人を幸せにする人になろう

天安門事件から20年

◆1989年は激動の年だった。年初に昭和が終わった。平成元年である。ベルリンの壁崩壊も11月だが、6月の天安門事件である。
◆6月に20年を記念して朝日新聞で連載記事があり、うち切り取った2回分がある。
◆ひとつめは弁護士。天安門事件で投獄された人の弁護を1996年に引く受けたが、その頃、政治的事件の弁護を引き受ける者は2人だけだったという。その後、政府の監視や逮捕の危険にさらされながら天安門事件にかかわって逮捕された参加者や活動家の支援にのめりこむ。なぜ逮捕されないのかという問いに対して、「政治活動や言論活動をせず、中立的立場に立ち、目立つことはしないが、高い専門性をもち、検察官や裁判官を圧倒する法律知識をもって、不当性を徹底的に追究するという。それから最後の言葉も良い。「中国が民主と法治を求めるのは歴史の潮流だ。道はでこぼこで曲がりくねっている。しかし、誰も、どんな組織もこの流れを止めることはできない」、と。その信念に共感する。圧倒的な共産党支配のもと、時間はかかるかもしれない。しかし、中国人民は立ち上がるであろう。
◆ふたつめは新聞記者。胡耀邦追悼式で学生と部隊がにらみ合う光景をみながら、海外紙が報道しながら1行も書けない。本社幹部と対立し、社内で議論しても無駄、指導部との対話を求める記者の署名を集め、それが5月11日に実現する。そこで報道禁止令が記者の誇りを傷つけ、深い恥辱を感じていることを訴える。さらに指導部と記者との座談会のテレビ中継も決定されるが、11日に対応した政治局常務委員は失脚させられ、中継は幻に終わり、その記者も左遷される。1994年に復帰、再び2006年に歴史教科書の記述を批判する論文が発端で、停刊処分を受け、抗議文を発表、再び更迭される。「記者になった頃、先輩の報道が恥ずかしかった。社会に役立つどころか、災難をまき散らしていた。若い記者は私の行動をきっと評価してくれる」、と。


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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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