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土佐稲荷神社 記事№6300

◆長堀に面して土佐藩蔵屋敷があった。土佐稲荷神社は、その当時からあったとのこと。夏の陣後の復興の木材需要に対し、土佐藩は土佐から木材を運び込む許可を得て、大阪に材木を運ぶ。このため、土佐藩蔵屋敷は中之島ではなく木津川に近い西長堀に設置されたのだという。セリ売りがここで行われ、長堀沿いに材木問屋が集中することになる。1960年代、おっちゃん・おばちゃんらのなかには、長堀でも西側がまだ埋め立てられておらず、木材が浮かべられていた景観を見た、ということである。
◆この蔵屋敷。有名な堺事件のあと、フランス兵を銃撃した土佐藩士が収容され、切腹する20人のくじ引きが行われたのだという。
◆この地は、後藤象二郎が早々に岩崎弥太郎に譲り、このため召し上げられず、三菱の屋敷が建てられたのだとか。三菱発祥の地なんだそうです。で、いまでも三菱グループの守護神だとか。
◆それで昭和9年といったか、まで行き、大阪市が学校用地として希望し、東半分を取得して女学校になり、西半分にこの土佐神社ができたんだろう。で、この学校が、いまの大阪公立大学生活科学部につながるわけだ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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