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八戸研究会(18)南部師行

◆根城 byウィキ。

 1333年に北畠顕家は陸奥国司として陸奥国に下向した時、南部師行が国司代に任じられて同行 した。翌年、師行は、南朝方の根本となる城という願いから「根城」と名付けた城を築く。が、1338年、師行は北畠顕家とともに足利尊氏討伐に遠征し、和泉国石津川で高師直に破れ、顕家と共に戦死する。
 1393年、南部氏8代の八戸政光は本領の甲斐より根城に移って南部氏の再興を図った。この系統は八戸氏とも呼ばれている。不安定な時代が続き、同族である三戸南部氏が次第に有力になる。三戸城主南部信直は豊臣秀吉の元に帰参して所領の南部7郡を安堵され、根城八戸氏も宗家の支配下に組み込まれる。
 宗家の南部利直は盛岡城を築き盛岡藩を開く。同時に八戸も盛岡藩領に帰属。1627年、八戸氏22代・直秀は利直により遠野城に移封となり根城は廃城となる。
 1983年より11年間にわたり発掘調査及び整備事業が進められた。

◆根城のふもと、八戸市博物館前に師行の銅像があるが、天王寺で戦い、最後は石津川で敗死した人物であったのだ。

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雲楽
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60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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