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播州清水寺

◆最後に加藤市の清水寺に行く。むかし小野市の市史編纂にかかわっていた時に、巡検でここを訪ねた記憶があり、山の中にスゴク立派な寺院だったという記憶があり、この清水寺だと思っていた。
◆で訪ねたものの、たしかに根本中堂や講堂、奥の塔跡など立派なんだけれど、違うように思ったわけです。前に来た時の記憶はこんな感じではない、と。何が違うんでしょうか。いちばん考えられることは、自分の記憶が怪しいということ。思い込みの確かなものではないのでは。
◆これと同じことが前にもあった。朽木の寺である。昔、若狭向山古墳の発掘をしている時、泊り+京都から通いでやっていて、朽木を抜けていると、若狭にむかって右側に立派なお寺があった・・・という記憶があるのだ。その後、この寺が、室町期に将軍が逃れて滞在した寺に違いないという思い込みも加わる。で、何年か前に朽木を抜けた時、朽木付近の道の南側の木立のなかに古刹がある、と探し求めるも、ついに見つからなかった。
◆さて清水寺の場合は、前に見たのは別寺院なのか、清水寺だが頭の中でお堂の立派さが拡大した形で記憶していたのか、どちらなんでしょう。

虫眼鏡

◆好古館の2階企画展示室では、地域展をやっていた。この館では、ずうっとこの取り組みを続けている。市史編纂に続き、こうした機会に資料を確認し、それで展示を構成していく。なかなかいいことですよね。テーマ性も大事だけれど、ひとつひとつの地域を取り上げていくことも大事。もっと他でも取り組まれてよい。で、絵図を見るのに虫眼鏡が置かれていて面白かった。

小野市立好古館

◆カミサンは好古館に行ったことがないというので三木から北上する。一柳の陣屋城下町である(小野市史にかかわるまで知らなかったが)。で陣屋のあった場所は、いま小学校・高等学校になっており、好古館もその一画にある。近世・天保期に加古川沿いの大きな百姓一揆があったそうである。その時に小野の近藤亀蔵の屋敷が襲う対象になったのだとか。とんでもない金持ちだそうである。以下ネットから。

江戸時代後期の豪商で、東の本間と並び西日本一の豪商といわれました。亀蔵は商売だけでなく、地域の発展や慈善事業にも熱心で、灌漑用のため池「鶴池・亀池」を約3000両の費用と3年の月日をかけ完成させました。

ところで三木市史

◆みき歴史資料館で、いま刊行中の三木市史が販売されていた。で、和泉市史でいう地域叙述編にあたるものが、かなりの数刊行されている。それと資料編がならんでおり、本編はこれからなんだろう。こうした市史で地域ごとにまとめるやり方というのは、和泉市史が影響を与えているのかもしれません。

旧玉置家住宅

◆道の駅で食事をして、道の駅2階の金物の物をのぞく。1点買い求めました。実にいろんな刃物などを売っております。そのあと町あるき。旧玉置家住宅というのは国の登録文化財になっている。その前に大宮八幡宮に寄る。
◆で玉置家住宅。ガイドさんが4人おられて案内していただく。美嚢川南岸の東西道路に面し、家の裏はすぐ美嚢川。もともと館林藩の切手会所だったものを、玉置さんが明治?になって買い求めたもので、通りに面する側の本体は江戸期の建物という。三木では、倉庫の窓がすべて丸窓なんです。
◆もうひとつ、着物の染色用の型紙も特産とのこと。屋内の展示で学ぶ。型紙というのは伊勢が有名なんですね(わたしは知らなかったが)。蝋を引いてそこには染料が載らないようにする。三木はけっこうなシェアを占めていたのだろうです。

金物資料館

◆この横に神社があって別所長治の銅像があるとのこと。前に来た時は行ったような気がする。が、写真は撮らなかったようだ。その時には年末で閉まっていた金物資料館に行く。団体客がおり、大阪星光学院の地歴部が団体で見学に来ていた。学校の先生だった職員の方がおり、対応されていた。
◆三木の金物がさかんになるのは18世紀という。18世紀の後半には大工道具で著名になり、近代以降、いまも金物の三木といわれる伝統産業となっている。

飛行機乗りの電熱器

◆この飛行服は、どこかからもらってきたもののようだったが、電熱線が埋め込まれあったかくするようになっていたということを知る。

国史跡三木城跡+附城

◆ある古墳のことで三木市さんとは少し接点があった。三木城本体部分はあまりよく残っていないが、秀吉が取り囲んだ附城がよく残っているんだ、という話は聞いていた。2013年に国史跡になったんですね。。保存管理計画から史跡の範囲を確認する。史跡指定にむけての確認調査の調査の展示からよくわかった。
◆で、本体の三木城についても、本丸と二の丸についてなんとか含めたことも確認できた。

2025年10月26日(日)三木

◆関西学院大学三田キャンパスに向うが、そのまま中国道を進み三木に遊びに行く。
◆2016年末だったか、三木城本丸のある金物資料館に行くも、閉まっていたという。ほとんど覚えていないが。その向かいに歴史資料館がある。開館して10年ほどということだ。考古資料がひととおりあり、三木城関係の調査成果もある。文書関係もある。加西のウズラ野飛行場がよく知られているが、三木飛行場というのがあったことも学ぶ。
◆同じ建物に文化財のセクションや市史編纂の部署も入っている。

鈴鹿峠

◆長浜からの帰り。鈴鹿峠を越えたことがないように思い、鈴鹿越をして、関から名阪国道で帰る。また、カミサンは天理を見下ろすところのPA高峰というところに行ったことがないというので寄る。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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