人を幸せにする人になろう

最後は入来麓

◆道すがら、案内を見て立ち寄ろうかと思ったところもあるが、鹿児島から、熊本県境の出水はけっこう遠く、最後は入来麓を訪れて、今回はここまでとした。

鶴の飛来地

◆があるというので行く。けっこうな力の入れよう。ガイダンス施設も立派。自家用車はそこで止めて、飛来地となっている収穫後の耕地にむやみに自動車を侵入させないようにしている。で、電気自動車が用意されていて、それを借りて見て回り、また2か所ほどの観察のための簡易建物に行くことができる。

出水麓

◆藺牟田池にまず行くが省略。出水麓から。麓とは何か。「本城の鹿児島城跡や,県内各地の山城跡の周辺に配置された麓と呼ばれる外城の武家屋敷群が数多く残っています。」、だそうです。これをリライトすると、島津領を防衛するために、鹿児島城の城下町だけではなく、各地の要所に武士を配置する独自の体制により形成された武家屋敷地のことである。とでもなりましょうや。
◆ガイダンス施設は真新しくきれいでした。こじんまりとしてますが、展示もよかった。そのあと、まちあるき。公開施設は3つくらいなのかな。石を積んで、それぞれの屋敷地ができあがっている。どのくらい、まだ住んでいる人がいるのかわかりませんが、建物は建て直されたものが多いだろうし、古い屋敷が残っていてもまだ居住していると公開施設にはならないし。で、税所邸というのがあり、名前も1文字目が篤で、税所篤との関係を聞きそびれた。もとは同じ家筋でも、あっちゃこっちゃに税所さんがいるんでしょうね。

そのあとは桜島

◆洋館に立ち寄ってもいいのだが、桜島に向かうことにする。で、到着後、展望所をめざす。頂部の荒々しい岩山の様子がそこに見える。切り立ち、とんがる。建物内に物販があり、何か買ったように記憶するが、忘れた。
◆南に下り、南辺を垂水に向かう。途中、溶岩展望所に少し寄る。歴博共同研究の時に、K大H氏に案内してもらった。溶岩が固まった黒いゴツゴツしたものを間近に見ることができる。があまり長居せず、先を急ぐ。
◆昔、垂水市には、縄文の遺跡の調査指導ということで行った記憶がある。軽石製の加工品がたくさん出土していたことを記憶する。
◆引き返さず、湾を一周することに。これがまあ時間はかかる。国分で高速に乗ればよかったが、地道で行くことをよしとして進も、鹿児島着がこんな時間になると知らされ、隼人を過ぎたあたり?から高速に乗る。この日はここまで。

念願の集成館

◆行きました。人でいっぱい。観光地として成功していますね。ゲートを入ると、ガイダンス施設のようなものがあり、ガイド希望の人はグループになって出ていく。反射炉跡などを見て、最後に狭義の集成館?、世界遺産になっている残存する建物の展示を見る。
◆展示面積も広く、この地にやってきて以降の島津氏の歴史を学ぶことができる。中世、戦国、織豊期、関ヶ原からの離脱やら・・・。で南サイドは、 集成館でやっていた生産にかかわる展示。
◆まあしかし、残っているものは少ないんですね。北側はお土産物などの物販や飲食店。そういえば昼を食べたのかな。その奥の庭園にはいかなかった。これら一帯が史跡なのかな、真新しい物販などの建物が気になった。

黎明館

◆黎明館へ。3回目のように記憶するが、記憶とはあてにならないものです。なんか違うと。がそれは思い込みの方なんでしょうね。1983年10月開館だそうです。最初は確か1988年かな。研究室旅行で大分に行き、解散後、バイクで九州を一周した時に行ったはず。2回目は役所勤めの時なんだろう、たぶん。けっこう時間をかけて見たが、あまり写真も残っていないし、記憶もなくなっている。かけあしのつもりでなくとも、もう記憶装置がポンコツです。

県立博物館

◆黎明館に対し、かつての県博は自然史博。藺牟田池をはじめとする湖沼?の企画展をやっていた。出水の鶴の飛来地もここで学習する。黎明館に対抗する、学芸員さんの熱意を感じたが、実際のところどうなんでしょうか。薩長ヤシ、歴史を重視するのはわかる。総合博でなく、別施設。予算規模も大きく違うように思うが・・・。楽しめますよ。

24年12月24日鹿児島

◆年末いろいろあり、2泊2日となる。23日は移動日。24日朝から動く。まず城山公園?。桜島は雄大ですね。山を下り県立博物館に行く。その手前に県立の旧考古資料展示室があった。
◆次の転用も検討されているのだろうが、改修するにもお金がかかるのでしょう。凍結ですね。

最後はホトダ

◆だが画像なし。手前に三ツ寺。もうひとつ何でしたっけ、キタヤツ豪族居館に行く余裕なし。なんとか保渡田で30分確保。が、レンタカーを返す時間を短縮するため、こっちはガソリンを入れに行き、ホトダに戻ると、なんとか学生らは展示と八幡山を見て駐車場に戻る頃でした。
◆写真は朝の前橋駅。この画像があると記憶がたどれる。前日夜に飲みに行ったところも記憶が戻ってきた。

綿貫観音山

◆ガイドさんがおられ解説していただく。しかし、しばらく前から、帰りの新幹線の時刻をにらみながら、なんとか保渡田へたどりつく必要もあり、あまり時間がかけられない。短めでお願いした。しかし人を配置し、希望者には石室を開錠してくれるなんて、すごいですね。
◆看板によると、天井が落ちていたんですね。なので、石室の再構築という大事業をやることになったわけだ。『季刊考古学』が発刊され最初の方に、綿貫観音山の表紙写真があったように記憶する。整備事業が竣工してまもなくの頃だったんでしょうかね。榛名山がよく見える。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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