人を幸せにする人になろう

2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(7)ムネサカ1号墳

◆腹案では、花山塚からぜんぶ主要なモノを見ていくつもりだったが、天理により、また車を上げ てもらうという時間のロスもあり、4つにネサカ1号墳にむかう。粟原 まで来たのははじめてだろう。桜井市のガイドブックで行こうとするも行き着けず。前にネットで写真に矢印まで書いてあるものがあるのは知っていたので(たいていの主要な横穴式石室の行き方はネットで拾えます)、スマホで検索してもらうと出てきた。ちょっと東に行き過ぎだった。
◆場所もルートもわかったが、急な斜面の登りに加え、植林した木をバサバサ伐採してあり、横倒しにしたまま放置してあり、山道がふさがれている。それをのりこえくぐり、なんとかたどりつく。もう夕刻がせまっている。
◆石室は、なんだかずれているのか、石と石の隙間が空いていっている感じ。前に見ていた写真とは異なり、羨道の天井石がすっかりポッカリ10㎝ほど空いている接続部があって、そこから封土が落ちてきた高まりがある。それから前壁の石が薄く立てて使ってあり、羨道の最初の天井石との間にも隙間ができている。

2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(6)下池山と波多子塚

◆南下し下池山へ。そこでアクシデント。恥ずかしながら脱輪。保険屋に電話して上げてもらいま した。時間のロス。待っている間に、下池山に上がる。後方部にあがると、確かに高射砲陣地でしたか、そんなものを立てることもよくわかる。眺めがよいのである。生駒から二上山、葛城・金剛、大和三山、そして箸墓がけっこうよく見える。
◆それから波多子塚。山辺を歩く人のなんと多いことか。古墳は果樹栽培がされているが、入らせてもらう。頂部に立ち、西にのびる細い前方部を見る。

2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(5)峯塚

◆30年ぶり。たぶん前に来たのは1983年、大学1年でした。岩屋山式石室として見ておかないとい けない。これは感激モノ。なにが感激か。墳丘です。あの3段はすごい。終末期の墳丘、方墳も方墳だけど、円墳もあの上段の丈高さは独特のもの。貼石があるからこそ維持されてるんでしょうね。

2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(4)西山古墳と塚穴山古墳

◆そのあと、自分では桜井の横穴式石室を見まくるプランを立てていたが、昼飯で天理彩華ラーメ ンを食べながら相談。用があった弥生をやっている院生を田原本駅に送り、人数は1人減。残る3人のうち2人は奈良県民だが、ひとり関東の人間がいるもんで、天理という異空間を見せようと。それと彼女が前方後方墳に興味をもっており、波多子塚に行きたいというので、天理経由で桜井にむかうことにする。
◆天理教本部、参考館はパスし、西山古墳へ。天理大が測量したが、草が生え放題で、縦走する道もふさがれているような格好で、側面から直登したが、けっこうたいへんでした。こっちは平気なんですけど、女性2人にはちとつらい。が、下の段が前方後方なので、これは見ておくべきでしょう。
◆そして塚穴山古墳。みな感激。それに巨大な円墳。石舞台式。さて被葬者は?。守屋の次くらい?。

2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(3)唐古池現地

◆車でシンボルとなっている復元建物をながめたことはあったが、どうせやしということで、現地 に行く。恥ずかしながら初めて、である。ため池とかの管理上の問題から基本的にフェンスが張られ、釣り人だけはなかに入って竿を垂れている、いずこでも見られる風景。

2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(2)鏡作神社

◆古代の鏡作郷の神社、式内社である。河内の条里をやっていて、それと今年の卒論で祭祀をやっ ている学生がいて、7世紀後半に郷ができ、8世紀に郷社ができてくると睨んでいる。むろん、それ以前からの自然崇拝など、祭祀場はあるだろうが、たとえば和泉の聖神社が信太郷の神社であるように、新たに郷ができてくることで、郷単位の祭祀場ができる、これこそ普通の在地の神社の発祥と思う。出雲で神社遺構が出てきているのもこの時期。
◆むろん鏡作神社そのものに興味がある。倭製鏡工房が眠っているんだろう。奈文研にいたときに、あそこの三角縁神獣鏡を見に行くと誘われたが行けなかった。国道24号(旧?)の横は何度も通り、鏡作神社の看板をなんども見ていたが、この日が初めてでした。

2013年11月9日奈良・唐古と横穴式石室(1)唐古鍵ミュージアム

◆この日、中世史は飯森山城へ、考古は奈良盆地へ。ひとつの目的は唐古鍵ミュージアム。いの一 番に行く。9:30田原本駅集合。
◆この日、ミュージアムの入っている総合文化施設でイベントがあるようで、駐車場が結構満杯。
受付のおねえさんがとても親切で、印象的でした。唐古2室、田原本のそれ以外1室。総合文化施設のなかで、もうちょっとミュージアムの専有面積があってもいいのに、と思う。展示スペースとしては狭い。それと、考古に限らず田原本の歴史を構成してほしいもの(ほかにもあるのかな・・・)。もちろん唐古が史跡になっていることが画期的だし、長年の発掘を経てミュージアムを実現させた努力に頭が下がる思いである。
◆弥生をやっている院生を含め、みなじっくりと観察。おねえさんが、道の話をしていると、県の作った下つ道のリーフレットなど、あるものを出してくれる。
◆大学にもいただいている展示図録などが、1冊50円!。そんな厚くないが、フルカラーのきれいなもの。この価格にも感激。あるものぜんぶ購入!。計650円!
◆唐古以外の展示で、たぶん古墳時代の椅子に感激。なにに感激したか。椅子形石製品とまったく同じだから。当たり前ですが。

朝、奈文研に行き・・・

◆昔の私物の遺物たちが倉庫にあり、引っ越しがらみで「発見」され、引き取りに行きました。長期間、どうもすいません。3箱は岩倉の瓦です。すいません、すいません。
◆1996年3月以来かもしれないが、考古第3調査室に行き、しみじみしてきました。
◆あと1箱は五社神とウワナベの埴輪です。たいして多くなく小破片ですが、いずれも冬場に濠が干上がった時に民地部分で採集したもの。ほんとうですよ。五社神の埴輪って、当時はまったく知られておりませんでした。ウワナベの場合、裾部を一周し、濠のえぐれの下に円筒の底部がのぞいている状態を初めてみました。たぶんネガフィルムがあったはず。

耐震工事は予定通り進んでいるようで

◆12月はじめには文学部棟に戻れるらしい。

河内の条里(1)131106

◆後期の考古学演習で、河内の条里をやることにする。この授業、考古の学生がいても1人とか2人 のなかで、ここ何年か違うことをやってきた。条里は、考古学というには少し違うけれども、古代から近世まで、古代の郡とか郷は一定の規定性をもち続けているので、どの時代の日本史コースの学生でも、どこかの地域を取り上げていく上で、実際の場所とか土地とかのなかでものごとを考える訓練にはなろう。ということで、和泉の条里のあと、河内をまず取り上げることにする。
◆目的は郷域を考えるということだが、地名辞典の世界に大方はとどまる。郷域についての言及においても、バックグラウンドとしての研究はあるはずだが、なかなかそこまでは踏み込めない。自治体史くらいは見て欲しいが、班によっていろいろではある。ここまでで、茨田郡、讃良郡、河内郡と進んできた。それにあわせて、班の発表の後、図化して認識を固定化させるべく、イラレを作っている。10月中は余裕がなかったが、昨日の河内郡の授業の後、ひとまず作る。茨田郡、讃良郡はまだぜんぶ落とせていない。※ぜんぜん確証のある話ではありません!。が、深野池、古代でいえば何だ、草香江のある北部は、生駒西麓の南北に細長いエリアで、基本、短冊に切っているのではないか。一条とか二条とかの条里呼称がず~と残っていく。
【追記】基本は近世の「郷帳」ですな。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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