半に横穴式石室が普及していくと、そういう動きとMT15というのは基本的に連動しているように思う。継体が6世紀初頭にはオシサカにいるとしても、百済系の横穴式石室が定まり築造されていくのがMT15で(死没して埋葬されていくのがTK10以降が中心か)、それは6世紀ただちにでなく、ちょっと経ってからくらいで考えるのが適当かな、くらいには思っているが。あとは前とのバランスですね。450年はTK216の時代と思っとりますが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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