人を幸せにする人になろう

横口式石槨など

◆石室・石槨の計測データも集めると18件になった。在庫一掃セールですね。点群データやキャドデータも出してもいいのだが、まずは2次元陰影図を。
◆今日は3月29日の10分の冒頭趣旨説明の準備をしてしまい、講演会裏方の仕事をまとめようと思っていたが、ぜんぜん到達せず。明日〆切の教員評価の書類を・・・。
◆学内戦略的研究の、主だった経費が固まってきて、データがたまっても来ているので、必要なPCやHDなども購入してもらった。なお、残額があるので、代表ということで、有用なものをいくつか買わせてもらいました。いまデスクトップPCに3つのHDとひとつんのSSDが差し込まれていたのですが、HD1を残し、購入したSSDにデータを移しました。

そうこうしていると『大阪公大日本史』

◆入稿を始めています。今日、ひとつ原稿が来たが、これ全部、図を作ってくれと頼まれているが、まあ無茶ですね。

特設サイトに前方後円墳の測量図と石室の3次元計測の成果を

◆大学からもらっている研究費で、コンテンツを作っている。古文書と講談本中心できたが、そろそろ考古や古代もはじめ、大阪の歴史全般についての中身も作って公表していかないといけない。そこで、測量してきた前方後円墳のイラレデータをそのままアップして、誰もが自由に使えるようにしようとしている。まあしかし、世間様に見てもらうには、データとして整えないといけない。これまで個別にトレースしてきた。そのトレース図にもとづき、まずは主軸にあわせ、発掘調査のあるものは調査成果を書き込み、次に復元図。この作業は、わりあい定式を作って、同じようなファイルを整えてはきた(不完全だが)。しかし、その大元のところの測量図が、縮尺や線の太さや、各種表現など、てんでばらばら。
◆それを17基取り出してきて、体裁を統一しようとしているが、手間がかかり時間がかかる。ようやっとこの数日で5基について完了した(完璧は無理)。御墓山を挙げておく。

3月29日の講演会

◆研究代表者でやっている共同研究の一般むけ講演会が土曜日にある。なんとか930万円の研究費は使い果たして、これは大丈夫。3月29日の講演会の資料冊子も、月曜日にプリントパックに入れ、ほんとは昨日ごたごたがあったが、なんとか28日に届きそう。天気はあまりよくないよう。明日は朝から、会場で、ひとりで準備である。いろいろ仕事はあれ、こなしてはきており、少し余裕のある気分だったが、いま課題を書き上げると、また絶望的になる。

七輿山古墳近傍の藤岡市の資料館

◆これはいつできたんでしょうか。前に来た時もあったのかな~。白石稲荷山古墳を含めて、考古資料ほかがならべられている。
◆加えて、堀越二郎の展示もあるのと、藤岡駅前の高山社の展示がある。世界遺産は、富岡製糸場だけでなく、あと3つの構成資産からなり、そのうちのひとつが高山社である。
◆以下、藤岡市のホームページから。

高山社跡は「養蚕改良高山社」の創始者・高山長五郎(生没年1830~1886)の生家で、養蚕法「清温育」の研究と社員への指導を行っていた場所です。
長五郎は明治6年(1873)「養蚕改良高山組」を組織し、自宅で養蚕法の改良と組合員への指導を行いました。明治17年(1884)には「養蚕改良高山社」と改称し初代社長に就任しています。そのあと、教えを請うものが増えたため明治20年(1887)に藤岡町に事務所と伝習所を移し、自宅は高山分教場として後進の指導を続けました。
現在は蚕室(養蚕用家屋)と付属屋が残っておりますが、周囲にも蚕室の痕跡が認められるため、現存する建物だけでなく敷地全体が世界遺産構成資産、また、国指定史跡となっています。

◆今日は卒業式。ブログをやめて、仕事しよ。

藤岡市・七輿山古墳

◆これはまあびっくりする。歴博共同研究の時が最初で、その時にも強い衝撃を受けた記憶があるが、でっかく丈が高く、なんでもっと早く見てなかったんだ!というところ。なので、七輿の場合は記憶にある。とはいえ、改めてすごいですね。巨大、石ごろごろ。
◆W大のJさんが調査していて、石室の反応も捉えているようだ。

高崎市・大鶴巻古墳

◆浅間山のほんの近く。大鶴巻は美しい。浅間山ほどではないが、これも大きい!。
◆後円部を南から見ると3段だが、北側では2段、ではどっちなのか。説明看板では、2段としつつ3段かも、と書いてあったような。こっちの方が、浅間山よりも、周濠の輪郭が前方部前面側で幅が狭い。佐紀陵山に近いかも。測量図はすぐには出てこないが。浅間山古墳との前後関係が、どのように考えられているのか、埴輪からみるとどうなのか、で、時期差がある場合は大きくなるのか小さくなるのか。
◆小鶴巻は遠望したにとどまる。あきませんね~。とにかく墳丘に上がらないと。反省です。

高崎市・浅間山古墳

◆前に来ているはずだが、まったく現地に行っても記憶がよみがえらない。高崎から、烏川沿いの旧中山道を南下すると、浅間山があり、その先に大鶴巻・小鶴巻がある。
◆とにかく、びっくりする大きさである。そして墳丘もけっこう崩された部分や畑地になったりして改変も少なくない。高崎市教委の立ち入り禁止の竪看があり気になるが、畑地や果樹を傷めないよう入らせてもらった。
◆前にも出したかもしれないけれど、佐紀陵山との比較をやったことがある。が、周濠の輪郭を含めてやるべきですね。石塚山や津堂あたりまでを候補とすべきか。空中レーザーをやって陰影図を見ているが、県の報告では等高線図も公開されているのかもしれない。耕作が続いていて、また規模が大きいこともあって、簡単には調査とはいかないのでしょう。後円部は畑地になって多段化していて、新たな測量図をもとに、まずは、ちゃんと分析して復元案を作るべきですね。

2025年3月15日~ 研究室旅行@群馬

◆資料がないので記憶で。
◆3月15日 高崎1230集合(新大阪857、高崎着1220) 浅間山古墳 大鶴巻古墳 小鶴巻古墳 七輿山古墳 七輿山横の藤岡市資料館 白石稲荷山古墳 伊勢塚古墳 諏訪神社 多胡碑 山の上碑と古墳(石室)。高崎駅前のホテル1830くらい着。直前に店をさがし、なんとか1920から7人もぐり込む。送別会の客と入れ替わりに三角形の広い部屋で飲む。学生らはカラオケに行く。
◆3月16日 17日が月曜で博物館は休館、また雨なので、現地は3日目に取っておく。埼玉古墳群(現地は遠望どまり) 八幡観音塚資料館 観音塚古墳(石室) 平塚古墳と二子塚古墳(車から) 昼(とんかつ) 総社展示館 大室公園はにわ館 伊勢崎市の赤堀歴史民俗資料館 赤堀茶臼山古墳 前橋に戻り宝塔山古墳と蛇穴山古墳(石室)(総社のそれ以外の古墳はまわれず)。前橋泊。雨なので、ホテル近傍の博多から進出した?店。学生らはまたカラオケに行った。
◆3月17日 快晴 塚廻4号墳 朝子塚古墳 太田天神山古墳 女体山古墳 別所茶臼山古墳 大室古墳群の前二子古墳(石室) 後二子古墳(石室) 昼(コンビニのおにぎり) お富士山古墳 前橋八幡山古墳 前橋天神山古墳 元島名将軍塚古墳 綿貫観音山古墳(石室) 三ツ城 保渡田の資料館。高崎駅レンタカーに1550には着ける設定。保渡田は駆け足になってしまったが、まあ八幡山古墳も見たようだ(こっちは時間短縮のためガソリンを入れに行き、保渡田は見ず。何度か来ているので)。高崎駅から帰る。高崎1616、新大阪20時前着。

宮崎空港

◆6月に台湾に行った時、スプーンとフォークとナイフのセットを購入し、それをかばんに入れていた。それをすっかり忘れ、伊丹空港で手荷物検査で引っ掛かり、預けさせられた。
◆いま11日の1630。宮崎空港のレストランで日向夏サワーと鳥。そろそろ出発ロビーに行こう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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