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ある原稿の註

◆邪馬台国の所在地問題において、〈魏志倭人伝〉の記述も三角縁神獣鏡も重要であり、寺沢薫の いうように、戦後の考古学が重ねてきた発掘調査にもとづく3世紀前半の倭の復元もさらに重要である。〈魏志倭人伝〉の記述で言えば、末ラ国から伊都国は東南、伊国国から奴国も東南とあり、実際には東北でほぼ90度誤っており、邪馬台国への南は東になる。三角縁神獣鏡の1990年代の研究は中国製で銅鏡百枚にふさわしいと考える根拠を積み上げてきた。3世紀前半の倭国について本稿では扱わないが、ヤマト国は畿内と考えることが了解されている。1点のみ指摘すれば、魏への朝貢以前に卑弥呼は公孫氏政権につながっており、その時期に相当する漢鏡7期の鏡からも裏付けられるが、その分布は北部九州を飛ばして畿内が一括入手している〔岡村1999〕。そのあとの魏と通交のあった範囲が九州北半にとどまるとみる九州説は成立しがたいだろう。九州説の場合、ヤマト国が具体的にどこで、伊都国や奴国をも統属するあり方を3世紀前半の遺跡に即して示さなければ、机上の空論に過ぎない。九州説には、特定のアプローチからのみの、しかも対立側の議論を無視し自説を言い放つだけのものが多い。さまざまな材料とアプローチがあり、すべてを1人が扱えないにせよ、歴史学として総合的な判断が望まれる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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