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継体即位は503年だ

◆隅田八幡鏡の503年の意味である。日本書紀の継体即位は507年、継体は25年在位し、531年に没したとされる(日本書紀では534年としながらも、最終的には百済本記により531年を採用したと注記される)。一方、古事記の崩年干支は527年である。河内大塚山の造営期間を考えれば、やはり古事記が妥当とみている。
在位年は25年で、没年が527年とすると元年は503年となる!これ、とっても重要だと思いますよ。継体元年は503年とみるべきですね。隅田八幡の鏡の重要性がよく理解できる。503年には当然意味があるわけだ。なぜ503年に鏡を送ったのか、それは北陸から担ぎ出された継体が執政権を掌握したからであろう。継体即位は503年、武寧王のクーデタ即位は502年、示し合わせての行動とする見方も頷ける。
◆そして日本書紀で507年とあるのは、仁賢没が506年であったことを示すのではないか。
【追記】雄略についても、489年没だが、479年となっているのは清寧没ではないかと憶測する。こっちは説得力はありませんが、清寧陵と考える軽里大塚が岡ミサンザイより古いことから、それでいいんではないかなと。キナシ→清寧の継承が雄略即位より後なので、雄略→清寧としているのだろう。そうなると仁賢は480-506ということになる。

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雲楽
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60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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