人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2025年12月15日(月)八幡市の現場→久津川
◆午前、京都・八幡市の現場を見に行く。これが12時まで。そのあと、久津川へ行くと伝えていたが、スマホを取りに柏原警察へ。
◆そこからまた京都に向かい、久津川に。現地着は15時くらいだったか。西区はどうなったのかと思ったが、追及されていないので、所見を聞きつつ、西区画を検討する。終了は17時前。もう外は暗い。第2京阪も混んでおり、帰宅は1830。
◆東区の下半分、既掘坑の輪郭を確認し、埋土のへりを少し落として表現する仕上げをしていたのだが・・・。
◆明日1限は、ちょっと早くいけば、なんとかなるか。
◆そこからまた京都に向かい、久津川に。現地着は15時くらいだったか。西区はどうなったのかと思ったが、追及されていないので、所見を聞きつつ、西区画を検討する。終了は17時前。もう外は暗い。第2京阪も混んでおり、帰宅は1830。
◆東区の下半分、既掘坑の輪郭を確認し、埋土のへりを少し落として表現する仕上げをしていたのだが・・・。
◆明日1限は、ちょっと早くいけば、なんとかなるか。
三尾城
◆たかしまミュージアムのビデオでは説明があった。が、それがどこか、
大津京、比良山系、そして高島という地理的な理解も説明したいところ。が、ガイドさんのような担当はなく、道すがらの説明はない。基本はパンフレットにまとめられた見学先の説明のみ。このパンフ、今回はPDF配信で冊子で配布されなかった。学生の旅行委員が、バス車中でそれぞれ説明し、日本史教員が補足したりする。
◆菅浦で三尾城はどこだろうかと見ていた。いまグーグルアースでその角度から見たところ、あの山と思っていたところであっていた。
◆高島ミュージアムには1630過ぎまでいたのかな。外は暗くなり、大津駅で解散した。
◆17:57の普通で京都駅。京都駅18:10の近鉄特急。19:00の上本町行き八木発急行で、すべてぎりぎりの乗り継ぎで、まったく早く家に帰り着いた。
◆菅浦で三尾城はどこだろうかと見ていた。いまグーグルアースでその角度から見たところ、あの山と思っていたところであっていた。
◆高島ミュージアムには1630過ぎまでいたのかな。外は暗くなり、大津駅で解散した。
◆17:57の普通で京都駅。京都駅18:10の近鉄特急。19:00の上本町行き八木発急行で、すべてぎりぎりの乗り継ぎで、まったく早く家に帰り着いた。
そのあと中江藤樹記念館・たかしまミュージアム
◆竹生島に行かなくなったので、急遽、鴨稲荷山古墳へ行くか、ミ
ュージアムへ行くかと聞かれ、ミュージアムと回答。儒学者・中江藤樹記念館があることで、東洋史関係のみなさんにも楽しんでもらえた。これ中江藤樹記念館単体であったものをリニューアルし、合併して「大」高島市となり、散在していた4つの資料館を統合した「たかしまミュージアム」としたもの。この6月にできたところ。前に中江藤樹記念館単体だった時に、横まで行ったのだが入らなかった。
◆こっちとしては、古墳現地横にあった高島町歴史民俗資料館もなくなり(前に古墳に行った時は閉まってました)、古墳単体を見ても、あまり面白くないだろう。それより、このミュージアムで、稲荷山古墳の副葬品は基本レプリカながら、確認調査時の埴輪なども見れると思ったから。これ正解でした。最初の15分のビデオは長いが、要を得ており、全体の概要や、特質のポイントが押さえられていた。で、鴨稲荷山古墳のところで短く説明した。
◆考古資料としては、熊野本遺跡の弥生後期の土器や、古墳の資料がけっこうありました。郡衙とは明記されていないが、郡関係の遺跡、古代寺院その他。造り出し付円墳の陵墓となっている田中王塚古墳は、彦牛王の墓ということになっているんですね。
◆案内してくれた学芸員さんは、中江藤樹関係の担当の方で、いろいろと教えてもらいました。
◆こっちとしては、古墳現地横にあった高島町歴史民俗資料館もなくなり(前に古墳に行った時は閉まってました)、古墳単体を見ても、あまり面白くないだろう。それより、このミュージアムで、稲荷山古墳の副葬品は基本レプリカながら、確認調査時の埴輪なども見れると思ったから。これ正解でした。最初の15分のビデオは長いが、要を得ており、全体の概要や、特質のポイントが押さえられていた。で、鴨稲荷山古墳のところで短く説明した。
◆考古資料としては、熊野本遺跡の弥生後期の土器や、古墳の資料がけっこうありました。郡衙とは明記されていないが、郡関係の遺跡、古代寺院その他。造り出し付円墳の陵墓となっている田中王塚古墳は、彦牛王の墓ということになっているんですね。
◆案内してくれた学芸員さんは、中江藤樹関係の担当の方で、いろいろと教えてもらいました。
菅浦
◆2回目。前回も教室旅行で来たが、なにもまったく覚えていない
。Nさんの解説で、いろいろと勉強をした。中世文書の残存で著名な菅浦だが、近世はどうなんでしょう。廻船業は続いていたのだろうか。単なる漁村となったのだろうか。田んぼ畑はないわけです。歴史的には、中世の漁村かつ廻船業で栄え、寺院も数多くあったようだが、幕末までに縮小していることからすると、落差があるように思った。
◆それと竹生島との関係ですね。竹生島にもっとも近く、宗教的聖地である竹生島の維持は、菅浦が担っていたのではないか。そこは研究があるのだろう。江戸期の菅浦をまず確認ですね。
◆そして集落一帯が文化的景観に選定されている。そうなんや、知らなかった。その選定理由の説明書が読みたいですね。大浦からも離れ孤立した集落で、中世以来の道、集落、寺社のあり方がそのまま残っている。それはそうかもしれないが、まあ普通のように思われるのだ。つづらお崎西岸にへばりついた漁村景観、それがよく保たれている、それはそうなんだろうが、と。
◆重要文化的景観であること、それはよいことなのだろうが、その魅力はどこにあり、どう伝えることで、観光的な価値が理解され、村の誇りや活性化にもつながるのだろうか、と。たぶん4割は空き家なのではないか。古民家がよく残りデンケンになるようなら、それを利用することもできる。が、いまは村をいかに存続させていくか、コミュニティをどう持続させていけるのか、という現実問題をどうするかが課題と感じる。
◆それと竹生島との関係ですね。竹生島にもっとも近く、宗教的聖地である竹生島の維持は、菅浦が担っていたのではないか。そこは研究があるのだろう。江戸期の菅浦をまず確認ですね。
◆そして集落一帯が文化的景観に選定されている。そうなんや、知らなかった。その選定理由の説明書が読みたいですね。大浦からも離れ孤立した集落で、中世以来の道、集落、寺社のあり方がそのまま残っている。それはそうかもしれないが、まあ普通のように思われるのだ。つづらお崎西岸にへばりついた漁村景観、それがよく保たれている、それはそうなんだろうが、と。
◆重要文化的景観であること、それはよいことなのだろうが、その魅力はどこにあり、どう伝えることで、観光的な価値が理解され、村の誇りや活性化にもつながるのだろうか、と。たぶん4割は空き家なのではないか。古民家がよく残りデンケンになるようなら、それを利用することもできる。が、いまは村をいかに存続させていくか、コミュニティをどう持続させていけるのか、という現実問題をどうするかが課題と感じる。
竹生島、今回も行けず
◆このあと竹生島に行くはずだったが、天気悪く波高く、欠航。で長浜のまち歩きの時間が長くなる。これはこれでよかったのではないか。院生らと旧長浜駅(鉄道スクエア)にまず行く。船とセットであることを説明する。東海道線の歴史が学べます。なかなか院生らも楽しく見て回ったよう。
◆そこを出て東に行くと、すぐ城下町の一画に取りつく。城下町はかなり広い。北国街道を北上する。開智学校を見て、東西道路を渡ると、いちばん賑わっている通りとなり、その先の十字路が、保存問題のあった銀行が角にある十字路となり、東に進めばアーケード街。やはり大勢の観光客で大にぎわいだ。1130に予約していた店で鯖そうめん食べ、1230の出発がアナウンスされ、昼食後のいましばらくの時間、まち歩きや土産物の買い物など。
◆そこを出て東に行くと、すぐ城下町の一画に取りつく。城下町はかなり広い。北国街道を北上する。開智学校を見て、東西道路を渡ると、いちばん賑わっている通りとなり、その先の十字路が、保存問題のあった銀行が角にある十字路となり、東に進めばアーケード街。やはり大勢の観光客で大にぎわいだ。1130に予約していた店で鯖そうめん食べ、1230の出発がアナウンスされ、昼食後のいましばらくの時間、まち歩きや土産物の買い物など。
2025年12月14日(日)長浜城
◆朝830過ぎ。まず長浜城の天守跡と井戸を見に行く。前来たときは知らなかった。
◆9時になり博物館に入る。学芸員さんの説明では、40年前に城跡の場所に
博物館を建てることになった時、市民の希望で城の形にしたとのことである。復元天守でもなんでもなく、犬山城をモデルとした天守閣の形をした博物館と理解してくださいとのこと。民意ならしょうがないのかもしれないが、やはり別のやり方もあったのではないかと思う。
◆まずは、天守形博物館が城の遺構を壊していないのだと信じたいが、どうなんだろうか。そして何より、ホンモノの方をちゃんと調査をして中身を確かめないのだろうかと思う(あまりやっていないらしい)。そちらがちゃん調査し把握され、その上で、城跡のどこを使って博物館にするのかが検討され、中心部はこうして残している、ということとセットであってほしいと思う。
◆9時になり博物館に入る。学芸員さんの説明では、40年前に城跡の場所に
◆まずは、天守形博物館が城の遺構を壊していないのだと信じたいが、どうなんだろうか。そして何より、ホンモノの方をちゃんと調査をして中身を確かめないのだろうかと思う(あまりやっていないらしい)。そちらがちゃん調査し把握され、その上で、城跡のどこを使って博物館にするのかが検討され、中心部はこうして残している、ということとセットであってほしいと思う。
次は豊郷小学校
◆1999年に保存問題でもめていた時のことをカスカに記憶する。みなさんの運
動により、よく残りました。そして、この建物はなかなかいい。うちの1号館よりも味がある。ヴォーリスの設計です。いまは隣に新しい校舎ができ、旧校舎は観光地となり、区分された形になっている。伊藤忠兵衛ほか豊郷出身のみなさんが金を出し、ヴォーリスに設計を依頼し、竹中工務店が施工したとのこと。
◆パネルや資料をかかげての展示施設は、1階の正面を入った一部の部屋があてられている。ほかの教室には、図書館やシルバー人材センターの事務所など、いくつか転用されているが、小学校時代そのままで鍵がかけられ、ガラス越しにのぞく教室も多い。いまのようにすべて見学できるようにしつつ、空き教室を転用し現役として使い続けるようにするのもいいと思う。一方で、地元のみなさんとしては、25年前まで使っていた教室の雰囲気をしばらく残しておいてほしいというのもあるのかもしれない。
◆軽音というマンガ?アニメ?が有名なんですかね、その舞台となった?、アニメのモデルになった?、よく知りませんが、そういう関係での来訪客が多いようである。
◆パネルや資料をかかげての展示施設は、1階の正面を入った一部の部屋があてられている。ほかの教室には、図書館やシルバー人材センターの事務所など、いくつか転用されているが、小学校時代そのままで鍵がかけられ、ガラス越しにのぞく教室も多い。いまのようにすべて見学できるようにしつつ、空き教室を転用し現役として使い続けるようにするのもいいと思う。一方で、地元のみなさんとしては、25年前まで使っていた教室の雰囲気をしばらく残しておいてほしいというのもあるのかもしれない。
◆軽音というマンガ?アニメ?が有名なんですかね、その舞台となった?、アニメのモデルになった?、よく知りませんが、そういう関係での来訪客が多いようである。
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。