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久津川の調査成果のまとめ

①西造り出しが存在する。規模は長辺(南北)が28m以上、短辺(東西)が西へ13m張り出す長方形で、高さが約3mあり、後円部の墳丘にまたがり設置されている。なお造り出しは、17世紀前半と推定される大谷川の氾濫洪水層により完全に埋没している。
(北辺と後円部の接続部であるくびれ部は来年度調査予定)
②北辺と後円部との接続部、西辺斜面、南辺から前方部への屈曲部の3箇所で葺石を検出した。前方部への屈曲部では、斜面裾部に墳端を示す大型の基底石を配列するとともに、墳裾外にも葺石材と同程度の石材による礫敷をともない、この部位で水鳥形埴輪が3~4体配置されていたと推定される。
③造り出し上面の規模は、長辺20.5m/短辺11.8mであるが、西側長辺が19.5mと約1m短くなる台形状で、推定150本程度の円筒埴輪(朝顔形埴輪を含む)をめぐらす。埴輪列は前方部側(東側)のほぼ中央を境に、北半列を西へずらし、入口を表現する。埴輪列の規模は、埴輪の中心で計測して長辺18m/短辺10mである。造り出し上面に一部で礫敷が残り、後世の開墾等の改変で多くが失われているが本来礫敷であったと推定できる。
④埴輪列内部には、大型品を含む多くの家形埴輪、囲形埴輪、蓋形埴輪・盾形埴輪・靫形埴輪などが配置されており、南半部を中心に造り出し上面や斜面から多くの形象埴輪が出土した。本来の位置はほとんど不明であるが、中央西側の礫敷面で家形埴輪を確認した。次に述べる埋葬施設に対して配置されていた可能性が高い。
⑤造り出し南半部で、南北方向の7.7m×3.5mの長方形の掘り込みを検出し、埋葬施設と考えられる。木棺の陥没にともない凹部ができ、棺の位置では上面の高さから0.5m(適当)下部まで埴輪片が落下し洪水層が入り込んでいる。墓坑の深さは、レーダー探査の結果によれば、上面から1.6m程度(適当)と推測できる。
⑥北半部には埋葬施設はなく、食物供献を表現した籠目土器・小型壺・高杯などの土器片、また食物形土製品が認められ(まだ)、南半部の埋葬に対する儀礼の場であったと推測できる。なお、西斜面から小型の壺とみられる須恵器が出土した。

 久津川車塚古墳の史跡整備に向けて、西造り出しの存在とその規模・形状、また前方部側面の墳端が明らかとなった。また、くびれ部に取り付く造り出しに埋葬施設が存在することが特筆できる。儀礼空間である北半部をあわせた長方形の形状に設計されり、造り出しが墳頂部とは別の埋葬空間として利用されたと考えられる。

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雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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