人を幸せにする人になろう

いや~すごい!また残念!

◆今日は教授会。11時から教室会議があるので、9時から10時まで久しぶりに現場に赴く。秋晴れの快晴で気持ちいい。埴輪列東北隅部の拡張をやってしまったらという話になっているとのことで、それやったらやってまうか、ということで図面上の推定角の座標を出し、その位置にピンポを立て、それを確保するようにテキトーに拡張区を線引きする。予定通り出てきてくれたようだ。
◆それより土器の集中部ですね。機械掘削後の雨上がり、北辺調査区から上面に出たところで高杯脚部が目に入ったのはずいぶん前。高い部分が引っかかってしまったわけだ。削ってしまったわけではむろんなく、留めるものがなければ望んでも出てこないわけだが、供献土器などが原位置で残っているような箇所が全体に乏しいなか、造り出しとなれば欲しい。ようやく埴輪のなかからタコが出て、また同じような壺が1、2、原位置で見つかってきてやや安心していた。そこに、今日の土器群!。現場にいなかったのが残念でなりません・・・。
◆それと埋葬施設だ。レベルをチェックすると現状で上面から25㎝くらいにしか過ぎない。もっと掘ってきたつもりだったが、黄色粘質土が昨年度は高く残っていたんでしょうね。そこから2スコくらいは掘った記憶がある。が、上面が掘り上がってみればマイナス25㎝だから、十分陥没にともなうものと説明できる。それとより深く埴輪や礫が落ち込んでいる南北ラインこそ、棺の位置。なので、そこに落ち込んでいるものは左右両側にあったものが引きずり込まれているということだ。埋葬施設の内部を掘るつもりはないが、残っている黄色粘質土を除去し、中央に残る陥没状況を示すところまではいきたいもの。
◆それから、昨年、墓坑上の黄色粘質土の埴輪たち。黄色粘質土の上層にもいっぱいあって、それは掘る際に上げ、さらに下部でまとまって出てきたものを残して図面を取ったわけだ。洪水で動いた上で入ってきたものではあるが。で、図面は取ったが、今年度の調査もあるので取り上げずに残しておいた。が、レーダー探査の機械が通るようにせなあかんというので、ある時、取り上げてもらったのだが、大きな破片がまとまってあるというので、念のため図面を取ったんだから、なんでナンバーを振りながら上げなかったのだろうか。アホやね~。
◆陥没坑の遺物、それに準ずるこれらの埴輪片は、もとの位置をおおよそ想定する材料となる。そうか、写真から一定の特定はできるかな。
◆そして須恵器!。時期の特定しやすい器種がさらに出てこないもんだろうか。いずれにしても、供献土器の一端として土師器とともに入っている。
◆埴輪列の角が出て、ひとつまえの記事の写真を見ていると、残りの部分も抜いてしまうべきですね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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