人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ようやっと、ひとつ・・・
◆学期が始まりました。多方面にご迷惑をおかけしています。絶対量からすると、物理的時間をかけて解消していくほかはなし。
◆2年前、カカトを骨折し、造り出しの発掘最終盤で離脱してしまい、病院で書いた原稿。あれから2年。その間の紆余曲折を経て、いま再投稿を果たせました。「いまはこれが精一杯」。先週で完了して、と思っていましたが、1週間かかってしまいました。次はJムーク・・・。その前に、本日、第1回目だけだが、博物館展示論の授業準備にかかろう。いや、その前にヒストリア・・・。
◆2年前、カカトを骨折し、造り出しの発掘最終盤で離脱してしまい、病院で書いた原稿。あれから2年。その間の紆余曲折を経て、いま再投稿を果たせました。「いまはこれが精一杯」。先週で完了して、と思っていましたが、1週間かかってしまいました。次はJムーク・・・。その前に、本日、第1回目だけだが、博物館展示論の授業準備にかかろう。いや、その前にヒストリア・・・。
文化財保護法改正
いろいろと話が舞い込んでおります。しばらくの間調べたもの。
◆2011年度(H23)に活用事業予算名[文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業]を開始する(~H24まで)。保存や史跡整備の予算項目に対し、活用事業についても以前から立てていたと思われる(未確認)が、2011年度の[文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業]には、「観光」と「地域活性化」が入っている。この時点では政府あげてのものでなく、予算規模や事業は大きくはない(のだろう)。
◆2013年度(H25)から、活用事業予算名は[文化遺産地域活性化推進事業]となり、「観光」という文言は落ちる。「地域活性化に資する各地域の実情に適した総合的な取組を支援」するものとする。
◆2014年度(H26)には、活用事業予算名[文化遺産を活かした地域活性化事業]となり、補助金事業への応募に際し、「総合的な取組に関する計画」が策定されていることを条件とすることが始まる。この計画は、2007年に提言した「歴史文化基本構想」を念頭に置いたものであろう。
◆2015年度(H27)には、日本遺産の制度を設け、また活用事業予算名[文化遺産を活かした地域活性化事業]の補助メニューに「歴史文化基本構想策定支援事業」が加わった。これは「各地方公共団体が,地域に存在する文化財を指定・未指定にかかわらず幅広く捉えて,的確に把握し,文化財をその周辺環境を含めて総合的に保存・活用するための基本的な構想「歴史文化基本構想」を策定するため」のものである。
また日本遺産については、「地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的とし」、「地域に点在する遺産を「面」として活用し,発信することで,地域活性化を図る」とする。またこれにより、「認定された当該地域の認知度が高まるとともに,今後,日本遺産を通じた様々な取組を行うことにより,地域住民のアイデンティティの再確認や地域のブランド化等にも貢献し,ひいては地方創生に大いに資するものとなると考えてい」る。申請条件として、「歴史文化基本構想又は歴史的風致維持向上計画を策定済み」であること、認定の判断項目の中に、「日本遺産という資源を活かした地域づくりについての将来像(ビジョン)と,実現に向けた具体的な方策が適切に示されていること」や、「日本遺産を通じた地域活性化の推進が可能となる体制が整備されていること」も加えてある。
この年度末の2016年3月に「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」が、『明日の日本を支える観光ビジョン』をまとめる。そのなかで、文化財の「保存優先」から「理解促進」と「活用」への転換を謳い、この目的に沿った1000事業の実施と200箇所の観光拠点の整備が書き込まれている。
◆2016年度(H28)には、活用事業予算名「文化財総合活用プラン」(?)(96億円)のなかに、「文化遺産を活かした地域活性化事業」(21億円)に加え、前年度から始まった日本遺産に認定された対象への「日本遺産魅力発信推進事業」(12億円)が始まる。
この2016年度には、前年度末の『明日の日本を支える観光ビジョン』を承けて、省庁協議が進み、文化庁の対応がまとめられていったと思われる。
2017年度(H29)予算要求では、活用事業予算名を「文化財総合活用・観光振興戦略プラン」と変え、観光ビジョンにもとづき行動指針〈文化財活用・理解促進プログラム2020〉を策定し、2020年までに観光資源化への1000事業と200箇所の観光拠点整備の方針が書き込まれている。また、観光拠点形成のための新たな補助事業「観光拠点形成重点支援事業」が既に立てられている。
内閣官房と国土交通省観光庁が2017年1月にまとめた『「明日の日本の支える観光ビジョン」主要施策に係る取組について』において、「文化財の観光資源としての開花」として、上記文化庁の対応が盛り込まれている。
◆今年度2017年度(H29)には、「観光拠点形成重点支援事業」として、1件(高山市3億円)が交付されている。2018年度からは重点要求となるのだろう。
そして5月に文部科学大臣が文化審議会へ諮問、今回の『中間まとめ』となる。
◆予算の名前とか補助事業名とか、間違っているところもあるかもしれませんが。
◆2011年度(H23)に活用事業予算名[文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業]を開始する(~H24まで)。保存や史跡整備の予算項目に対し、活用事業についても以前から立てていたと思われる(未確認)が、2011年度の[文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業]には、「観光」と「地域活性化」が入っている。この時点では政府あげてのものでなく、予算規模や事業は大きくはない(のだろう)。
◆2013年度(H25)から、活用事業予算名は[文化遺産地域活性化推進事業]となり、「観光」という文言は落ちる。「地域活性化に資する各地域の実情に適した総合的な取組を支援」するものとする。
◆2014年度(H26)には、活用事業予算名[文化遺産を活かした地域活性化事業]となり、補助金事業への応募に際し、「総合的な取組に関する計画」が策定されていることを条件とすることが始まる。この計画は、2007年に提言した「歴史文化基本構想」を念頭に置いたものであろう。
◆2015年度(H27)には、日本遺産の制度を設け、また活用事業予算名[文化遺産を活かした地域活性化事業]の補助メニューに「歴史文化基本構想策定支援事業」が加わった。これは「各地方公共団体が,地域に存在する文化財を指定・未指定にかかわらず幅広く捉えて,的確に把握し,文化財をその周辺環境を含めて総合的に保存・活用するための基本的な構想「歴史文化基本構想」を策定するため」のものである。
また日本遺産については、「地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的とし」、「地域に点在する遺産を「面」として活用し,発信することで,地域活性化を図る」とする。またこれにより、「認定された当該地域の認知度が高まるとともに,今後,日本遺産を通じた様々な取組を行うことにより,地域住民のアイデンティティの再確認や地域のブランド化等にも貢献し,ひいては地方創生に大いに資するものとなると考えてい」る。申請条件として、「歴史文化基本構想又は歴史的風致維持向上計画を策定済み」であること、認定の判断項目の中に、「日本遺産という資源を活かした地域づくりについての将来像(ビジョン)と,実現に向けた具体的な方策が適切に示されていること」や、「日本遺産を通じた地域活性化の推進が可能となる体制が整備されていること」も加えてある。
この年度末の2016年3月に「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」が、『明日の日本を支える観光ビジョン』をまとめる。そのなかで、文化財の「保存優先」から「理解促進」と「活用」への転換を謳い、この目的に沿った1000事業の実施と200箇所の観光拠点の整備が書き込まれている。
◆2016年度(H28)には、活用事業予算名「文化財総合活用プラン」(?)(96億円)のなかに、「文化遺産を活かした地域活性化事業」(21億円)に加え、前年度から始まった日本遺産に認定された対象への「日本遺産魅力発信推進事業」(12億円)が始まる。
この2016年度には、前年度末の『明日の日本を支える観光ビジョン』を承けて、省庁協議が進み、文化庁の対応がまとめられていったと思われる。
2017年度(H29)予算要求では、活用事業予算名を「文化財総合活用・観光振興戦略プラン」と変え、観光ビジョンにもとづき行動指針〈文化財活用・理解促進プログラム2020〉を策定し、2020年までに観光資源化への1000事業と200箇所の観光拠点整備の方針が書き込まれている。また、観光拠点形成のための新たな補助事業「観光拠点形成重点支援事業」が既に立てられている。
内閣官房と国土交通省観光庁が2017年1月にまとめた『「明日の日本の支える観光ビジョン」主要施策に係る取組について』において、「文化財の観光資源としての開花」として、上記文化庁の対応が盛り込まれている。
◆今年度2017年度(H29)には、「観光拠点形成重点支援事業」として、1件(高山市3億円)が交付されている。2018年度からは重点要求となるのだろう。
そして5月に文部科学大臣が文化審議会へ諮問、今回の『中間まとめ』となる。
◆予算の名前とか補助事業名とか、間違っているところもあるかもしれませんが。
子供らが帰ってきて
◆15日。4回生の娘は、富山大学で開催された日本哺乳類学会でポスター発表をやって、そこから (かどうかは知らんが)バスで、朝梅田に着く。ポスターを見せてもらった。以前に採取し大学にある60体?のヒマラヤのマウスの分析らしい。ちゃんとしていた。でも、この人、ほんとはタコなどの頭足類の研究がしたいので、大学院は理学研究科でなく水産学研究科?の大学院に進む予定。キャンパスは札幌でなく函館だそうである。
◆夜、修士2年の息子も帰ってくる。いつものように3人で飲み屋でやっているところに合流。この人は、8月に台湾の学会で、太陽電池パネルの・・・セルの不具合を・・・(ようわかりません)という研究について、英語での口頭発表と別にポスターもやったという。就職。品川勤務になるらしい。
◆そこからの3連休。台風も来る中で、子供らを連れて、両祖父母宅をまわっていました。
◆夜、修士2年の息子も帰ってくる。いつものように3人で飲み屋でやっているところに合流。この人は、8月に台湾の学会で、太陽電池パネルの・・・セルの不具合を・・・(ようわかりません)という研究について、英語での口頭発表と別にポスターもやったという。就職。品川勤務になるらしい。
◆そこからの3連休。台風も来る中で、子供らを連れて、両祖父母宅をまわっていました。
2017年9月15日(金)千早赤阪村
◆午後2時から、玉手山古墳群と松岳山古墳の話をする。4回講座の1回目を担当。南河内の前期古墳 を勉強する機会にとも思っていたが、余裕なく、玉手と松岳の話・・・。前に作った資料を刷り、パワポを見ながら話の流れを確認。12時にでかける。ずいぶん長いこと通らなかったが、丹比から富田林に抜ける国道を南下、これ、そのまま水越峠を抜ける一本道なんですね。車を走らせながら、南河内もけっこうな広さがあり、それぞれの地域地域がある、という当たり前のことを感じる。
◆1時間前くらいには着き、資料館を見学(写真撮影ダメ)。泉屋の鏡のレプリカが3面あった。そういえば、撮りに行ったような記憶が・・・。2階は民俗資料だが、凍豆腐の一大生産地であったということを知る。
◆体よりも頭が疲れ切っていて、なかなかちゃっちゃかと言葉が出てこず・・・、16時までかかって、なんとか最後までたどり着いた。
◆1時間前くらいには着き、資料館を見学(写真撮影ダメ)。泉屋の鏡のレプリカが3面あった。そういえば、撮りに行ったような記憶が・・・。2階は民俗資料だが、凍豆腐の一大生産地であったということを知る。
◆体よりも頭が疲れ切っていて、なかなかちゃっちゃかと言葉が出てこず・・・、16時までかかって、なんとか最後までたどり着いた。
2017年9月14日(木)
◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、大澤(市大M1)、園原 (立命M1)、合田・松井(市大3)、前田・三谷・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-1トレ。朝から元興寺文化財研究所によるパッキング。図面の点検等。断ち割りの埋め戻し。
◆17-2トレ。埴輪据え付け完掘→写真撮影→取り上げ→
◆レンタカーに市大から運んだ生活道具・測量機材などバンに積み込み。昼前に記念写真。昼食後、元興寺によるウレタン充当、14:30の見学者対応をお願いし、自分は車で、市大生+池口・山崎は13:14久津川発で大学に向かう。15時過ぎ、倉庫に荷物を運び、15:30解散。
◆2017年の久津川現場は、これにて終了。参加者のみなさん、ほんまにおつかれさんでした。
◆17-1トレ。朝から元興寺文化財研究所によるパッキング。図面の点検等。断ち割りの埋め戻し。
◆17-2トレ。埴輪据え付け完掘→写真撮影→取り上げ→
◆レンタカーに市大から運んだ生活道具・測量機材などバンに積み込み。昼前に記念写真。昼食後、元興寺によるウレタン充当、14:30の見学者対応をお願いし、自分は車で、市大生+池口・山崎は13:14久津川発で大学に向かう。15時過ぎ、倉庫に荷物を運び、15:30解散。
◆2017年の久津川現場は、これにて終了。参加者のみなさん、ほんまにおつかれさんでした。
2017年9月13日(水)
◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、大澤(市大M1)、園原 (立命M1)、田口(奈良大4)、合田・松井(市大3)、山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-1トレ。継続図面完了。列石のエレベーション6列完了。陸橋上面礫平面図書き足し完了。陸橋側面、調査区西壁沿いの断ち割り。白い粘土は地山とみてきたが、礫を使 うところでは粘土を入れて礫を叩き込まなければもたないとの指摘を受け、当初から断ち割りを考えていたものの、見送り気分だったが、実行する。下半分は、混礫ガチガチの地山、その上は、上層の白粘土の下は淡い小豆色土となり、やはり盛土なのか、と。しかし掘り進むと、混礫地山の上の粘質土は、いくつかの層に分かれず漸移的に色合いが変化し、やはり地山だとの結論に落ち 着いた。写真を撮り、図面を書き足す。これも完了。一応、その部分のFSもできるよう標定点を打ち撮影もした。
◆17-2。取り上げる埴輪1個体の十字割ほかの図が完了したので・・・
〔葺石調査〕橋本さん
〔訪問〕杉本さん+宇治市ご一行様。近藤さん。
◆17-1トレ。継続図面完了。列石のエレベーション6列完了。陸橋上面礫平面図書き足し完了。陸橋側面、調査区西壁沿いの断ち割り。白い粘土は地山とみてきたが、礫を使 うところでは粘土を入れて礫を叩き込まなければもたないとの指摘を受け、当初から断ち割りを考えていたものの、見送り気分だったが、実行する。下半分は、混礫ガチガチの地山、その上は、上層の白粘土の下は淡い小豆色土となり、やはり盛土なのか、と。しかし掘り進むと、混礫地山の上の粘質土は、いくつかの層に分かれず漸移的に色合いが変化し、やはり地山だとの結論に落ち 着いた。写真を撮り、図面を書き足す。これも完了。一応、その部分のFSもできるよう標定点を打ち撮影もした。
◆17-2。取り上げる埴輪1個体の十字割ほかの図が完了したので・・・
〔葺石調査〕橋本さん
〔訪問〕杉本さん+宇治市ご一行様。近藤さん。
2017年9月12日(火)
◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、大澤(市大M1)、園原(立命M1)、田口(奈良大4)、山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)。
◆朝、6時前くらい大雨。ひとまず午前中はなしとする。9:00、少しましになる。雨がやんで安定するようなら10時くらいからシートを開けるかも、と連絡。城陽へ向かう。が、雨は降り続いている。10:15城陽着。しゃーない。改めて昼まではなし、とする。
◆宿舎近くのガストでJムークの原稿を書いている。12:20くらいだったか、現場から学生が到着しているとの連絡をもらい、かけつける。シートを開けて、作業を開始。ほぼ14時頃、再び雨がそこそこ降り、止みそうにもない状況だったので撤収する。
◆17-1トレ。図面の続き。ブツの雨による影響からの回復。サンプリング。南壁東端部の検討とFS 写真。ほぼ攪乱。左側の鉄管は、掩体壕時代のものか?、戦後のものか?。
◆17-2トレ。埴輪の据え付け精査の続き。深く据えてある埴輪は、全体の布掘りに加えて、図面描く。
〔葺石調査〕橋本さん
◆朝、6時前くらい大雨。ひとまず午前中はなしとする。9:00、少しましになる。雨がやんで安定するようなら10時くらいからシートを開けるかも、と連絡。城陽へ向かう。が、雨は降り続いている。10:15城陽着。しゃーない。改めて昼まではなし、とする。
◆宿舎近くのガストでJムークの原稿を書いている。12:20くらいだったか、現場から学生が到着しているとの連絡をもらい、かけつける。シートを開けて、作業を開始。ほぼ14時頃、再び雨がそこそこ降り、止みそうにもない状況だったので撤収する。
◆17-1トレ。図面の続き。ブツの雨による影響からの回復。サンプリング。南壁東端部の検討とFS 写真。ほぼ攪乱。左側の鉄管は、掩体壕時代のものか?、戦後のものか?。
◆17-2トレ。埴輪の据え付け精査の続き。深く据えてある埴輪は、全体の布掘りに加えて、図面描く。
〔葺石調査〕橋本さん
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。