人を幸せにする人になろう

よさみ池とは何か

◆記紀では崇神のところに出てくる依羅池。たぶん推古朝だろうという議論はあれ、なぜあそこに 造られているのか、機能に関する研究はあまりみたことがない。こないだ『大阪市の歴史と文化財』を見ていると、榎津についての1文があり、そこに掲載されている地図に目が行く。昭和ヒト桁の1万分の1。まだ区画整理もあまり進行していない。これ何の地図。執筆者に問い合わせ、教えてもらう。うちにも入っている本でした。なんやそれ。
◆さっそくに、前に仮製図でやっていた作業と同じ事をすこしやってみる。見通しは前と同じだが、まだよくわからない。しかし格段に水路が描かれている。杉本町のあたりは古代では開発されていないのだろうが、標高10mくらいより下なら灌漑可能である。西除川旧流路もやらねばならぬ。これ大依羅氏や田辺氏や、古代氏族の上町台地基部への入植とリンクする話なのだろうが、まだ明快には語れません。それでも、その後のあまたの溜池など。このあたりの村々の江戸時代の水田耕作を復元する上でもベストな地図。それぞれの村を訪ね、水利図がえられれば描きわけていくこともできるだろうが、水田を放棄したのもおそらく早く、もはや残っていないか。そう、昭和のはじめの頃の農村のあり方さえ、われわれは復元できないのである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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