人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
国の言うことにしたがっても国は責任を取りません
◆例えば市町村合併。合併特例債をエサに、交付金を削りたいと。どことも疲弊しているんとちゃいますか。地域地域にまだ役所があったからこそ、まわっていってたところもあるんとちゃいます。大学。文系学部は見直せ、とかなんとか。大学院重点化はその最たるもの。博士号は取ったけれど、という事態と、その反動としてのいまの院志望の低下、国は責任を取りませんよ。新しい入試。どうなるんでしょうか。文章を書かせ誰ぞが採点する、混乱しても誰も責任を取りませんよ。
◆原発を推進して、廃炉にとんでもない額がかかっても、誰も責任を取りませんよ。
◆それぞれのコミュニティーで、自分たちで考え、よかれと思うことをやっていけばいいのである。振り回されるな。
◆原発を推進して、廃炉にとんでもない額がかかっても、誰も責任を取りませんよ。
◆それぞれのコミュニティーで、自分たちで考え、よかれと思うことをやっていけばいいのである。振り回されるな。
おもろいはなし
◆自分の話ではありません。
◆おもろい話をする、との誘いメールに「その船に乗ります」との反応。いっぽうで「なんとかのロードマップを作るので集まってください」とのメールに、そんなんおもろない、と。なんのこっちゃ!。
◆面白いと思って取り組んでいるチームを見ていて、何をするのか伏せてあっても、きっと面白いと思って乗る。それに対し、若い世代が、役所みたいにロードマップをと・・・。研究は進まないと先はわかりません。大筋の取り組み計画は役所的には必要だし、いまは研究者も中期目標とか立てさせられる。が、研究はどうなるかわからん、やっていくと、次々に展開していくが、それはいまの時点ではわからないのだ。ロードマップとか3ポリとか、誰かがヤランといけないとしても、作文しておけばいい。それよりも、ロードマップを本気で作りたいのか?。いま時間があればこれやりたいねん!、というのがお前にはないんか、と。
◆こんなことを書けば、怒られるかも知れません。
◆おもろい話をする、との誘いメールに「その船に乗ります」との反応。いっぽうで「なんとかのロードマップを作るので集まってください」とのメールに、そんなんおもろない、と。なんのこっちゃ!。
◆面白いと思って取り組んでいるチームを見ていて、何をするのか伏せてあっても、きっと面白いと思って乗る。それに対し、若い世代が、役所みたいにロードマップをと・・・。研究は進まないと先はわかりません。大筋の取り組み計画は役所的には必要だし、いまは研究者も中期目標とか立てさせられる。が、研究はどうなるかわからん、やっていくと、次々に展開していくが、それはいまの時点ではわからないのだ。ロードマップとか3ポリとか、誰かがヤランといけないとしても、作文しておけばいい。それよりも、ロードマップを本気で作りたいのか?。いま時間があればこれやりたいねん!、というのがお前にはないんか、と。
◆こんなことを書けば、怒られるかも知れません。
2017年3月12日は入試
◆です。仕事はちゃんとやってます。で、ぶつ切れの時間で、論文を書いていたわけです。今後は、昼間は別の仕事をして、夜できれば早めに帰り、図をひとつひとつ作っていけば、なんとかなるかな。昨日は書評1本にも着手しました。
◆本文の読解力がない。著者の最終的に言いたいことが理解できていない。設問で何が問われているかをキチンと受け止めておらず、だからどういう答を書かないといけないのかがわからない。なんで学問をするかということに対し、多くが現実的な問題解決を挙げる。アカデミズムと行政の違いがあると思うが。まあ、いろんなことを考えます。
◆本文の読解力がない。著者の最終的に言いたいことが理解できていない。設問で何が問われているかをキチンと受け止めておらず、だからどういう答を書かないといけないのかがわからない。なんで学問をするかということに対し、多くが現実的な問題解決を挙げる。アカデミズムと行政の違いがあると思うが。まあ、いろんなことを考えます。
小山田古墳=蝦夷墓の論文
◆お送りいただき、ありがとうございました。正座して読ましていただきました。痛快ですね。植山古墳の話はきわめて説得的です。宮ケ原や菖蒲池やら、報告書が身近にないもんで、いろいろ勉強になります。いっぺん、カシコーケンに行って、あらいざらいコピーしないといけませんね。
◆谷首=池上陵って、ほんとだろうか。1年半でできてたのかな。用明はすぐに死んでしまい、その間に谷首古墳はできあがるだろうか。仮埋葬で、実質は没後に春日向山を造って、と考えているが・・・。谷首が石舞台式であることも、ちょっとずれている。天王山式だろうに。なので、阿部鳥、とみている。
◆やはり五条野丸山=稲目論だけは、ちゃうやろ、と思うが、そこはそうかもしれない、との見方で考えてみることも必要ですね。でも、欽明は稲目の女婿であって、あそこに造られるのは別に問題ないだろう。敏達は蘇我腹でないからこそ、梅山なのであり、その墓域に連なることが重要なのである。丸山=欽明派は稲目墓を考えないといけないし、丸山=稲目派は敏達墓を探さないといけない。あとは指摘のある棺の問題ですね。ちゃんと受け止めて考えてみたい。
◆都塚=稲目墓はありうるのでは、と漠然と思っています・・・。前方後円墳でなければならない、と決めつけることはできないだろう。方墳を主導したのが蘇我氏であることは疑いないので。まあ、これも・・・。
◆岩屋山の墳丘はよくわからないが、前にリーフレットを作った時には(配ってません)、上は根拠がないのであきらめたが、玄室奥を中心として、前面の階段部分を根拠にめぐらすと56mあまりとなり、いま計算すると38歩57mの可能性はありそうである。要するに、舒明墓としての根拠として、墳丘規模・石室規模の卓越を、客観的に示せないといけない。いま書いているものから抜粋すると、春日向山古墳46歩69m、赤坂天王山古墳36歩54m(奥行35歩52.5m)、塚穴古墳は36歩54m、叡福寺古墳径36歩54m、石舞台古墳は34歩51m、植山古墳は幅26歩39m、西宮古墳24歩36m、帯解黄金塚古墳20歩30m。いや~前方後円墳から方墳に転化した最初の用明墓にはおよばないが(むろん時期が違いますよ)、それ以外では最大規模ですね。やっぱり倭国王墓ちゃうんでしょうかね。
◆谷首=池上陵って、ほんとだろうか。1年半でできてたのかな。用明はすぐに死んでしまい、その間に谷首古墳はできあがるだろうか。仮埋葬で、実質は没後に春日向山を造って、と考えているが・・・。谷首が石舞台式であることも、ちょっとずれている。天王山式だろうに。なので、阿部鳥、とみている。
◆やはり五条野丸山=稲目論だけは、ちゃうやろ、と思うが、そこはそうかもしれない、との見方で考えてみることも必要ですね。でも、欽明は稲目の女婿であって、あそこに造られるのは別に問題ないだろう。敏達は蘇我腹でないからこそ、梅山なのであり、その墓域に連なることが重要なのである。丸山=欽明派は稲目墓を考えないといけないし、丸山=稲目派は敏達墓を探さないといけない。あとは指摘のある棺の問題ですね。ちゃんと受け止めて考えてみたい。
◆都塚=稲目墓はありうるのでは、と漠然と思っています・・・。前方後円墳でなければならない、と決めつけることはできないだろう。方墳を主導したのが蘇我氏であることは疑いないので。まあ、これも・・・。
◆岩屋山の墳丘はよくわからないが、前にリーフレットを作った時には(配ってません)、上は根拠がないのであきらめたが、玄室奥を中心として、前面の階段部分を根拠にめぐらすと56mあまりとなり、いま計算すると38歩57mの可能性はありそうである。要するに、舒明墓としての根拠として、墳丘規模・石室規模の卓越を、客観的に示せないといけない。いま書いているものから抜粋すると、春日向山古墳46歩69m、赤坂天王山古墳36歩54m(奥行35歩52.5m)、塚穴古墳は36歩54m、叡福寺古墳径36歩54m、石舞台古墳は34歩51m、植山古墳は幅26歩39m、西宮古墳24歩36m、帯解黄金塚古墳20歩30m。いや~前方後円墳から方墳に転化した最初の用明墓にはおよばないが(むろん時期が違いますよ)、それ以外では最大規模ですね。やっぱり倭国王墓ちゃうんでしょうかね。
第2の森友
◆森友、ヒットラーユーゲントみたいですね。安倍首相万歳~、大ニッポン帝国万歳~、教育勅語万歳~!。そのうち軍事教練が始まるかもしれないですね。大阪府もおかしい。経営的にやっていけるかどうか、が判断の基準ではないだろう。第1に教育内容であって、教員やカリキュラムのチェックでしょう。そして明治と変わりのない官有地払い下げの便宜。
◆で岡山理科大学も、らしいですね。
◆で岡山理科大学も、らしいですね。
2017年3月11日、国立西洋美術館
◆別件は、翌日11時。朝、根津を歩く。むかし、千代田線根津駅から東京国立博物館に通うことが
年に数日あったのですが、ぜんぜんつまらん道を通っていたようです。十字路からどこを通るか。この日、前とは違う、下町かいわいを通り、なかなか味わい深い通りでした。で、東京芸大に着く。国旗が2本。なんだかな~。
◆東博、人だかり(左)。で、博物館の科目で、だいたいが博物館・資料館の話しかできないので、美術館も見ておかねばと、世界遺産にもなった西洋美術館を見ておく、ということにした。これも9:30の開館前に列(右)。時間が早かったので、隣の店に入ろうとするも、そっちは10:00。9:30にもなったし、美術館に入る。常設展は基本的に撮影OKのよう。だが、この日は常設展の無料開放日で、この日は撮影禁止。人が多くなるからやめてね、ということだろう
か。ケチくさい。エチケットを守るように促せばいいのでは。
◆東博、人だかり(左)。で、博物館の科目で、だいたいが博物館・資料館の話しかできないので、美術館も見ておかねばと、世界遺産にもなった西洋美術館を見ておく、ということにした。これも9:30の開館前に列(右)。時間が早かったので、隣の店に入ろうとするも、そっちは10:00。9:30にもなったし、美術館に入る。常設展は基本的に撮影OKのよう。だが、この日は常設展の無料開放日で、この日は撮影禁止。人が多くなるからやめてね、ということだろう
社会復帰を
◆へたっていたわけではありませんが、この間、論文を書き続けていました。しかし未完ながら、
そろそろやめないといけません。
◆おとつい、だから12日の日曜日だったか、自分の未熟さを・・・。岩屋山古墳の石室は唐尺だ!。白石先生の論文以来、ずっと高麗尺と言われており、岩屋山亜式の西宮古墳から唐尺と考えていたが、クサ墓も唐尺とみることはできるし、岩屋山も・・・。総点検しないといけません。それと高麗尺でなく唐尺であることの説得的な図作り。だが文殊院西は確実に高麗尺。なので、620年代までが高麗尺で(倉梯麻呂が620年代に着手)、630年代から唐尺(舒明墓は630年代を中心に構築)というので、およそいけそうである。やはり630年遣唐使か。
◆飛鳥千塚の6基について、前は高麗尺が2つで、唐尺が4基と判断した(『ヒストリア』)。これも陰影図があがってきたら再チェック。平石は、シシヨとツカマリが高麗尺で、アカハゲが唐尺である。使用尺度で630年の前か後かを、およそ判断できそうである。
◆墳丘は既に書いたが、前半は偶数値の歩数(ヒロ)、後半は奇数値の歩数(ヒロ)、これで見極めがつきます。
◆研究はちゃんとやれば、やっただけのことはあります。
【追記】上記、またまたわからなくなってきました。混迷中。
◆おとつい、だから12日の日曜日だったか、自分の未熟さを・・・。岩屋山古墳の石室は唐尺だ!。白石先生の論文以来、ずっと高麗尺と言われており、岩屋山亜式の西宮古墳から唐尺と考えていたが、クサ墓も唐尺とみることはできるし、岩屋山も・・・。総点検しないといけません。それと高麗尺でなく唐尺であることの説得的な図作り。だが文殊院西は確実に高麗尺。なので、620年代までが高麗尺で(倉梯麻呂が620年代に着手)、630年代から唐尺(舒明墓は630年代を中心に構築)というので、およそいけそうである。やはり630年遣唐使か。
◆飛鳥千塚の6基について、前は高麗尺が2つで、唐尺が4基と判断した(『ヒストリア』)。これも陰影図があがってきたら再チェック。平石は、シシヨとツカマリが高麗尺で、アカハゲが唐尺である。使用尺度で630年の前か後かを、およそ判断できそうである。
◆墳丘は既に書いたが、前半は偶数値の歩数(ヒロ)、後半は奇数値の歩数(ヒロ)、これで見極めがつきます。
◆研究はちゃんとやれば、やっただけのことはあります。
【追記】上記、またまたわからなくなってきました。混迷中。
ある原稿
◆白石の筆者への反論のもうひとつの柱は、被葬者論に寄りかかっているとの批判である。しかし、横穴式石室や須恵器について、白石をはじめとする考古学研究の成果をふまえており、本稿では不十分ながらも須恵器について多少言及する。ここでは、被葬者論についての考えを述べておく。
◆石室と須恵器の変遷観はおよそ共通理解にある。良好な資料が増えれば、石室型式と須恵器型式の厳密な対応関係が確立するだろうが、現状はまだそうなっていない。横穴式石室の暦年代は、現在、須恵器の年代観を前提とし、石室と須恵器の対応関係(現状は未確立)から導かれている。しかし、須恵器の推移の大局はわかるものの、例えば飛鳥Ⅰの古・中・新相といった編年は確立しておらず、暦年代を与える根拠も新相をのぞけばあまりない。横穴式石室の暦年代を須恵器に依拠するには、須恵器の年代基軸が未確立なのである。
◆そもそも、七世紀の考古資料の暦年代は、『日本書紀』から年代の判明する特定の遺跡にもとづいている。特定の遺跡を『日本書紀』に年代が記載されている宮殿や寺院あるいは個人墓にあて、暦年代の手がかりとする方法は、遺物である須恵器も遺構である石室も同じである。例えば、山田寺整地土の須恵器資料が六四一年以前となることと、石舞台古墳が蘇我馬子墓であると判断して、その石室を六二六年以前と考えることに、方法論として違いはない。違いは遺跡の種別にあるのではなく、ある遺跡を特定のものに比定する確度の差である。
◆石室の暦年代を須恵器の暦年代を介して決めなければならない理由はない。厩戸皇子の叡福寺古墳や蘇我馬子の石舞台古墳など、没年のわかる被葬者をあてうる古墳にもとづき石室の年代を考えることは、須恵器編年に暦年代を与える方法とまったく同じであり、須恵器の有無にかかわらず独立した方法である。むしろ、一括性や出土状況をふまえなければ年代基準となりにくい須恵器よりも、より直接的に年代を導くことができる。年代の基軸として未確立な未確立を介在させることで、石室の暦年代がいびつなものとなっているのである。
【改訂しました】
◆石室と須恵器の変遷観はおよそ共通理解にある。良好な資料が増えれば、石室型式と須恵器型式の厳密な対応関係が確立するだろうが、現状はまだそうなっていない。横穴式石室の暦年代は、現在、須恵器の年代観を前提とし、石室と須恵器の対応関係(現状は未確立)から導かれている。しかし、須恵器の推移の大局はわかるものの、例えば飛鳥Ⅰの古・中・新相といった編年は確立しておらず、暦年代を与える根拠も新相をのぞけばあまりない。横穴式石室の暦年代を須恵器に依拠するには、須恵器の年代基軸が未確立なのである。
◆そもそも、七世紀の考古資料の暦年代は、『日本書紀』から年代の判明する特定の遺跡にもとづいている。特定の遺跡を『日本書紀』に年代が記載されている宮殿や寺院あるいは個人墓にあて、暦年代の手がかりとする方法は、遺物である須恵器も遺構である石室も同じである。例えば、山田寺整地土の須恵器資料が六四一年以前となることと、石舞台古墳が蘇我馬子墓であると判断して、その石室を六二六年以前と考えることに、方法論として違いはない。違いは遺跡の種別にあるのではなく、ある遺跡を特定のものに比定する確度の差である。
◆石室の暦年代を須恵器の暦年代を介して決めなければならない理由はない。厩戸皇子の叡福寺古墳や蘇我馬子の石舞台古墳など、没年のわかる被葬者をあてうる古墳にもとづき石室の年代を考えることは、須恵器編年に暦年代を与える方法とまったく同じであり、須恵器の有無にかかわらず独立した方法である。むしろ、一括性や出土状況をふまえなければ年代基準となりにくい須恵器よりも、より直接的に年代を導くことができる。年代の基軸として未確立な未確立を介在させることで、石室の暦年代がいびつなものとなっているのである。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。