人を幸せにする人になろう

小中高

◆勉強するのは小中。左のグラフ、ほとんど勉強しないが、小→中→高と増えていく。全平均勉強時間を見ると、高校生は中学生よりも低い!。ほんとは逆。義務教育を越えて、高等学校に進学したわけで、勉強時間がそこから増えていかないといけない。で、ゲームばっかりしているわけです。

大学生の勉強時間

◆いつの何にもとづく統計か、出所まで控えていないが、アメリカの大学生と比べて、勉強していないのは歴然。それと画像が粗いが、どのへんの学生の勉強時間が減っているかというグラフでは、紫の偏差値50~55といった、普通の、社会を支えるべきちゃんとした学力のある層が、経年的に、大学に入ってもっとも勉強しなくなっている、よう。 

日本の論文数が減っているのだとか

◆左を見ても、日本は横ばい。縦軸を伸ばしてやれば、減っていることがわかる。  2000年代前半が転換点。国立大学法人化とか、COEやらの競争的資金が導入されたりした。これを分析している人もおり、要は研究時間がないから論文が書けないということのよう。競争のために、あるいは自己評価とか外部評価とか、書類を書く仕事が増える。結果的にはクリエイティブな仕事の生産性が高まることはない。
◆文科省って、ほんとバカ。

渋野丸山は

◆発掘されているんですね。ち~とも知りませんでした。五社神型かなと。

切り替えがへたで・・・

◆庄内式の年代で頭が占められ、そういうのがやめられず、やることを先延ばしに・・・。まあでも、一旦、区切りにしないといけない。結論はそう変わるものでもない。
◆2世紀後葉の関ヶ原、吉備が東軍について決着。東方社会の成長はあれ、北部九州に対する優位の転換を「倭国乱」に求める、これ実にわかりやすい結論。しかしそうでしょうか、というのが私見。卑弥呼共立は201年とみているが、これはあまり寄りかからないようにしようと言い聞かせている。決め込むことはできない。史料的な縛りは、107年倭国王帥升等の朝貢から70~80年、というところ。単純に足せば177年~187年。卑弥呼が15歳で王となったなら、没年247年で85歳~75歳。これならぎりぎりありうるか(むろん201年に27歳で即位したっていいわけだが(73歳没))。倭国乱や卑弥呼即位が、そのあたりまでさかのぼる蓋然性はあり、またそれ以上のことはわからない。190年あたりの即位、というのは理解しやすいところ。さかのぼって180年くらいだろう。庄内式がそれ以降となれば、卑弥呼即位で纏向がという従来の考え方のママ。
◆しかし、169年の年輪年代があり、井戸の状況、北陸の土器、畿内の土器との対比など、さまざまなファクターがあるが、これが月影1で庄内0式としても、169年+下層土器が入るまでの使用期間があり、仮に175年として、しかし月影1とか庄内0のどのあたりかによるが、ど真ん中として始まりはそこから年代を遡上させる必要はあり、160年代くらいにはいくだろう。卑弥呼即位の上限まで10年とか20年くらいしかないということかもしれないが、やはり倭国乱より早い、と考えざるをえないのではないか。
◆畿内の庄内はさらにややさかのぼっておかしくないように思うが(こういうのが勝手な思い込みです)、それを論じるには力不足。もうちょっと土器の勉強をしないといけない。+前後の時代の年代関係資料との整合性。
◆だったらどうなるの。さ~?。倭国乱ですべて説明する、というのに異議申し立てをしたいわけです。
◆さらには、箸墓の年代、布留2の年代、津堂の年代・・・。それを詰めるということが研究そのものなんでしょうけど、別に決めてくれないものかと。考古学という学問上、またそれを歴史学として論じるうえで、暦年代は避けられないわけだが、それに労力を割くのもね~、と思ってしまいます。津堂が375年あたりならそれ、390年代ならそれ、決まるなら決めて、その先の話をしたいわけです。また、案外と布留0と布留1すら、境は3世紀後半のどのあたりなのか、古墳出土の土器をからめての議論は、あまり整っていないということも感じる。
◆さて、今日は切り替えて、と。岸和田のこともやめて、と。

近況

◆先週はまとまった時間はなく、それぞれチョコチョコ前進させたくらい。そして18日は古代を偲ぶ会40周年記念シンポ。資料を木曜日の晩に出し、翌日のどっかからかパワポを調整し始め、翌当日の午前でなんとか仕上げた。O大のFさんとわたしが50分ほどしゃべり、元A市教委のMさんがコメントをして1時間ほどの討論。
◆庄内式の開始期について、反論をいただき、修正している(ある投稿論文の中で・・・、あれはどうなったのだろうか)。意見を後退させたわけである。しかし倭国乱にともなう卑弥呼共立は、さかのぼらせても180とか190あたりであろう。庄内式は大友西の年輪年代に縛られるが、それでもそれよりは前であろうとみている。そのへんは考えを維持している。とはいえ、全面的な見直しは必至で、それにはまとまった時間が必要になる。柳田さんの書いているものを見ていても、なんとかしなければ、と思う。
◆19日はKR研だが、午前中に、近つとカシコーケン博で展示を見てきた。当日決めたものだが、家にあるカメラを持ち出すのを忘れ・・・。近つは、河南町のフェスティバル会場に駐車場の一画を使っていて、南にまわらされた。いちばん感動したのは纏向の石臼です。カシコーケンは黒塚がメインだが、ホケノ山とか、茶臼山、下池を含め、ざっと見ることができた。黒塚の小札は、冑とともに甲もあるんだということがよくわかった。フレームがあり、間を大きな小札で埋めるものとみられる。それとU字形の鉄製品。いや実に複雑なあんなものを鉄で・・・、いったい何なんか。
◆午後はKR研で、今年の調査報告の打ち合わせ。3回生が頑張ってくれている。

大仙が允恭(倭王済)墓説

◆1968年の藤間生大『倭の五王』の記述を掲げる。
◆藤井寺市のAさんが倭王済の墓が大仙と言ったのは1996。いまは須恵器の年代観を上げているようなので、違ってきていると思うが・・・
◆TK216の現象は437即位の允恭段階の政策と理解することができるだろう。

いろいろと

◆2017年11月9日、あべのハルカス美術館の北斎展を見に行こうとの誘いがあったが、行けず。翌日の金曜日の夜にしたが、人だらけで、見れやしない。
【追記】21万人に達したとか。1600円で、3億円・・・。
◆10日、そのあと近鉄百貨店80周年展も見る。ハルカス建築の動画が面白かった。これとんでもない建設費だろうと。760億円だそうです。
◆11日・12日と研究室旅行だったが、ごめんしてもらい、FM城の仕事を続ける。土曜日、めいいっぱいやって、二の丸までごぎつけた。帰ると、事件勃発。3月1日に続いて、急遽、東京に行くことになる。お昼に、なんとかこれへの対処は片が付き、午後、科博にアンデス文明展を見に行く。最近は、運慶展やら国宝展など、大型のものにはまったく行きたいとは思わない。
◆ということで、日曜日はFM城の仕事などはできずじまい。また週が始まりました。週末はシンポジウムがあるので、その準備をしないといけない週になりそうだ。

なかなか気持ちの重いのが晴れませんが

◆日々、やっておりますが、なかなか晴れやかにはなれません。
◆中学生は12%・・・、高校生は28%。大学生にやらせてみたら、いったいどうなるのでしょうか。

早稲田J君が最先端

◆いや~、すごいもんですね。いつもいつも報告書を送ってくださり、ありがとうございます。わ たしはといえば、家内制手工業というところです。彼の取り組みに比べると、遊びでしかない。が、細々と少しずつ生産していくことにしよう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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